1億総評論家時代の「民意の力」か何だか知らないけれど、そんなものが、どこを向く?
ORICON STYLEさんの 『「世界に一つだけの花」現象にみる1億総評論家時代の“民意の力”』って記事を見た。 ベッキーの不倫騒動やSMAPの解散騒動など、大きなニュースが続いた2016年の年明け。 “1億総評論家”と言われるネット時代において、 ネガティブな話題はSNSを通して瞬く間に拡散され、バッシングの集中砲火を浴びるが、 その一方でSMAPの「世界に一つだけの花」がランキングで急上昇したように、 世の中の人々が一致団結して大きな力になることもある。 もちろん、 道徳に反する行為を犯してしまった人に対して何かしらの意見を述べたい気持ちはわかる。 しかし、衝撃的なニュースが続いているからこそ、 負のパワーではなく、もっと前向きなパワーに変えられないものか、と感じてしまうのだ。 ネットがここまで普及していなかった時代は、主にテレビや新聞、週刊誌など 正規メディアから発信された情報であれば 「疑う」という考えすら出てこないほどすんなり信用していたものだが、 昨今はメディアから発信された情報をまずは疑ってかかるようになった。 ブログやSNSで誰もが意見を発信できるようになった今、視聴者は非常に賢くなった。 誰もが評論家として、ネットサーバーを介して自由に意見を交わし合う。 そして議論をする中で、情報の矛盾に気づいてしまい、がっかりすることも多い。 正規の情報よりも、口コミなど個人から発せられた生の声を信用してしまうのは、 当然の流れなのかもしれない。 で。 ファンを中心に奮起。「世界に一つだけの花」の購買運動を行い、 結果として2/1付オリコン週間ランキングで12年ぶりにTOP3入りを果たした。 1億総評論家時代の“民意のパワー”の強さを改めて感じさせられた。 何か一致団結してパワーを生むなら、できるだけポジティブなパワーを感じたいもの。 と結んでいる。 何と言いますか。 ORICONさんって有名メディアさんは どうして、いまだ60年安保闘争時の、サヨクさん的思考回路から抜け出せない? 「1億総評論家時代の“民意のパワー”」で 『世界に一つだけの花』が何枚売れたんだい? ORICON STYLEさんの仰る“民意のパワー”とやらに一旦、火が付けば。 さすがに 赤ちゃんや独居老人さんは買わないでしょうけど そのぶん、キモ・ヲタさんが、ひとり何十枚も買ってくれるワケで。 週間ランキングTOP3どころか、1億2000万枚を超えて売れたって何の不思議もない? いまのネット社会を1億総評論家時代って論ずるのは あながち間違っているとは思いません。 ただ 評論家さんだから、みんな、白か?黒か?の明瞭な二元論に立つ。 そんな 旧態依然としたサヨクさん的発想方法が、大きくズレている?と。 たとえ1億総評論家時代になろうと 人口の大部分が、平平凡凡なサイレント・マジョリティであるって事実に変わりない? 根っ子から そういう存在である、そこから、どうしても離れられない人々が ネットって発信手段を持ったことで より、その他大勢…失礼、よりサイレント・マジョリティとしての意志が明確になった。 ただ、それだけのお話しでしょう? たとえば。 国民的アイドルグループさんの、ひとりが泣きそうになったと それこそ、涙を流しながら報告する芸能リポーターさん? それは ある意味、マス・メディアさん、みんなの方向性で。 それを見て ○△クン、ほんと可哀想!なんてバカ…失礼、おサルさんは、昔も今も少数ながらいる。 当然 そんなの捏造だ!って小賢しいアンチさんも、これまた、昔も今も少数ながらいる。 ただ、ね。 年収数億のアイドルを可哀想とか、どんだけ貧困主婦層って哀れなの?って ネットに書き込まれちゃうと。 アイドルさんが泣きそうだろうと、リポーターさんが号泣しようと そういう騒動自体が ほんと、どうしようもなくバカバカしくなる。 それが 根っ子からサイレント・マジョリティたる、あたしたちの発想で。 己が心象風景を、まさに言い当てているネットの書き込みこそ あたしたちの心に響く箴言(しんげん)となる? だから あれほどの大事件?だったのに 週間ランキングで、たったTOP3って、大惨敗だったんじゃないの? 国会前に屯(たむろ)した学生さん、ジジ・ババさんも、そう。 