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ザビ神父の証言

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2017.02.15
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クロニクル 『国民之友』創刊

1887(明治20)年2月15日

130年前になります。この日、日本初の月間総合雑誌『国民之友』が創刊されました。発行所は民友社。前年に言論界にデビューした、弱冠25歳の徳冨蘇峰が民友社を立ち上げ、自ら社長に就任。同時に『国民之友』の主筆を務めるという、八面六臂の活躍で、ようやく発行に漕ぎ着けたのです。

明治も20年代に入ると、幕末から維新を経て、明治政府の進める近代化政策の成果が、ようやく現れ始めると共に、その翳の部分とも言うべき矛盾もまた激しくなっていました。そうした時期に、「政治、社会、経済及び文学の評論」を唱え、学者や文化人を動員した総合雑誌が登場したことは、知識人層に大いに歓迎されました。

とりわけ、民間史学の山路愛山や竹越与三郎らは常連執筆者となり、森鴎外の作家としての地位を確立した「舞姫」や二葉亭四迷によるツルゲーネフの翻訳「あひびき」の掲載は、大きな反響を呼びました。

また平民主義の立場から、欧米の社会主義思想の紹介に務め、労働問題にも進歩的見解を表明しながら、弊害の目立ち始めた藩閥政治に、厳しい目を向けていました。こうして、最盛期には2万部を越える発行部数を誇り、読者の要望を受けていつしか月刊から、上・中・下旬の旬刊に変わるなど、経営的にも成功しました。

民友社は、他に「国民新聞」も発行、こちらも支持を集めていたのですが、1897年蘇峰が内務省参事官に就任したため、読者を含む知識人層から変節漢との批判が高まり、『国民之友』の人気は急速に衰え、1898(明治31)年8月、第372号をもって廃刊となりました。

最後は急速に支持を失ったのですが、『国民之友』が昭和初期の『中央公論』や『改造』、戦後の『世界』などに道を拓いた、総合雑誌のパイオニアとして、一定の役割を果たしたことは、間違いのないところです。








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最終更新日  2017.02.15 21:43:44
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