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カテゴリ:やまももの創作短編
奈良の春日奥山をさまよった思い出
母と子が見上げる先に鯉のぼり 木下闇親子さまよう春日山 内川雅人くんの母親が鹿児島で亡くなったのは2001年1月中旬の雪の降る日でした。いろんな意味で彼が敬愛する彼の母親の死に病室で直面して非常に悲しかったのですが、なぜか涙は流しませんでした。 彼が亡き母のことを想って涙を流したのはそれから約4ヶ月後の5月のことでした。昼からの講義のために勤務先に向かうためバスから降りて歩いている途中、母親と小学生の男の子が青空を見上げている後ろ姿に遭遇しました。見上げる先には鯉のぼりが五月の風を受けて気持よく泳いでいました。そのときに雅人くんの目に涙が突然溢れ出し、肩を震わせて号泣し始めました。そのことには雅人くん自身がビックリしました。 そして、母親と過した幼少年時代のことがいろいろ思いだされて来ました。その一つが同じ五月くらいの初夏の奈良の春日奥山の原始林のなかをさまよった思い出です。雅人くんの両親はいつも夫婦喧嘩をしていました。夫婦喧嘩の主たる理由は、父親の金遣いの荒さと浮気でした。特に浮気は日常茶飯、子どもの雅人くんが知るようになった深刻な浮気の数も片手では足りないくらいありました。彼の父親の浮気は「モービョウキ」としか言いようがありませんでした。 普段見る雅人くんの母親の姿は観音菩薩様のように穏やかでしたが、ひとたび浮気のことで夫婦喧嘩が始まると般若の如く怒り狂い、口から火を噴いて激しい言葉で彼の父親をののしったものでした。そのとき雅人くんは甲羅に首をすくめる亀のようにして嵐が過ぎ去るのをじっと待っていたものでした。 夫の繰り返される浮気に苦しんでいた雅人くんの母親は、五月のある日、彼を連れて一緒に春日山のハイキングコースを歩き始めましたが、急に馬酔木(あせび)、梛(なぎ)、榊(さかき)、姫榊(ひさかき)等が鬱蒼と生い茂る林のなかに入り込んで行きました。 しばらく木の下闇のなかをさまよい続けていましたが、母親が雅人さんくんの手を強く握り締め「一緒に死んでもいい」といい出しました。雅人くんの心はウサギのようにおびえだしましたが、母親を見あげてコックリと頷きました。 その後しばらく薄暗い林の中を藪を掻き分け掻き分けさまよい続けていたのですが、いつの間にかまた明るい陽射しを浴びた杉の木が整然と立ち並ぶハイキングコースに戻って来ました。 雅人くんにとって、この日の春日奥山を母親と一緒にさまよったときのことは強烈な思い出として彼の心のなかにいつまでも記憶され続けました。しかし彼の母親は、彼が子どもの頃のことを回想したとき、つぎのように言ったものです。 「お前の子どもの頃は給料も安くて生活は大変だったけれど、でも、お前に辛い思いをさせるようなことはなかったと思うよ」 雅人くんはそのときコックリと頷きましたが、心の中で「アンサン、それ本気で言ったはりまんのかいな。よう言わはる。そりゃセッショウでっせ」と叫んだものでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月11日 22時16分41秒
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