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2007年02月03日
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 新国立劇場 小劇場   18:30~

 演劇であります。
 「文化庁芸術家在外研修の成果」というタイトルの公演であります。うわぁなんだそれは。
 劇団一跡二跳というところが母体になっての上演。明日の昼公演までだそうです。詳しくはこちら。
 チケットを頂いたので行って来ました。まぁ、義理は無いのですが.....

 シラー作の「メアリ・ステュアート」といえば、皆様御存知(ってどこの皆様だ)ドニゼッティの「マリア・ステュアルダ」の原作になった作品であります。今回の上演は、シラーの原作をもとに、ピーター・オズワルドが新たに起こした脚本を日本語訳・上演したもの、だそうです。
 実は、私は、元のシラーの戯曲を読んだことがありません。だから、まぁ、原作がどうだとかいうことはよく分からないんだけど、面白かったです。

 ええと、演劇は久し振りなんですが、随分台詞の多い台本、というのが印象。結構噛んだり言い直したり、というのがありました。あれも演出通り、というわけではないとは思うけど。
 それはそれとしても、引き込まれるような内容で、多少噛むくらいはご愛嬌。
 物語は、メアリ・ステュアートが結局処刑されるまでの3日間を描く、ということになっています。エリザベス1世とのやり取りが中心ながら、実際にはむしろエリザベスの方が主役と言いたくなるほどドラマをはらんでいます。まぁ、「エリザベス1世が従妹分を処刑させた」のは事実だし、恋愛にこそ彩られたものの政治的にはダメダメだったメアリよりは、恋愛の無いことまで含めて陰翳の深いエリザベスの方がいじりやすいんでしょう。
 演出もよかった。舞台装置は簡素なもので、劇中ずっと天井に吊り下げられているギロチン(いや、あれはフランス革命の頃の発明品なので、この時代にあるわけはないんだけどさ)が、あたかも「自由ならざる人々の抱える抑圧の象徴」みたいに感じられて、装置として特異なのはこれくらいかと。これの"使い方"も意表を突いていて、まぁちょっとやりすぎの感もあるけど、面白かったですね。
 それとモーティマーの狂奔する様。あれは原作ではどうなのだろう?一度読んでみるつもりですが、メアリがエリザベスに対し激情をぶちまけて後の、メアリの為と忠誠を言い募りつつ、その実情欲に眩んだ彼こそ、メアリを不幸へと陥れた男達 - ここには出てこないダーンリーやボズウェル伯ら - の姿でもあるのでしょう。この辺はよく出来ていた。


 原作を読まずにこういうことを言うのもなんですが、こうした、本来は古典である作品の上演というのはやはり面白い。勿論ここでは、翻案もあるだろうし、一部現代に通ずる皮肉を織り込んだり(最後のエリザベスの、メアリ処刑に対する責任逃れなど、とてもあからさまですが)、決して「原作通り」ではないと思うのですが。でも、ここには、原作を手にしながら、その本質を損なわずに、如何に「今ここにあるもの」として上演するか、ということに対する取り組みというのが感じられます。
 古典とかいうものは、大抵、一度や二度どっかで観て、ああこういうものだな、と「分かって」しまて、以後は碌に顧みず判った気になってしまう、というのはよくある話です。けれど、本当はそうではなくて、古典というのは何度でも取り組み、その本質を探ろうとすれば、いろんなものが引き出されてくる、そういうものなのだと思います。演じる方も、観る方も、そんな風にして古典を「尋ねよう」とする限り、必ずや何か見るべきものが立ち現れる。逆に、判った気になって「尋ねる」ことをしなくなれば、見える筈のものも見えなくなる。そういうものではないかと思います。
 その意味で、この公演には演じる側の古典を「尋ねよう」とする意思が感じられて、好感の持てる内容でありました。







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最終更新日  2007年02月05日 02時19分28秒
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