カテゴリ:その他
ものすごく暑かったので、ガラにもなくピンクのサンダルを履いてお買い物へ。
そうしたら、スーパーで左の小指をレンガにぶつけた( ;∀;) 何でスーパーの導線にレンガがあるんだヽ(`Д´)ノウワァァァン おかげで、足の小指の爪が青くなっています。 ・・・痛い。 ところで、その後訪れた八百屋さんに、キュウリが売られていた。 まっすぐな「美人」のキュウリは4本で100円。 ひしゃげて曲がった「不美人」のキュウリは11本で200円だった。 「美人」よりも「不美人」を人は嫌うので、曲がったキュウリは安いのである。 そこで、私は不美人のキュウリを迷わず買った。 「美人」は見た目がきれいだから、ダンボールで冷暗所に保管されることが多い。出荷してから大分時間が経っているものも散見される。 これに対して「不美人」は、「美人」に比べて単価を安くしないと売れないし、袋詰するにも均等に入らない。「美人」との競争力は価格設定と鮮度しかないのだ。 今日売られていたものもやはり、「不美人」の鮮度が抜群に良かった。青々としていて、とげが出ており、みずみずしい印象がある。先端に花がついたものもある。 「新鮮だよ」という証拠が次々とでてくる。 思うのだが、キュウリに限らず、曲がりながら大きく育つ野菜には、ものすごくパワーがあると思う。人に個性があるように、野菜にも個性があるのだから、曲がったり、ひしゃげたり、イレギュラーなものもあって当然なのである。 どちらかというと私は人間も「不美人」のほうが好みである。 見た目で勝負できないから、中身を磨こうとする人が多いし、コンプレックスをエネルギーに頑張る人が多いからである。 つまり人間的魅力が大きいんである。 もともと「美人さん」は、必要以上にちやほやされるのが日常だから、下手すると、容姿以外のお世辞とか褒め言葉を実力と勘違いすることだってある(もちろん、容姿の素晴らしさに加え、中身を伴っている人もいるけれど)。 外見は年とともに劣化する。たとえ容姿を、若い頃と同じ回数あなたが褒められていたとしても、「本当にきれいだと思って言われている」のではなく、「お世辞」の割合が増えている、と考えたほうが、勘違いも慢心も生まれないし、無難だと思う。 いつまでも褒められて機嫌をよくして己を磨かず、心の中では相手に舌を出されている人は、結構多いんじゃないか。 時々そういう人をみかけると、あ、気の毒だなと思う。 大切にされて冷暗所で保管された後で並べられた、まっすぐだけどすぐ萎(しお)れるキュウリを思い浮かべてしまうのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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