テーマ:たわごと(26728)
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東海道新幹線の焼身自殺事件?について。
読売新聞さんによると 「無職男性(67)と妻(61)は 堺市に住む娘に会うため、1号車の8列目付近に座って新大阪駅を目指していた。 叫び声を聞き、食べていた弁当を置いて後方へ。 1号車はたちまち白い煙に覆われ、煙に追われるように逃げた」とか。 巻き添え被害者さんや、JR東海さんの大被害を考えれば 茶化していい話題ではないのでしょうけど。 「食べていた弁当を置いて後方へ」って、喜色満面…失礼、恐怖冷めやらぬご夫婦と そういうレベルのお話しを、臆面もなく記事にする、マス・メディアさん。 あの、さ。 なら お弁当を食べながら、逃げればよかったの? あたしが中学生のころ 地震の避難訓練があった。 どの学校にも、風変わりな先生はいるもので 天下のナダ中学生と、その他大勢…失礼、うちの中学生との違いを説明してくれた。 ナダ中生は 地震がきたって机の下に隠れたりしない。(…ホントか?どうか、知りません。) 彼らが真っ先にするのは ベランダ側や廊下側の、窓ガラスの破片から身を守ること。 何より、しっかり周囲を見渡して 臨機応変に、自己保全に徹すること。 机の下に隠れちゃったら 何も見えなくなるじゃない?って。 あたしは 周囲が見えていようと、いまいと それ以前に、地震が来ようと、きまいと 自分のことしか考えて…失礼、見えていないので。 周りが、どうだろうと知ったこっちゃない? ただ おサルさんにまで、自己判断を求めちゃうと 収拾がつかんくなって、余計に被害を拡大しちゃったりする。 なので 何も考えんと、みんな、一律に机の下へ!ってのは ある意味、先人の知恵かも知れません。 いや、それにしたって。 緊急事態に、お弁当を、どうのこうのって いつから新幹線の中は、ソマリアみたいな飢餓状態になった? 慌てた度合いを示すにしたって 隣席のガキを蹴飛ばしちゃったとか、倒れたバアさんを踏み付けちゃった、なら…。 いやいや、それでも良いと言ってんじゃない。 そうなら 善悪の如何(いかん)を問わず、その緊急性・パニック加減が伝わってくる。 反対に言えば 今回の事件は、食べかけのお弁当を、どうしようか?クラスの緊急性だった、わけ? 緊急事態と、あたしたちの道徳的性向は、必ずしも一致しない。 どころか あたしたちが、思わず、どれほど不道徳なことをしちゃうか?が その事件の異常性・非日常性・緊急性を物語る。 それを、なんでもかんでも 道徳に背くことはしちゃいけない!そんなこと間違っても報道しちゃいけない! なんて、くっだらない社会。 そんなで、けど、危機的状況を前提に あたしたちが前もって心掛けなきゃいけないことって、なに? 悪平等…失礼、結果平等として ダレもが一律に、厄災に見舞われるを前提に。 ダレも何も考えず、考えさせず みんな机の下へ!お弁当は置いから避難しましょうよ!って、詳細なマニュアル作り? それとも 弱肉強食を、自助救済を大前提に。 災害には、しっかり周囲を見定めて、自分の経験値・判断に頼って生き延びましょう? 申し訳ないのですが。 あたしとあなたが、まるで違うように ヒトそれぞれに、全く異なるのなら。 結果平等の果て訪れる均質的な厄災と、自助救済ごと訪れる厄災とは それを防ぐにおいて、絶対的に両立しないと思ったりします。 何と言いますか。 まずは、自分の才覚を頼って助かろうとするか? 端(はな)っから、他人(ひと)を頼って助かろうとするか?の違い。 いやいや 自分ひとりの才覚・能力だけで助かるハズがない。 だから、結果論としては みなさんのお力添え、ご支援で助かりました、になる。 ただ、ね。 結果はともあれ、まずは個々人の心意気が重要では?と思うのです。 あたしは、ふたり以上で旅行をしない。 ダレかに、ズボッと頼られるのは重いし ダレかに、すっかり身を任せちゃうほど、あたしは、お人好しじゃない。 グループで旅行した経験があるなら判ると思うのですが ど下手な英語を喋ってでも、必死に交渉するヒトと 旅行中、ひと言も英語を喋らないヒトに、決まって分かれちゃうらしい。 