テーマ:たわごと(26728)
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Yahoo!ニュース編集部さんの
『「食べない」人々――グルメ時代に抵抗感?』って記事です。 とある俳優さんは都内の医療機関で指導を受け、 30日間の「不食」を実践しながら、出演中の撮影所に通っていた。 「正直、『ぜいたくな食事』に抵抗感があるんです。 食べることが楽しいというのはわかりますし、 『食を楽しむ』ことで多くの人が生活できているのもわかります。 だから『グルメ』を否定するつもりはありません。 『粗食のすすめ』なんて啓蒙するつもりもない。 ただ、個人としては、『毎日おいしいものを食べなさい』という マインドコントロールをされ続けているように感じる世界から、 ちょっと距離をおいてみたかったんです」 福井県にある断食道場さんでも 10代から60代までの女性の参加者が年々増えているという。 「私どもの断食道場には ダイエット目的だけではなく『自分を変えたい』というお客さまが集まります。 空腹の我慢大会ではなく、心身をリセットすることで、よりよい自分になっていただく」 『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』などの著書さんは、 「不食ブーム」について、「既存の食の在り方へのカウンター」だと指摘する。 「食というのは、現代において、 カウンターカルチャーを表明するのに、もっとも重要な領域になっているんです。 そういう背景があるから、『不食』にしても、『断食』にしても、 貧乏で日々の生活に困った人が取り組むことではないんです。 知的水準が高くて、生活にもそれなりにゆとりがあって、 現代のメインカルチャーを味わうことができるアッパーミドル層が、 『ちょっとこれは違うんじゃないの?』と考えて、行動に移していく。 1960年代に、アメリカ西海岸を中心に流行した スピリチュアル的なムーブメントであるニューエイジなんかとも、 思想の面から見ると重複する要素も多いと思います」 一方、食にまったく興味がなく、 食のことを考えたくないがゆえに「食べない」人々もいる。 山形県に住む女性のAさん(44)は、 毎日コーヒーを2杯程度と、 「生野菜サラダ、チョコ2欠片、ビスケット2枚、季節のフルーツ1個」のうち いずれかを摂るだけという「食べない生活」をかれこれ2年続けている。 「もっと効率よく生きられないのかなと思ったのが、食べない生活に入るきっかけでした」 「1日に3回食べて、そのたびに眠くなって、1日1回排泄をする。 この、当たり前のことの繰り返しを、なんとかできないかなと思ったんです。 食料を買うにもお金が必要ですし、料理だってしなくちゃいけない。 食べたそばから、次のごはんは何にしようかと考えないといけない。 当然、ゴミも出るから捨てないといけない。 もっと効率よく生きられないのかなと思ったのが、食べない生活に入るきっかけでした」 「食にまつわることを減らすことによって、 もっと他のことができるんじゃないかと考えたんです。 私はべつに食べるために生きているんじゃないって」 「何を食べようかなと考えるのも、実際に口に食べ物を入れるのも面倒」と語るBさん。 「食べないと空腹感が出てきて仕事に支障が出てくるのが嫌なんです。 だから、それを避けるためだけに食事をしている感じですね。 朝は食べずに出社して、そのまま仕事。 だいたい1日に2食は食べていると思いますが、 そのうち1食はファミリーマートのおろしそばを食べています。 何を食べようかなと考えるのも、実際に口に食べ物を入れるのも面倒なので、 心の底から仙豆が欲しいなって思いますね」 このあと、記事は 「食のトレンドの追いかけ」さん、いや、専門家さんとか 摂食障害専門の精神科医さんとか、女子栄養大学副学長さんとか。 ご高尚でご立派で ごくごく一般的な「1日3食バランスよく食べましょうね」とか語って終わっています。 自慢ですが あたしのお話をさせてもらいます、と。 学生時代とか一番お金がないとき あたしは ひたすら寝てました。…動くとお腹が空(す)くから。 就職したってお給料が安かったので 炊くご飯がなくなると…冷奴をメインに、野菜も何も入っていない湯豆腐がオカズ。 ほかにもタンパク質として 「物価の優等生」タマゴを日に、ふたつみっつ。 お店で食べるのは除いて 入社数年後までスーパーさんじゃお肉もお魚も、一遍も買ったことがなかった。 そんなで、年に一度 健康診断を受けると、タンパク値が異常に高いんだよ。 