さて、先月の25日は徳島県南の札所へ向いました。
徳島駅に降り立ち、駅前のバスターミナルで
21番札所の麓へのバスを待っていると、お遍路さんに
会いました。
挨拶すると話しかけられて来られました。
「どちらへ」
「太龍寺です」
「私は焼山寺です」
お互いのルートを確認しあいます。
「公共交通機関を使うんですか?」
そう私が尋ねると
「ええ、3回目までは歩いたんですが、体力もありまして」
「暑い夏などアスファルトを歩くのは意味がないですね」
「そうです。やはり、土の道が良いですね」
何度も廻ると、あえて長距離のアスファルトの道を
歩くことが意味がないことに気づくのでしょう。
そういう人がいることがなんとなくうれしかったです。
一方で「土の道が良いですね」とか言われると、天邪鬼の
私などは斜めに構えてしまい、同意できません。
本当にそうなら、アスファルトの道など作るべきではない。
地道なら、まだ生き物が生息する余地がある、しかし、
アスファルトはどうだろう?
そんな道が人間にやさしいわけがない。
でも、アスファルトの道が次々とできるのは
どうしてだろう?
近年、歩き遍路ブームに載って、
「わざわざ廃道になっている古道を復活させたり」
「整備が生き届かない遍路道の草刈りをしたり」
する人たちがいる。
私はそれには反対だ!
鳩山ではないが
「日本列島は日本人だけのものではない」
わざわざ、遊びで遍路道を整備することによって、
森に住む生き物たちには大きな影響が出るのだ。
人間が生活のために、山を開いて使うのは、
勘弁してもらおう。
でも、遊びでそうするのはいかがなものか?
人間が遊びで開いた道によって、たくさんのミミズが
干上がりモグラが死んでいる。
遊びで通る道など開かないで、森に返してあげれば
そういう事はないのだ。
そういう現実を見たならば、「土の道が良いですね」
などとは口が裂けても言えない。
長々と嫌味を言ってしまいましたが、今回の遍路で
予想以上に公共交通機関を利用して遍路している人が
多いことに気づきました。
さて、徳島駅前からバスに揺られること、1時間半超
21番札所の麓の和食東バス停に着きます。
そこから、歩いてロープウエイ乗り場まで一キロ弱。
その途中に番外霊場蛭子神社があります。
この見事な鳥井杉(@_@;)
四国遍路は神仏両参りと言います。
一体どういう意味なのか?
私の解釈はこうです。
四国遍路は札所を巡ってお大師さんにすがる旅(仏参り)
しかし、その、霊場を守って来た四国の人たちに感謝する旅
その形のしての、四国の人たちが守してきた神社にお参りする
(神参り)
この二つの(仏参り)と(神参り)を合わせて、神仏両参り
と称したのではないか?というのが私の解釈です。
徳島県人である私が「遍路は四国の人に感謝せい」というのは
えらそうな言い方に聞こえるかもしれませんが、もともと
私は徳島県人ではありません。
この考え方は、縁あって四国人になる前から思っていたことで、
現在でもそう思っています。
そういう考え方のもとに、私はできるだけ、四国遍路中は
神社に少しのお賽銭を上げてお参りするようにしています。
さて、ロープウエイで山上へ向います。
21番札所は「西の高野」と言われる太龍寺です。
阿波の不思議霊場(18番~23番)
ロープウエイに載っていたのは数人。
私が本堂でお参りしようとすると、他の人はお賽銭を
入れただけで大師堂へ移動していきます(@_@;)
今年、気になるんですが、お参りしないお遍路さんが
増えましたね(*^_^*)
納経を受けた後、境内の北の端にある納経所から
15年ぶりに南舎心に向います。
お大師さんが行をしたと言われている場所です。
意外に登りがきついですね(*^_^*)
年齢を感じます。
お大師さんの後姿発見(*^^)v
15年前は、このお大師さんのところは立入禁止
だったんですが、行けるようになってました!(*^^)v
ただし、この日は霧が深く、岩場が濡れ、足がガクガクに
なっている私は、文字通り「捨身」になる恐れを感じて
行きませんでした(;一_一)
再び急坂を下って、端の納経所へ向います。
滞在時間が一時間になってしまいましたよ(*^_^*)
さて、下りのロープウエイですが、妙齢の案内のお姉さんと
二人っきりでした(*^^)v
「全部歩いているんですか?」
「いえ、ロープウエイに載っているくらいですから」
「そうですよね。」
「二年前も同じ質問されませんでした?」
「・・・」
二年前も多分、二人っきりでしたよ。
このお姉さんもお大師さんだろうか?(*^_^*)
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