セマウル号船長さんへの死刑求刑は
ちょっと違うんじゃない?と、思ったりする。
そりゃ
捨て置かれて死んじゃった、遺族さんにしてみりゃ
堪ったもんじゃないでしょう。
ただ
船長さんだって、自分の生命は、大事なワケで。
自分の生命と、他人(ひと)の生命を、天秤に乗せて
自分を取ったとして
それ、批難されること?
未必の故意か?不作為の殺人か?業務上過失致死か?
法の解釈は
難し過ぎて、あたしには、よく判らんけど。
自分の生命が、危険に晒されたとき
万事休すを、どうにかこうにか、回避する。
そういうの
緊急避難ってコトで、いいような気もします。
と言うか
それを、責められるヒトって、いるの?
豪放磊落(ごうほうらいらく)に。
自分の生命を危険に晒したけど、ダレダレを救った。
とか
闊達(かったつ)に、述懐(じゅっかい)するヒトが、いる。
そういうヒトって
自分基準で、命を懸けたか?知らんけど
実際問題として、いまだ、生きているワケで。
ほんとに
己が生命を投げ打って、他人(ひと)を救ったヒトは
その場で、死んじゃっている。
だから
「己が生命を投げ打って、他人(ひと)を救ったヒト」ってのは
世界中を探したって
金輪際、ダレひとり見付からないが、道理でして。
なのに
そういう、あくまでも仮定のお話で持って
見も知らぬヒトを、誹謗中傷するは、いかがなものか?と。
そうなったとき
私だったら、迷わず、子ども達を助けます!たって
実際に
そうなってみないと、何も判らんじゃない?
何も、経験しないで。
あるいは
経験したって、所詮、自分基準の絶体絶命で。
そんなで
職制上、救って当然!やら、ヒトとして、救うべき!やら
そういうお話をして、一体全体、どうしたい?
何度か書くけど。
リス族のムラから、チェンラーイまで、木船で戻ったとき
運転を、ど素人さんが代わって、河岸の大岩に突っ込んで、乗り上げた。
衝突するまで
走馬灯みたいな時間の流れのなか
あたしは、自分が助かることしか考えなかった。
ディパックを、お腹と脚の間に、挟んで
激突の瞬間、頭を抱えて、両脚で、強く踏ん張った。
で
木船が乗り上げた途端、大岩を伝って、河岸に降り立った。
ひとり旅だから
友達や家族の心配はない。
けど
友達や家族と一緒でも
きっと、あたしは、おんなじ行動をしたと思う。
切羽詰まったときに
他人(ひと)のコトなんか、気にしちゃいられない。
そういう
身勝手で、薄汚いヒトだけ、どうにかこうにか、生き残っていく。
それが
世間さまだと、思っている。
きっと
心が清らかで、他人ばかりを気遣う優しいヒトは
ウスバカゲロウみたいに儚くて、直ぐに死んじゃって。
そんなで
生き残ってきたのが、あたしたちのご先祖さまで。
そういう、あたしたちから
突然変異で、清らかな優しいヒトが出て
先を争うように、死に急ぐ。
そうなのなら
「己が生命を投げ打って、他人を救う」を喝采する社会に
未来は、ない。
遺伝子の中にだけ
どうにかこうにか、息づいていた、清らかさの、優しさの結晶が
そういう社会じゃ
我を先にと、木っ端微塵に吹っ飛んじゃう。
他人に優しい理想の社会って
実は、ほんとに優しいヒトから順番に自己犠牲を強いる、絶望的な社会。
その二律背反に
ちゃんと気が付いている?
他人(ひと)を救うな!とは言いませんが。
放って置いたら
勝手に、自分を捨てて、他人を救っちゃう。
そういうヒトは
真っ先に、レッド・データ・ブック(RDB)に載せて
何があっても、死なないよう、保護しなくっちゃいけません。
せめて
彼らが、人助けをする前に、精子と卵子を抜き取っておきましょう。
そうしないと
あたしや、貴方や、市民団体さんばかりが生き残る
世知辛(せちがら)くって、どうしようもない未来が待っています。
それと
隔世遺伝とか、先祖返りとか、ありますから。
あたしの遺伝子にだって、清らかな優しさの結晶が
1ミクロンくらい、あるかも知れません。
なので
あたしも、大切にしてください。
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最終更新日
2014年11月02日 12時41分42秒
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