どういう食生活をしているの? お豆腐と…タマゴを日に少々。 ……… タマゴは1日ひとつにしましょうか。いつも、そう叱られていました。 『あゝ野麦峠』じゃ 「みね」ちゃんはタマゴを食べられなかったんだよ。 病気で憔悴(しょうすい)しきって それでも、こっそりもらったタマゴは もったいなくてもったいなくて、どうしても口にできなかった。 なのに ご仏前には…タマゴが山盛り? 小学生のとき無理やり見させられた映画ですので、間違っていたらごめんなさい。 ただ、これを見てから あたしはトラウマになっちゃった。 何かあったら そう。タマゴさえ食べていれば死ななくて済む…と。 あと、忙しい時分ですか。 なんだか毎日毎日3年間くらい ずっとココイチさんばかり食べてましたよ。 終電前の2、30分で ちゃちゃっと食べられる、って、そこしかなかったもの。 うち、ど田舎ですから。 まあ 睡眠を3時間くらいに削れば お家でお料理ってのもアリだったんでしょうけどね。 でも そういう根気や非常識を、あたしに求めないでもらえます? オカゲさまで ひとりきり海外に遊びに行っても 食べられないお料理なんてありません。 大っ嫌いな香菜(シャンツァイ:パクチー?)だって ひとつひとつ小まめに取り除けば まるで味がしない中国のラーメンでも、どうにか食べられます。 スターフェリー香港島側船着き場で食べた 日本人向け!甘くて甘くてたまらないエビチャーハンにしたって ギリで捨てずに食べ切りましたよ。 ほんと あたしってば、えらい、えらい。 だから、なのか? もともと、なのか? あたし 行列に並べないんですよ。 つーか 並んでまで食べたいもの、欲しいもの、ってのが むかしから、あたしにはない。 産まれついての、どビンボたれですからねぇ。 これが欲しい、あれが欲しい、とか言って お母さんの悲しむ顔を見たくなかった? とうぜん 何回も泣かせちゃいましたけど… てか、容赦なく引っ叩(ぱた)かれた? それはそれ だって 子どもって、そういうものでしょう? けれども 小学生高学年から、ご本に夢中になると… もう 三次元世界、いや、現実的なモノなんて、どうでもよくなっちゃいました。 だって ご本を開けば、目を瞑(つむ)れば 何だってあるんですよ。 満漢全席も、エリゼ宮の豪華フランス料理も…マッチに浮かび上がる幸せも。 まあ、そこに タマゴかけご飯や豚の生姜焼きが、きっちり入っている? そういうとこ ガキの想像力の限界でしょうけどね。 貧困の連鎖とか何とか 相も変わらず 世間さまは、やたら煩(うるさ)いんですけど。 学校の図書室なり、街の図書館なり ご本なんて、どこでも読める。借りられる。 ページを 開くたび現れ出(いず)る豪華絢爛さに目を奪われながら パンの耳をかじっている、って、そんなに不幸せなこと? それじゃ塩分の取り過ぎになりますよ、ってなら お豆腐にタマゴかけご飯じゃ、ダメ? 読書って、さ。 生き残るための知恵が身につくんだよ。 世間さまの理不尽さ、不条理ってヤツも知れる。 そうすりゃ 凍える街路で、ひとりきりマッチを擦(す)りながらも幸せな 最期を迎えることはない? 何と言いますか。 あたしにとって「食べない」ってのは あくまで結果論でありまして。 それを 「スピリチュアルなムーブメント」とか、「カウンターカルチャー」とか ひ弱な、いや、ご高尚な文化論に仕立て上げちゃうのは…ちょっと違うかも?って。 だって なら、あんたは大飢饉の真っただ中でも そんな風に気取っていられるのかい?ってお話ですよね? 大むかし中国には 纏足(てんそく)や、長く長く爪を伸ばす、って美意識があったじゃないですか? ルノアールさんが好んで描いたブタ、いや、豊満な女性は 時代や、ヒトそれぞれの好みでしょうけど。 あえて 畸形させた踝(くるぶし)とか、伸びすぎてノタウチまわった爪とか、美しいワケがない。 あれ こんご一生涯、何があっても働かなくていい。その象徴だったと聞きます。 纏足じゃ いつも誰かに支えてもらわないと、身動きひとつできやしない。 あちこち向いて 手のひらを何倍もにして伸びた爪で、文字なんか書けないでしょう? キーボードだって打てないよ。 そんなじゃ事務仕事すらできやしない。 一生涯、何があっても働かなくていい。 あえて 畸形とすることによる、絶対的な富裕の象徴。 そういう バカバカしいことを、とうじの中国人さんは 美意識にまで昇華しちゃったんですよ。文化論にしちゃったんですよ。 なので どビンボたれのあたしから言わせてもらえば。 