「献金見直し攻防」(朝日新聞4/29朝刊四面、読売新聞夕刊27日2面)
何、水曜日だからお呼びじゃないって?まぁこの際細かいことはいいじゃないか、ということで久々にあきかずです。Osgiお疲れ。熊さんにはこの間の巨額補正予算について経済学的な観点から是非コメントしてほしいところだが…… さて、今日は献金事件について気になるところがありましたので、コメントします。【要約】 西松建設違法献金事件以来、民主党内で企業・団体献金の見直しが検討されている。自民党では企業献金は残すとの見方が大勢なのに対し、民主党では「5年以内の全面禁止」を提言し、差別化を図っている。 政治資金の規制と脱法は歴史的に見て繰り返されてきたことであり、今回の案は一定の効果を上げるだろうが、献金そのものの透明化を図らない限り、事態は好転しないだろう。(朝日新聞) (参考) 現行法では、企業・組合などの団体からの献金を受け取ることができるのは、政党(支部を含む)と、政党が一つだけ指定できる「政治資金団体」に限られている※。政治家個人に対する企業・団体献金は2000年に禁止された。 ※西松建設事件では、西松建設自体が資金管理団体に献金することが禁止されているため、政治団体を偽装で組織し、そこから「政治資金団体」へ献金したことが問題となっている。企業→○→政党・政党支部 →×→資金管理団体 →×→そのほかの政治団体 →×→政治家個人 朝日が記事内でも語っているが、政治資金の規制に関しては、いたちごっこの状態が長く続いていたことに注目する必要がある。たとえば田中角栄の金脈問題後、三木首相肝いり法案・政治資金法改正によって献金の制限・透明化が行われたが、結果として資金集めのための政治パーティ券売買などでより不透明になったということが有名だ。 だが、朝日が主張するような資金の流れの透明化だけでは根本的な解決にならない。もちろんこれも必要なことではあるが、完全に資金の流れが(有り得ない事だが)透明化されたとして、企業と政治家の疑わしい関係が浮き彫りになるだけのことだ。これは、政治とカネが切っても切り離せない関係にあるからに他ならない。マックス・ヴェーバーが、一般的には、政治的な理想を追い求めるためには、利子生活者である(経済的に余裕がある)必要があるというように、政治はカネがかかるものである。そのカネを供給できるのは、一般より大きな額を扱い、また政治家の方針と利害関係にある企業に決まっているのだ。 ところで首相の言だが「企業も社会において、民主主義のコストを払うべき立場にある」のだから献金禁止は理解できない、という言は面白い。一瞬納得しそうになる。だが民主主義のコストとは、なんぞや?職業政治家が各権力調整のためにばら撒く金や、事務所費のことであろうか? 話が少しそれたが、要は「企業と政治の関係は深く、透明性確保以外の対処法も考える必要がある」ということだった。まず考えられるのは、裁判官と同じシステムだ。つまり、「不正を働かないぐらい十分なカネを、国が援助してやればいい」というもの。ここは「不正を働かないぐらい」とかいうあいまいな表現でお茶を濁すしかないが、その援助で私服を肥やすようなことがあっては本末転倒もいいところだから、うまく調整する必要がある。一方、ドイツのように個人献金の方にアホみたいな税制の優遇をしてみてもいい。そしてしかるべき後、政治資金の流れを透明化させる。アメリカのようにインターネットで完全公開に踏み切るのもひとつの方法だ。 なんだか腹が減って尻切れになってしまったが、つまりどうしても金がかかるなら国がもっと援助する必要があるんじゃないか、という提言でした。参考:欧米主要国の政治資金制度,国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 454 (AUG.4.2004) view: 29,Apr. 2009, http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0454.pdf