4493464 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

システムエンジニアの晴耕雨読

システムエンジニアの晴耕雨読

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2012.08.23
XML
テーマ:日本史(21)
カテゴリ:日本史・世界史

【送料無料】日本の古代道路を探す [ 中村太一 ]

中村太一「日本の古代道路を探す―律令国家のアウトバーン」(平凡社新書)

2000年刊



 タマキングこと、宮田珠己さんの

 「はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある」

 で紹介されていたので、手に取ったもの、
 
 
 



 「日本の古代道路はどのような道路だったのだろうか?」




 驚くべきことに、

≪奈良時代・平安時代前期のわが国には、「まっすぐで幅の広い」計画道路が

 張り巡らされていた! ≫


 10キロ以上にわたって、まっすぐな区画が続いており、

 駅路は、この直線的な区画を組み合わせた道路として、全国的に造られていた。



 北は、秋田・宮城から、南は、鹿児島まで、

 本州だけでなく、佐渡、隠岐、対馬までの道路網が張り巡らされていた。



 道路の幅は、宮都周辺で、24~42メートル、

 全国的には、12メートルから、3~6メートルだった。

 現在の高速道路の一車線が3メートルなので、実に広いことがわかる。


 
 不思議なのは、この立派な道路が、一千年のうちに、消え失せたのはなぜか?

 という謎が残ります。
 
 
 
 8世紀から17世紀に起こった出来事は、武士の時代・・
 
 群雄割拠の戦国時代があったこと。
 
 日本列島を300余の国に分けて、部分最適を求めた結果、
 
 古代の偉大な道は消え失せてしまった、ということなんだと思います。







<目次>
プロローグ 計画道路の「発見」
第1章 古代の道路と交通制度
第2章 古代道路の探し方
第3章 計画道路の形成―大和
第4章 古代の大動脈―山陽道
第5章 道路網の再編―東国
エピローグ これからの古代道路研究





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.08.23 23:31:29
コメント(0) | コメントを書く
[日本史・世界史] カテゴリの最新記事


PR

カレンダー

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

 モンゴル鎌倉サムライ@ Re:佐藤優「自壊する帝国」(08/09) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
 toyopika@ Re:足立巻一「虹滅記」(06/18) 足立敬亭先生が逝去したことを知って悲し…
 背番号のないエース0829@ もし高校野球の女子マネージャー 『アルフィー「君が通り過ぎたあとに-Don…

お気に入りブログ

主力株候補のアイデ… New! みきまるファンドさん

もっと自分の実力を… New! よびりん2004さん

美波  カワキヲアメ… New! くまんパパさん

シン・ゴジラ発進 New! lavien10さん

金融所得で社会保険… 山田真哉さん

【日本史】三千名以… alex99さん

iPadのキーボード、… ハワももさん

ネモフィラが咲いて… 一緒がいいねさん

キーワードサーチ

▼キーワード検索

フリーページ

サイド自由欄

設定されていません。

© Rakuten Group, Inc.