どん底(ズンドコ?)
『この悲惨な現実に遺族は
哀しみのズンドコに沈んでいます。』
♪・・・汽車の窓から手を握り(パパヤァ)、送ってくれた人よりも(パパヤァ)、ホームのかげで泣いていた、可愛いあの子が忘らりょか。はぁ。・・・ズンズンズンドッコ、ズンズンズンドッコ・・・♪
私は昨月末から
再び休職となった。
復職後キッカリ4ヶ月目に急に
『酷い耳鳴り』が続き、トテモじゃないが仕事なんて出来ない状態になってしまったのだ。
休職後1週間は何をしても『耳鳴り』が止まらない。
痒みを覚えて
『右から3つ目の鼻の穴を穿っている夢』なんてのを見ていた。
『善悪の彼岸』どころか・・・
『精神の彼岸』と
『此岸』を
行ったり来たりしていたようだ。
しかし、
後、6ヶ月すれば自動的に退職となる。
そう、正に
『人生の崖っぷち』、『どん底』の状態なのである。
『どん底』と云えば・・・。
或るアナウンサー氏が、
冒頭のように
『ズンドコ』と言い間違えたことを思い出す。
そして
『ドリフのズンドコ節』。
まだ・・・
私の精神は
『彼岸』と
『此岸』の
間で
溺れているのかも知れない。
このように、
一部欠落しているものの、
完全に精神が復調した私は、
『壁』とお話する忙しい合間を縫って
ケーブルTVなんてのを見ている。
『寝ずの番』なんて非常に面白かった。
或る豪放磊落な
噺家師匠(長門裕之)の
臨終場面から始まる。
師匠の
最期の望みは・・・か細い声で
「『そそ』が見たい。」
「流石は師匠。」
「死を間際にして未だ『そそ』が見たいとは!」
その言葉を聞いた
一番弟子に頼まれ、
二番弟子(中井貴一)が、
怖い嫁の茂子(木村佳乃)を説得して、
その『そそ』を見せることになる。
病室で師匠が横たわるベッドの
枕元に、
仁王立ちになりスカートを捲くり上げる茂子。
「ジッと見つめる師匠の眼は潤んでいました。」
「嫁の『そそ』を貸して本当に良かったと思います。」
中井貴一の
ナレーションが重なる。
そして・・・
「誰が『そそ』を見たいと言ったぁ!」
「俺は『そと』が見たいと言ったんだっ!」
師匠は3分後に息を引き取りました・・・。
すっかり
嵌まってしまった。
その
師匠、
一番弟子、
師匠の姉(あね)さんと引き続く
葬式の
『寝ずの番』。
噺家一門の『寝ずの番』である。
芸妓だった
『姉(あね)さん』が、
弟子に教えた
『常磐津』(猥唄?)合戦となる後半部分は
圧巻である。
三味線に乗せて
男女の局部を示す言葉が
連発される。
それで
全く下品さを感じさせない。
『芸』の領域まで持っていく様は
見事としか言いようがない。
私もそうだが何時から
『放送禁止用語』なんてのに乗せられてしまったのだろう。
幼少の頃から、
『そんな言葉』は
使うべきじゃないと教えられてきた。
そして
『そんな言葉』を
楽しそうに声高に人前で交わす『田舎の寄り合い』には何があっても出たくなかった。
そんな
ジジイや
ババアの
下品さが堪らなかった。
人の本性って何処にあるんだろう?
自分を着飾っているうちに
『こころ』まで誤魔化してしまう。
それが
『健全』で『教養』なのだと
知らないうちに思い込んでいる。
今でも
下品な『田舎の寄り合い』には絶対に出たくない。
今更『置屋通い』に現を抜かす心算もない。
でも・・・。
『常磐津』の一つでも習ってみたいもんだ。
頑なに縛っていた『こころ』を少しは開放してみるのも良い。