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Mar 21, 2007
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カテゴリ:小説 上杉景勝
「わしは徳川の狸爺が憎い、ありもせぬ流言を撒き散らし豊臣家の御為と称し、

己の地盤を固めておる」  景勝の額に青筋がういている。

「お屋形、奴の狙いは利長殿の母上の芳春院(ほうしゅんいん)さまではござらぬ

か」  兼続が思慮しつつ訊ねた。

「なにっー」  景勝の顔色が変わった。

  芳春院さまとは加賀前田家の亡き利家の妻、お松のことである。

  利家の死により髪をおろし、芳春院と称していた。彼女は夫の利家を助け、

賢夫人として故太閤殿下も彼女の存在に一目おいていた。

  家臣たちも新藩主の利長より、彼女に心を寄せていたのだ。

「狸め、前田家を征伐すると威嚇し、芳春院さまを人質とする積もりか」

「左様に心得ます、そうなれば前田家は徳川に反抗できませぬ」

「汚し」  景勝が怒声をあげた。

「来るべき合戦には前田家は、豊臣方として当てには出来ませぬな」

「山城、上方から目を離すな」  「心得てごさる」

  家康は兼続のよみどおり、前田家に謀反の疑いありと在阪の諸将を招集し、

加賀攻めの陣ぶれを発し、陣立てを評議した。それは十月三日のことである。

  この命令も大阪城の秀頼の名でもって行われたのだ。

  これを知った温厚な利長も激怒し、ただちに家康への迎撃体勢を固めた。

  併し、老臣らは大いに利長の器量を危惧し、しきりに利長を諌めた。

  ここに利長も、家康への陳謝と誤解を解くための使者を遣わすことに決め、

胆力と交渉事に秀でた横山長知(ながとも)を急遽、大阪に派遣した。

  家康は横山長知の陳謝には耳を貸さず、芳春院を差し出すよう要求した。

  前田家の当主の利長は、豊臣家に対する二心はないと抗弁したが聞き入れ

られず、芳春院がみずから人質となり事は決着をみた。

  芳春院は息子の利長の器量では、前田家の存続はないとみたのだ。彼女は

身を犠牲として家を守る決意をした。

  こうして豊臣最大の忠臣であった前田家は、徳川の軍門に屈したのだ。

  後日談だが、家康は芳春院が大阪に到着すると、彼女は徳川家の人質であ

ると勝手な理屈をこね、大阪から江戸に送ってしまった。

  これより十五年間、江戸に留め置き、利長が病重くなり死に目に会いたいと

願い出たが、許さず、死後ようやく帰国を許すのであった。

  この知らせを受けた景勝は、徳川家との徹底抗戦を覚悟し、領内統治を

強め、国境の城塞に兵力を集中した。

  さらに彼は自ら国境付近の、戦場予定地の視察を精力的に行い、下野に至

る軍事道路の整備を急いだ。

  慶長五年の年明けと同時に家康の態度が豹変した、突然に問責書が家康よ

り景勝に送りつけられて来たのだ。

「陰謀の疑いがあり、釈明のために上洛せよ」と、命じてきたのだ。それまでは

景勝と家康との関係は、比較的平穏に過ぎていたのだ。

  百二十万石の大藩の上杉家に緊張が奔りぬけた。ただちに山城守の伝令が

各城塞に駆けつけ守りを固め臨戦体勢となった。 

  前田家を屈服させた家康の次ぎの標的が、上杉百二十万石であった。

  彼は巧妙な手を使っていた、何としても謀反の疑いをかける。その役割を

になった者が、越後の堀秀治であった。堀家は越後に入封当時の年貢の一件で

遺恨を残していた、さらに越後支配が思うにまかせない情況にあった。

  越後各地に一揆が頻発していたのだ。

  この原因は、旧領主の上杉家が後方から支援していると考えた、堀秀治は

景勝の会津での行動を入念に探り、徳川家の榊原康政(やすまさ)に一部始終

報告していた。だが、会津転封時に故太閤殿下から許されていた、領国統治と

しての城の築城や改修、道路の修理や新築、建設などは問題視されなかった。

 併し武具の調達や、浪人の新規召抱えが謀反の疑いとされたのだ。

小説上杉景勝(68)





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Last updated  Mar 21, 2007 09:44:30 AM
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