テーマ:たわごと(26751)
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産経ニュースさんが
『高槻少女殺害 男児の遺体を○○さんと確認 最悪の結末に』と報じている。 ごめん。 遺体が、ダレなら、最悪じゃなかった? 遺体が見つかった、いや、遺体にされちゃった時点で ダレにしたって、最悪の結末。 マス・メディアさんに取って 死体や遺体は、日常茶飯事。珍しくも、何ともないかも知れません。 けれど 殺されちゃったヒトは、ダレも、たったひとつの生命なんだよ。 高みの上から、ヒトの生命を見下してんじゃない。 と。 とりあえず、一端(いっぱし)の善人を気取ったところ、で。 題名は忘れちゃったけど。 大昔に見た映画に 出会うヒト、出会うヒト、みんな、打っ殺していく作品があった。 さすがに、あたしも 何を考えているの?と。 いや、主人公に、でなく そういう映画を作っちゃったスタッフさんに。 こっちは、見てなくて 読んだ本に出てきた、挿話(そうわ)。 西部劇の時代。 街を牛耳る悪党一味に、イジメ抜かれて、大事な親友まで殺されて。 最後の最期 悪党が結集する酒場に、単身、乗り込んでいく。 ありったけの弾を詰めて。 当然に 映画は、そこで「fin」が出る。 どちらに より、感情移入できますか?って質問に。 正直に答えて、最初の方!とか言うと…速攻で、公安さんに通報されちゃいますから。 その選択肢は、有り得ない。 だからって ダレが、どう考えたって、犬死…失礼、ハチの巣でしょう?って結末に 自分を重ねたくもない。 だから 心情的には、もちろん、後の方。 でも、どちらにしたって 多くのヒトが死んじゃうワケで、わたしは、どっちもイヤだな。 それが 模範解答かも知れません。 ただ、ね。 映画である限り、フィクションである限り。 より大量に、よりド派手に、かつ、惨(むご)たらしく ダレか打っ殺される方が、やっぱ、面白いワケでして。 昨今、流行(はやり)の残忍なシーンはいけません、で、殺害の描写もなく さらに、根っこから悪いヒトはいないとばかり 猟奇殺人者さんすら最後に改心し、公安さんに逮捕されて、お終い。 そんなで あたしの、このモヤモヤ・鬱憤…失礼、無残にも殺されたヒトが救われる? おサルども、いや、教育委員会さまご推奨の予定調和も 大概(たいがい)になさい。 エンターテインメントと、情操教育と、その区分も出来んと 隣国みたいに、どうしようもない…失礼、おバカばかりになっちゃうよ。 主人公が、王さまと、美しいだけの小娘だったり 公爵さまと、小賢しいだけの小娘だったり。 そういう 上品に、ただひたすら上品に、突き進む物語も嫌いじゃない。 へっ。何これ?って、睥睨(へいげい)しながら もう、ほんと。このイライラを、どうしてくれる?って、己がドMの性根を あたしは、それほど嫌っちゃいない。 ただ。 どこか、うらぶれた歓楽街、その裏通り。 僅(わず)かなお金で身体を売る娼婦さん、若しくは、その情夫さんが、主人公だと もう、それだけで堪らない。 ジャズやらブルースやら、切れ切れに聞こえてくる酒場に いつしか屯(たむろ)するようになって。 惨(みじ)め、そのままに生きて、まんま、惨めに死んでいく。 退廃的と言いますか、汗まみれ・泥まみれ故(ゆえ)の耽美(たんび)と言いますか。 それを 渇望する感性が、間違いなく、あたしにはある。 「人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る。 私の馬よ。その瞳よ、たてがみよ、蹄よ。 素直に、愛しく幻想を胸に抱くことが出来た。 私が生まれたのは真夜中近くだったという。家に着くのがちょうどその頃だろうか。 今夜は丁寧に髪を洗おう。 いよいよ数を増す白銀の天の使いに、私はそっと呼びかけた。 ―――それまでは、雪よ、私の髪を飾れ。 」 あいにく、退廃的でも耽美的でもなく 健康そのものの上品な、上流階層のお嬢さん。 大学生という、どこか、もどかしい自由を手に入れて ちょっと、いろいろあって。 不意に迎えた、とっても素敵な誕生日。 この引用は その後、駅に向かう場面で、彼女『私』が口にする言葉。 何も知らない少女が 己が人生のドアを自ら開けようとして、する宣告、その気負い。 この最後に あたしは、泣きそうになった。 ほんと 北村薫さんは、素晴らしい。 連作では最初の、この『空飛ぶ馬』を最後に 気取った終わり方はしていない。 さすがに、ちょっと気恥ずかしくなったのかも知れません。 こんな、あたしだって 生(き)の自分を見せるくらいなら それこそ、死んだ方がまし。 だから シリーズ5作目の『朝霧』では、大御所の古老作家さんの口を借りている? …『私』が話す『高井几董』を聴いて… 「一代の才人は、実は彼らしい最期を遂げた、と。 しかしね。 僕は君に『そういう人を好きだ』と言ってほしくはないね。 そういう生き方に感傷的な眼を向けるのは、いかにも若い。 ――自分の才能を信じつつ、 しかし、早手回しにうまくいくわけはない、挫折するだろうと読む。 そんな思いを重ね合わせて『几董』を甘く包んでいるんじゃないのかね。 」 「いいかい、君、好きになるなら、一流の人を好きになりなさい。 それから、これは、いかにも爺さんらしい台詞かもしれんが 本当にいいものはね やはり太陽の方を向いているんだと思うよ。 」 残虐はダメと、キレイごとばかり語るのも 上品さを垂涎(すいぜん)して、ことさら上品に語るのも、いい。 うらびれた歓楽街で、その裏通りで 退廃的な、汗まみれ・泥まみれの耽美を語るのも、いい。 ただ。 あたしたちそれぞれが 生のまんまの自分に対峙したとき。 さあ 果たして、太陽は、あたしたちの思いは どこを向いている? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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