新聞・TVの全盛期なら 大マスコミさんは競って彼らを、ひたすら擁護する論陣を張った。 少数の賛同者さんを、ことさら国民の良心と祀(まつ)り上げて 少数の反対者さんを、ことさら民族主義者・独裁主義者と罵って。 偏ったレッテル貼りをして あたしたちサイレント・マジョリティ層を、上手にミス・ディレクトできたかも知れません。 けれど、あたしたち大衆にとって重要なのは しょせん来年の、明々後日の、おコメであって 安保法制がどうのこうのなんて、基本、どうだっていい? と言いますか 平日の真っ昼間からデモ行進?平和集会?…それって、美味しいの?ってこと。 そんな あたしたちサイレント・マジョリティ層が感じる、理不尽さ。 それを、ちょっとネットに書き込まれちゃったら 安保法制がいいとか、悪いとか、でなく。 そういう机上の空論、いや、論点自体が しょせん社会に食べさせてもらっているお花畑さん、いや、階層さんの妄想の域を出ない? そういう事実に あたしたちサイレント・マジョリティ層は気付いちゃう。 だから いまさらダレも惑わされることなく、決って大衆運動には発展しない。 あたしたちサイレント・マジョリティって、さ。 けっこうシニカルだと思うのです。 言葉が悪いのですが 実際に、自分がマジにヤバいと感じない限りダレも動こうとしない。 そういう 被害妄想、いや、集団幻想を、いかに故意に創りだせるか? それこそ、全盛時代のマス・メディアさんの力量に違いなく ときと場合によっちゃ成功してきた。 けど、そんなもの。 たったひと言、皮相的な書き込みがネットに載れば あたしたちは、悪夢から、きっちりかっちり眼が覚める。 だって あたしたちサイレント・マジョリティ層は 現実的な実社会を右往左往しながら懸命に生きているんだ。 ただただ夢幻ばかり追いかけて おコメがなければ霞(かすみ)でも食べましょうよ、じゃ済まないんだよ。 ロマンチシズムがなければ、生きる甲斐はない。 けれど ロマンチシズム「だけ」では、生きちゃいかれない。 なら シニカルに生きるは、ある意味、必然であり、仕方のないこと? それこそ あたしたちサイレント・マジョリティ層の命運、いや、本質に違いないと思うのです。 結果として 夢幻の冒険活劇には憧れるけど シニカルな警句を見れば、夢よりは、より現実的な選択をする。 それが サイレント・マジョリティ層が情報信手段を持った1億総評論家時代ってヤツの現実の姿。 どこを、どう間違ったって 「何か一致団結してパワーを生むなら、できるだけポジティブなパワーを感じたい」 そうは、絶対的にならない。 ダレも夢幻のタメに「一致団結」なんかしやしないし 「ポジティブなパワー」は仮想空間でなく、より現実へと向く。 ほんと、いつまで引きずっているのか、知らないけれど 1億総評論家時代って認識があるのなら 60年安保闘争時の方法論なんか、もう通用しやしないって、いい加減気付いたら、どう? テーゼと、アンチ・テーゼ。 そんなもの ちっとも大事じゃない、なんて、あたしは言いません。 ただ そういう次元とは別に。 現実的でないか?より現実的か? その尺度に照らし合わせれば そんなこと、どうでもいいでしょう? しょうもないことグダグダ言っとらんと、ちいたぁ、まともに働けば? そういう選択肢もあるんだよ。 そして、それこそ 戦後70年に渡り、日本って国家の基幹を支えてきた、 生活の糧(かて)を求め家族の幸せを願い、毎日毎日、汗を流してきた、 あたしたちサイレント・マジョリティ層の、基礎的判断なのかも知れません。 冒頭の記者さんは、何をどう勘違いしているのか、知りませんが。 たかだかオリコン週間ランキングTOP3って そんなの、あたしたち「民意のパワー」でも何でない。 たかだか、その程度だったってのは 反って、あたしたちサイレント・マジョリティ層は、その「民意のパワー」は 完全に、そっぽを向いたってことじゃないの? つまりは あたしたち社会の健全性が、より確かめられたような気もします。 そうです。 国民的アイドル・グループさんだか何だか知らんけど そんなモノより、明々後日のおコメの方が、よほどに大事。 そういう クソ面白くもない健全な人生を、みなさん愉しんでくださいな。 四十面(ずら)下げたオジイ・オバアなんか いまさら、それこそ、どうだっていい。 ぴっちぴちの美少年がいれば、それでいい。 そういう 的外れで哀れな人生は、あたしだけでいい?