|
カテゴリ:坐禅
25日午後7時からは恒例の坐禅会でした。三春町の福聚寺で2時間ほど座ります。5分間の休憩を挟んで25分を4回座ります。桜がまだ咲いているので早めに出かけようかななどと考えてはいましたが、あれこれとあり結局はやはり5分前の到着となりました。 同上写真は、坐禅を終えて般若心経を唱えているところ 坐禅中に禅の言葉の解説があります。 今回は、禅語『落花流水太茫々-らっかりゅうすいただぼうぼう-』 花が散り落ちて、それが川に流されていく光景ですが、「茫々」とは果てしなく流れていく様子です。無心に流れに逆らわず、身を任せて生きたらいいという例えです。「 大丈夫、それでいいのだ 」 花が落ちた時に、その場所の川の水と出会う、その落ちる時というタイミングが縁ということになります。 縁起と観音力。 最新刊:「流れにまかせて生きる 変化に応じる「観音力」の磨き方」 思い込みにとらわれることはないのです。もっとはるかな遠い着地点を心に描いて、大きな流れに沿っていって欲しいのです。それで大丈夫ですから。 「流れにまかせて生きる」とはただ流れるままに他に委ねて生きるということではなく遠くの着地点を頭に描いて流れにまかせて生きるということですね。 2009.2.25発刊の観音力を大幅加筆修正し改題しての今回の発刊。興味と関心があれば時間をつくり両方の本を手元にして、どこがどう変わったのか読み比べてみるのもいいかもしれません。 命には宿命と運命がありますが、宿命は「とまる」、運命は「うごく、運ぶ」ということになります。 玄侑さんは「川端康成の場合は、男女の出会いに例えたということです」と言われたのでweb検索してみましたら昭和41年に「落花流水」という題名で随筆集を出していたことを知りました。 禅語「落花流水太茫々」の出典は碧巌録からのようです。そこで碧巌録を検索していましたら「碧巌録と棟方志功」という興味深いものが目に入る。彫刻家・棟方志功は陶芸家の河井寛次郎に出会って碧巌録のことを教えられたようです。 それも40日間にわたって河井寛次郎は碧巌録を棟方志功に講義したとのことです。当然、その教えが棟方作品に精神的な深みとなっていったわけです。 なぜ今回の禅語は落花流水であったのだろうか、ちょうど季節は桜の花の散る季節です。また玄侑さんのホームページ開いてみましたら最新刊に「流れにまかせて生きる」とありました。それも以前に出版した観音力に手を加えたもの。3.11の震災で私たちの生き方のありようにも変化が起こったと言えるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/04/28 01:42:47 PM
コメント(0) | コメントを書く
[坐禅] カテゴリの最新記事
|