「食べない」って あえて種の保存に反した畸形を ひたすら文化として論じちゃおうとするバカ、いや、おヒトって あなた、どこの貴族さまなの?って感じですか。 べつに、いいですよ。 誰が何を、どう考えたって、そのヒトの自由ですから。 けれど こんご、どビンボたれになって 文化論もクソもなく実際問題として、「食べられなく」なったとき あたしのタマゴかけご飯を じいっと見つめたって、絶対にあげませんからね。 あと。 「もっと効率よく生きられないのかな」にしても 「何を食べようかなと考えるのも、実際に口に食べ物を入れるのも面倒」にしても。 あなた スティーブ・ジョブズさんとか、マーク・ザッカーバーグさんとか、を 気取っちゃっています? 毎朝、どんな服を着るのか?考える時間すらないので 何枚も何枚も、おなじ服しか持っていないとか何とか、って、あれ? お洋服ならいいですよ。 たとえスッパだって 極寒のシベリア・オイミャコン村でもなきゃ死ぬこたあない? まあ、社会的には 即死かも知れませんけど。 でも いくら面倒だからって「食べない」はないでしょう? そこまで時間がない、面倒だ!ってなら いっそ死んじゃ…いや、永遠の刻(とき)を感じてみては? 食べることすら、効率が!効率が!のヒトって どういう「効率的な毎日」を送ってんですかね? 濡れてもないのに、いきなり突っ込まれて嬉しいのかい?あんた…って、下品で、ごめん。 とにかく 「もっと他のことができるんじゃないか」ばかリ気にするヒトって 何をしてたって、いつも気もそぞろ? けっきょく 何も続けられなくて、何も達成できないで終わっちゃいそうな? 何ごとにしたって 非効率も、不条理もありますよ。 それを ときに、ぐっと我慢するのも、また、人生の醍醐味(だいごみ)ではないかしらん?と。 つまりは 3年間、毎日毎日、ココイチさんばっか食べてみなさいよ、ってお話です。 ほんと いい加減、生きてんのがバカバカしく思えてきたり? って それじゃダメなのか。 まあ どうでもいいですけど。 「1日3食バランスよく食べましょうね」までは、どうだか判りません。 けれども。 まずは、お腹いっぱい食べてみましょうか。 お話は、それからです。 いつも あたしは、そう思っています。 単細胞な、あたし「だけ」かも知れませんが。 いくら 憂鬱だって、ウジウジ悩んでたって…。 とりあえず お腹いっぱいご飯を食べましょうか、で 十中八九、何とかなっちゃいます。 何と言うのかな。 もうほんと、どうしようもないな、ってときでも ムリしてお腹いっぱい食べる。食べられる。 それって お天道さまの下(もと)、前を向いて きりっと目線を上げる覚悟をしたってことじゃない? あたしは 壁があったら逃げて逃げて、逃げ切れたなら儲けもの、のヒトで。 お腹が空(す)いたら戦(いくさ)はできませんよ、なら そもそも戦なんかしなきゃいいじゃん、ですけれど。 お腹が空いていたら、逃げるに逃げられないんですよ。 ぼおっと突っ立っているだけで 誰かがやさしく恵んでくれるのは日本くらいのものですよ。 まして どうしたって逃げきれないと悟ったら。 もう ハンマーでも、バールのようなもの、でも何でも持って 壁をぶっ壊しに行かなきゃ仕方ないでしょう? その覚悟が、その第一歩が お天道さまの下、前を向いて、きりっと目線を上げる、で。 そんなの空腹で どうやってやるんだよ?ってお話ですよ。 ですから お腹いっぱい食べて解決しないなら もう何をどう悩んだって、どうしようもないでしょう?と。 だったら それ以上、悩むだけ考えるだけ、ムダじゃない? お腹いっぱい「食べること」は あたしにとって かるい絶望から、なんくるないさーに変えちゃうスイッチなんですよ。 ですから、みなさんも まずは お腹いっぱいご飯を食べましょう。 冒頭の記事みたいに 「食べない」から あれやこれや、どうでもいいことばかり考えちゃう? それを 文化論や信念や、ときに美意識にまで昇華しちゃって 纏足や、長く伸びた醜い爪までも ああ愛(いと)しいと、うらやましいと愛しちゃっている? まあ あたしの知ったこっちゃありませんけどね。 というわけで ご提供は日本米飯推進協議会さんでした。 って そんな団体さんはないですからね。 ウソですからね。 そう。 なにもかも…??? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年02月12日 12時35分34秒
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