さて、講演と歩き遍路と遍路のお接待団体の活動紹介が
終わった後、意見交換会がありました。
主催者側は
「四国遍路を世界遺産にする機運を盛り上げるために、
こういう活動をしている。こういう提案はどうだろうという意見を
お願いします。」
と言われておりました。
実際、会場でお話をされた団体以外にも多数の遍路関係団体が
こられているようでした。
その話を聞いていて再び違和感を感じることがありました。
「お遍路さんとは歩きのお遍路さんだけのことなのか?」
実際、お接待をされている団体の方は、お寺の境内の近くで
では無く少し離れた場所で「歩きのお遍路さん」しか通らない
道でお接待をされています。
招かれていたお遍路さんも「歩き遍路」の団体の方。
他にも遍路道を整備したり復興されたりしている団体の
方が来られていました。
実際、会場での話ではお遍路さんは年間15万人。
歩き遍路のお遍路さんはそのうちたった5000人。
トイレを等間隔に作って欲しいとか看板を増やしてほしいとか
意見があったんですが、たかがか年間5000人の
歩きのお遍路さんのために、それが必要なのかどうか?
歩きのお遍路さんが5000人だとして、一人40万
使うとしても、たかがか20億円。
四国4県の県民は400万人なので、せいぜい経済効果が
数倍あるとしても一人5000円程度しかない。
その程度の経済効果のために力を使うのはいかがなものか?
私が20年ほど前、四国を歩いて巡拝した時、
歩き遍路は1000人と言われていました。
20年の間に歩きのお遍路さんは5倍になったのだが、
果たして経済効果はあったのか?
実は2~3年前、一人で公共交通機関を使いながら歩いて四国を
お参りしました。
その時見たものは、あまりにも荒廃した四国の状況。
かつて、四国は集落集落には必ず商店がありました。
賞味期限切れの商品が売られているのも御愛嬌(*^_^*)
商店の扉を開けるのはロシアンルーレットのようなもの。
しかし、その商店の多くは既に店を閉めていました。
ここに店があったはず。
行ってみるともう看板を下ろしている。
そんな経験は一度や二度ではありません。
商店だけではありません。
疲れた足を引きづって、この辺に宿があったはず
古ぼけた遍路宿が普通の住宅に姿を変えている。
遍路宿も減りました。
普通なら時間を経過しても時間が止まったかのように
昔の面影をとどめているはずの集落が、
明らかに寂れている。
一体どうしたことなんだろう?
一方でこんなことがありました。
かつて私が野宿をした、お堂・バス停や駅舎には
「お遍路さんの野宿お断り」
の大きな看板が掲げられている。
いたるところに、醜いまでに張られた四国遍路の道筋を示す
ステッカーの数々。
このような状況に目をつぶったままで歩き遍路を推進する意図は
どこにあるんだろう?
疑問を感じざるを得ませんでした。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
いいね! 0
もっと見る