ダレもが楽をしちゃいけない、なんて思わない。 楽なら楽に越したことはなく いつだって、シビアな道を選択するなら、それ、単なるドMだから。 けど、ね。 いつも他人(ひと)がいて、こと、自分より優秀そうなら あたしたちって、自分を押さえちゃう傾向がある? なんだかんだで 自分が楽をしたくって、全てをダレかに押し付けちゃうなら あたし自身そうだから、ことさら非難したいと思わない。 ただ 自分で自分を抑え込み、自ら身を引いて、結果、ダレかに、みんな任せちゃうなら お互いにとって不幸だから、止めた方がいい。 まるで喋ろうとしないヒトを、喋って交渉するヒトは コイツは、どうして、いつも他人(ひと)任せなの?と不満に感じて 慣れない旅行で疲れが溜まる一方だから、何かをきっかけに爆発しちゃう。 喋らないヒトは、喋らないヒトで 彼女が頑張って交渉してくれているのだから、と、行きたい場所も言い出せず我慢して。 そんな中、いきなり、一方的に非難されたら。 はぁ? わたしは、ずっと我慢してんのに あんたは好き勝手に、自分の行きたいトコだけ行ってただけ、じゃん。 ふざけんじゃないよ。って、お腹の中が煮え滾(たぎ)っちゃう。 そこから、別行動にすりゃいいのでしょうけど。 それまで ひと言も英語を喋らなかったヒトは、旅行前より一層、英語に臆病になっていたりして いまさら、ひとりで旅行する自信がない? で、完璧に、主従の関係が決まっちゃう。 片一方は、より傲慢に、片一方は、より卑屈に、って。 ただ、その一番の問題は 傲慢な方?は、己が傲慢さを、決して自覚しちゃいない、ってこと。 旅行も終盤に近付けば、それでなくても疲れが増してくる。 なのに、こいつは、すまし顔でひと言も喋らない。 いけしゃあしゃあと、みんな、わたしに押し付けてくる。 もう 我慢も限界だ。何かあったら言ってやろう!って。 傲慢な方?も、実は、ムチャクチャ我慢していたりする。 緊急事態の、限界点に近づくほどに増す、相互の不信感。 それこそが最大の問題点。 そんなの お互いが、お互いから解放されなくっちゃ、どうしようもないじゃない? そんな、クソ…失礼、う○こ面倒な事態に陥りたくない、ので あたしは、よほどのことがない限り、ふたり以上で旅行したりしない。 逆に言えば。 ひとりで旅行可のヒト同士なら、何人かで旅行しても その分、楽できるし、イヤになったら、バッラバラになればいい。 まあ、妙な安心感から、いつもは避ける裏通りに入ったりして 危険度は激増しちゃいますけど、ね。 というか ワガママ一杯同志が一緒に行動して、何が面白い?と思わんこともない。 緊急事態に備える、って そういうことだと思うのです。 物怖じすることなく まずは、ひと言でも、自ら英語で喋ろうとすることだと思うのです。 JRさんの緊急対応マニュアルの整備が大事!とか、高速鉄道にも手荷物検査を!とか ダレかに、他人(ひと)に、任せっ切りにする危機管理は あたしたち自身の、備える心を萎(な)えさせる。 新幹線での焼身自殺を、どう防ぐか?なんて、不毛な議論は 日本以外全部沈没の事態に あたしたちは、世界の人々と、どう幸せを分かち合うか?と同じくらいに、くっだらない。 そうしたいなら、お好きに、すればいいけれど。 みんな、机の下に!って、マニュアルの規定ばかり増やして、どうしたい? そんななら 窓ガラスに注意して、ひとまず、周囲を見渡してごらん?って。 それが、無理なら。 せめて、何かあれば あたしたち自身で、あたしたちの、もっとも大切なものを守りたい! そういう心意気くらい、あったっていい。 少なくとも 食べていた、お弁当をどうしたか? しょうもない道徳観に拘って、それで、その緊急度が判るとする、お花畑な社会って 絶対的に、間違っているような気がします。 まあ、食べていたのが、うなぎ弁当だったなら あたしは、逃げ遅れちゃうかも知れませんけど、ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年07月01日 14時10分23秒
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