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アラン「幸福論」(集英社文庫) 訳 白井健三郎 アラン・・本名は、エミール・オーギュスト・シャルチエ・・ リセの哲学の先生で、教え子の一人が、シモーヌ・ヴェイユ 厳しい時代にこそ必要とされるのは・・ストア派の思想ですね~ PS 10日間ぶりのブログ更新になりますが、 6月28日だけ、アクセス数が激増・・してました。 いったい何があったんでしょうか??? ≪実際には、人が幸福であったり不幸であったりする理由は、 たいして重要ではない。 すべてはわたしたちの肉体とその働きとにかかっている。≫ ・・食事や、歩行や、注意力や、読書や、天気のぐあいについて、 移り変わる。 ≪「おれは悲しい。なにを見ても暗く見える。 しかし、いろいろのできごとがこれに関係があるわけはない。 おれの理屈もなんの関係もない。 道理を立てたがっているのは、おれの肉体だ。 胃袋の意見とでもいったものだ」と。≫ ≪気分にさからうことは、判断力のなすことではない。 判断力はここではなんの役にも立たない。 そうではなく、姿勢を変えて適当な運動をやってみる必要がある。 というのは、わたしたちの身体のうちで、運動を伝える筋肉だけが、 わたしたちが統御しうる唯一の部分だからである。≫ ・・微笑や肩をすくめることで、心配事を追い払うことができる。 ≪心配事のあるときには、理屈を考えようとしないほうがいい。 理屈はあなたがた自身に鉾先を向けることになるからだ。≫ そうではなくて、 腕を上げたり、屈伸運動しることだ。 ≪生きるすべは、なによりもまず、自分のした決心や自分のやっている職業について けっしてみずから文句を言わないことにある、と私は思う。 そうではなくて、自分の決心や職業をちゃんとやってのけることだ。≫ ≪幸福はいつでもわたしたちを避ける、と言われる。 人からもらった幸福についてなら、それは本当である。 人からもらった幸福などというものはおよそ存在しないものだからである。 しかし自分でつくる幸福は、けっして裏切らない。 それは学ぶことであり、しかも人はたえず学ぶものである。 知れば知るほど、学ぶことができるようになる。≫ ≪抑鬱病の人には、わたしはたった一つしか言うことがない。 「遠くを見よ」と。 抑鬱病の人は、ほとんどつねに、読みすぎる人である。 しかし、人間の目は、そういう近距離のためにつくられているのではない。 広々とした空間のなかで憩うものだ。・・≫ ≪・・幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。≫ ≪人間は自分以外にはほとんど敵はない。 人間は、自分のまちがった判断や、き憂や、絶望や、自分自身にさし向ける 悲観的なことばなどによって、自分が自分自身に対してつねに最大の敵なのである。≫ 後半に続く・・・かも?
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最終更新日
2011.07.03 19:23:19
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