テーマ:たわごと(26728)
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♪知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちの事を 飲んで騒いで 丘にのぼれば ………♪ またまた 『トットてれび』さんです。 森繁さんが唄う『知床旅情』を聞くと 学生時代に旅した北海道を思い出しちゃいました。 とうぜん、お金がなくて 行きと帰りに夜行列車に乗る周遊券と、宿はユースホステルのドミトリー。 それでも 飛びっ切りに愉しかったのは、やっぱ若さってヤツなのでしょう。 あたしが旅した北海道って 時代が止まっている、と言いますか。いくつもの時代が雑居している、と言いますか。 その旅じゃ 森繁さんの『知床旅情』と、拓郎さんの『落陽』が平気な顔で同居していた。 いくらババむさい、あたしだって 学生時代に懐メロなんか聞く趣味はない。 そんなの どちらも知らないよ。 けれど 貧乏くさいユースホステルには、とってもお似合いなんだよ。 『知床旅情』にしても『落陽』にしても ホステルのお兄さんが、フォークギターを一本持って 見ず知らずのあたしたちみんな、真っ赤な夕陽に向かって歌声を張り上げる。 それって ちょっと感動的じゃない? けっきょく、北海道にいる間に もの覚えの悪いあたしだって、どちらもソラで歌えるまでになりました。 なんだかんだで 青春の1ページなんでしょうね。 いま 北海道を旅する学生さんは、どうなんだろうね? まんま同じだ、と さすがにキショク悪いワケですけれども。 曲は違っても 同じようなことをしているのかな? おなじ世代の見知らぬ他人(ひと)と 一期一会(いちごいちえ)の おなじ感動を共有しているのかな? お話を戻します。 むかしの感傷も、そうなのですが。 たぶん、みなさん。 『トットてれび』最終話を見て、とっても感動したのは 老人ホームで 元中華店主のお爺ちゃんが、いきなり歌い出しちゃうシーンだと思うのです。 予定調和な、なんとかかんとか懐メロ歌謡を みんなで、よってたかって歌いましょうよ、ってときには、知らんぷり。 そんな彼が TVで森繁さんの歌を見た途端、ひとりきり大声で歌い出す。 ♪別れの日は来た ラウスの村にも ……… 忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん 私を泣かすな 白いかもめよ♪ 何て言うのかな。 お爺ちゃんやお婆ちゃんって、さ。 きっと そういう気分なんじゃないのかなぁ。 よってたかって仲良しこよしもいいけれど。 お別れのとき、別れが近付いてきたとき、くらい 好きなようにさせとくれ、って。 幼稚園児みたいに みんな揃ってお歌もお遊戯も、いいさ。 けれども 誰しも必死になって生きてきたワケで 誰しもヒトとしての矜持があるワケで。 なのに、歳を取ったからって 子どもや まして孫の世代の特養職員さんに促(うなが)されるまま みっともないことばかり、やっていられるか、って。 論語に「七十而従心所欲不踰矩」ってあるじゃない? 七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。 まあ 70にもなれば、それなりに人間が出来てくるでしょうから てめぇの心のまんま振る舞っても、人道は外れないでしょうよ、ってことなんだろうけど。 それって 裏を返せば、それまでの69年間に 「心の欲する所」を、いくらもやって、散々な目に遭うって経験が必要なワケで。 でも、「心の欲する所」じゃなく 何かと「他人の欲する所」ばかり強(し)いられてきて。 いきなり 70歳になっちゃいました。好きなように振る舞ってくださいな、って言われたって、ねえ。 そりゃ 暴走老人にもなりますよ。 なのに それじゃ社会のお荷物…失礼、害悪だからって おババに限らず、おジジも「老いては子に従え」ですか? いつの時代の修身の教科書だ、って気がしちゃいます。 あたしがNHKさんを好きなのは きっちり明暗のコントラストを描き分けるから。 この お爺ちゃんが、突然、歌い出すシーンに 老人施設の若い職員さんは目配(めくば)せし合って、薄ら笑いを浮かべてんだよ。 ほんと。 もう、どうしょうもないクソ・ジジイだね、って。 何だっていいから みんな一緒になって盛り上げましょうよ、って予定調和な演出が多いなか 大いに盛り上がるお年寄り世代と、冷めた目線の若い世代の描き分け。 これは 正直、すごいと思いました。 あたしたちの行動を抑圧しちゃうのは 法律でも、社会常識・良識でもなくて あんがい 周りの冷めた視線じゃないのかな? 一回でも それを経験しちゃうと そうされている他人(ひと)を身近で見ちゃうと。 もう 周りの視線ばっか気になっちゃって 「己が心の欲する所」もクソ…失礼、何もない? それで ひたすら当たり障(さわ)りのない69年間を過ごしちゃう、と? けっか、「七十而従心所欲不踰矩」どころか 棺桶に入るまで「他人の欲する所」ばかりを強いられてお終いですか? なんだか 凄まじく哀しい人生だよね。 あの、さ。 歌いましょうよ。 叫びましょうよ。 お別れの日は、もうすぐ来るんだよ。 なのに 世間さま、気まぐれカラスさん、ばかり気にして 何でもかんでも自重してんじゃなくって、さ。 思いっ切り 忘れちゃいやだよ。泣いちゃいそうだよ。 オレはワタシは、ボクはアタシは、ここにいるんだよ。って お腹の底から叫びましょうよ。 そういう、みっともなさって 人生の終わりには、アリだと思うのです。 なんでジジ・ババになってからも EU、いや、周りの眼なんか気にしなきゃならないんだ? 『知床旅情』も『落陽』も 一期一会のお別れが主題(テーマ)だから サビの部分は、Am(Aマイナー)? その短調が 旅情を、哀愁を誘う。 そういった思い出を胸に きっと あたしの老後もマイナーな調べに沈んでいることでしょうよ。 けれど、だけども、それでも Aマイナーを打ち破ってでも。 すぐに忘れたっていいけどさぁ。 あたしは、ここにいるんだよ、って、大声で叫んでいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年06月25日 01時37分27秒
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