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カテゴリ:宮部みゆき作品
宮部みゆき作品を読んでいて、ときどき「はてなクェスチョン」に遭遇することがあります。
例えば『夢にも思わない』では、島崎くんが雅男くんから「おまえ、カノジョとうまくいってるか?」と訊かれたとき、「おまえほど、オレはポーッとなってないからな」と応え、さらにその言葉に添えて「洛陽城裏 花に背いて帰る」と言っているんですが、この漢詩句らしきものは、本来は誰がどのような意味を込めて詠んだものなんだろうかと首をかしげたものです。 そんなことを私の運営するホームページ「私の宮部みゆき論」に書きましたら、にこさんが掲示板に情報を寄せてくださり、同漢詩句がよーぜんさんが運営しておられる直江兼継フアンサイト「春雁抄」の「文人兼続」のコーナーに紹介されていることが判明いたしました。このように、ずっと疑問に思っていたことがぱっと霧が晴れるように解明されると本当に嬉しいしものです。 しかし、まだ解明されていない「はてなクェスチョン」が幾つかあります。その一つが『震える岩』のラストに出てくる花岳寺に保存されているという掛け軸のことです。その掛け軸には後ろ向きになって顔を隠している人物が描かれているというのですが、本当にそんな掛け軸があるのでしょうか。なお、この花岳寺は兵庫県の、おっと住所を明らかにしたら『震える岩』のネタばれになってしまうと危惧される方もおられるかもしれませんね。 ブログ「紫微の乱読部屋」に『震える岩』についての素敵な書評を載せておられる紫微さんも、そのようなお一人だと思います。なぜなら、「舞台は江戸末期なのですが、そこから遡ること100年。作中からみても“遠い過去”に起こった事件について触れてあります」とその「事件」のことをぼかして表現しておられますからね。 それはともかく、紫微さんは『震える岩』についての書評のなかでつぎのように書いておられますが、私も全く同感です。 時代モノの方がより心に届きやすいのは、人がありのままで 生きていない、いや生きていけない現代の物語では、 ちゃんと届かないことを知っている、のかもしれませんね。 それで、紫微さんのこの素敵な書評を私の運営いたしますHP「私の宮部みゆき論」の「我らが隣人の宮部さん」に転載させてもらいたいものですが、ご承諾していただけないでしょうか。なお、もし了承していただけるようでしたら、「OK」の一言で構いませんのでお返事をいただきたいと思います。突然のお願いで大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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