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哲学書って要約しちゃだめだと思う。
哲学書の内容を、「要するに・・・」と語った時点で、 哲学書が持つ情報のうち 半分、いや、95%くらいを失っているように思う。 哲学って、あの難解さこそが本質でしょ。 これは僕自身の哲学にも通じる。 要約は結局のところ要約であって、全体を表現できはしない。 なおかつ、全体を言葉に表すことなんてできないし、 まして そのことを相手に語って伝えることなんて不可能だ。 だから、形になっているものが全てではないなぁ、って思う。 今日お会いした哲学科の人が面白いことを二つ言っていた。 ひとつは、 「よく分からないことを語っている人には、二通りいる。 周りの人に伝えたいことがあって語っている人と、 自分でもよく分かっていないで、周りとの関係を取り繕うために曖昧に語っている人。」 もうひとつは、 「哲学科の人間にとっても、哲学の授業は眠い。」 今日は「知の摩擦プロジェクト」に参加して、異文化交流ができて楽しかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Google経由で読みにきました。いきなり失礼,ごめんなさい。
で,「哲学書」というものも,誰かの考えたことの「要約」なんですよね。(…いや,むしろ“残骸”というべきか) (2008年07月28日 17時59分12秒) |
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