もう一つだけ書きたいことがあります。
シンポジウムでは「四国のお接待文化」というものが繰り返し
語られていました。
しかし、四国の「お遍路文化」この源流にあるのはなんでしょうか?
このシンポジウムではそれが語られていなかったのですが
私なりに考えました。
私が20年ほど前、四国を巡拝した時、こんなことを言われました。
「どこか体が悪いの?」
俗に「病弘法欲稲荷」とも言いますが、治らない病気を治すために
弘法大師にすがって四国を廻る。
それがかつての四国遍路の姿でした。
行く当ても無く四国をさまよった人も少なくはありませんでした。
しかし、最近はどうでしょう?
ある遍路のサイトにこう書かれていました。
「歩き遍路はまず体つくりから」
実際、四国の人々の見方も変わったようです。
「四国遍路は健康でないとできない」
日常生活に疲れたら四国へ遍路にやってきて、リフレッシュして
また日常生活に戻る。
そのためには日常で経験しない「歩き遍路」「野宿」「托鉢」
あるSNSにはこんな書き込みがありました。
「会社で有給休暇を取り、四国を野宿と托鉢で廻りたい」
ここまで来るともはや信仰とは全く関係ありません。
一方でこんなこともあります。
「お接待文化」と言いますがお接待には地域によって差があります。
よくお接待をしていただくのは徳島・高知。
以外に?冷たいのが愛媛・香川。
この差はなんだろう?
実は徳島・高知はかつては豊かな土地でした。
徳島藩 25万7千石 人口71万4千人
通常は人一人が一年に食べる量が「一石」と
いわれていますから、
徳島藩の人口は25万程度のはず。
しかし、その三倍近い人口を抱えていたということは
余剰人員を養うだけの国力があったということです。
土佐藩 20万2千石 人口51万6千人
阿波・土佐連合
江戸時代の人口を調べると、石高に見合う人口が
無い藩も少なくありません。
紀州藩 55万5千石 人口 45万8千人
福岡藩 52万3千石 人口 38万8千人
徳島・高知の人々は他国からやってきた貧しく病んだ人に同情して
お接待をしていたのではないか?
そう思えてなりません。
しかし、今はどうでしょう?
徳島・高知はそれほど豊かとはいえない。
その証拠に人口がどんどん流出しています。
お接待している団体の方は、いずれもお接待費用に
苦労されていました。
柳水庵でお接待されている方は、電気代などに困り、小銭を貯めて
それでなんとか維持しているようです。
日和佐でお接待をされている方も、お遍路さんに何か渡すものを
買えないので、自分たちが家にある物を持ち寄って
お接待しているそうです。
しかも、お接待をしている人たちは日々高齢化しています。
その文化を後世に伝える???
伝えるのは文化なのだろうか?
様々な疑問を持ったシンポジウムでした。