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ポンコツ山のタヌキの便り

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2018年02月14日
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カテゴリ:エッセイ
明石で暮らしている長男の創「はじめ」夫婦が2月10日~2月12日の三連休を利用して宮城県仙台市に旅行し、被災地巡り、松島見物の後、11日に私の亡くなった母昌子(長男にとっては祖母ですね)の弟の達雄さん(私の叔父。面倒なので後は私の長男の立場から書き、親属関係の表現も統一します)の90歳の祝いに参加しました。そのときのことをつぎのようにメールで送信してくれましたの紹介します。
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大叔父の90歳のお祝い参加 (by 創)

2年前に一度仙台に訪れている弟の望から達雄大叔父の90歳の祝いをしないかとの計画誘いがあり、達雄大叔父から私達の結婚のお祝いをもらっていることもあり、今回休みを取って2月10日~2月12日の三連休中に妻と一緒に宮城県仙台市を旅行し、その後仙台の市川家の先祖の墓詣りと達雄大叔父の祝いの会に参加することにしました。

11日は仙台は晴れて暖かく、時折雨のような雪が降るぐらいでしたので、まず午前中から祖母の昌子ばあちゃんの実家の市川家のお墓のある正圓寺に向かい、途中で仏花を購入しました。花屋さんではサービスでマッチと御線香を頂き、仙台の人の優しさにも触れました。

正圓寺で待つと達雄大叔父の甥の和生さんが車で来られ、久しぶりの出会いに挨拶と私の妻の博子の紹介をして、お墓に向かいました。先祖のお墓には市川家、佐藤家と書いてあり、實雄曽祖父が佐藤家から市川家に養子に入った事を知りました。お墓に刻まれた没年、享年に拠ると、實雄曽祖父の没年は昭和35年、享年76,まつよ曽祖母の没年は昭和44年、享年73とのことでした。曽祖父、曽祖母の詳しい事は晩に達雄大叔父に聞く事になりました。お墓が汚れていたので暮石を磨き仏花をいけました。お墓の前で線香をあげました。手を合わせ、私自身の紹介と博子の紹介、昌子おばあちゃんの息子の秀夫がたいへん世話になったお礼をつたました。

お詣りの後、和生さんの車で達雄大叔父の住むマンションの1階にある飲み屋が本日の会場であると言われ見に行き、達雄大叔父の住むマンションも訪ねましたが耳が遠い為か出て来られず、晩のお楽しみになりました。そこを離れてパパさんが浪人中に住んでいた町を車で案内され、一度和生さんとは分かれました。

空をを仰いだらとても綺麗な青空で、パパさんが浪人中に見上げて見た青空もこんな感じだったのかと感慨深いものがらありました。

さてお次は青葉城にある伊達政宗の銅像を見にるーぷる仙台バスで向かいました。とても観光客が多くバスは一杯でしたが、東北大学前を通ったりと景観は見る事はできました。とりあえず伊達政宗さんの偉大な銅像と記念撮影をしてから、すぐにホテルに戻り、16時半に和生さんが仙台駅に迎えにくるのでお土産などを取りに帰り準備する事にしました。

16時半には和生さんが駅に来られ、弟の望とも合流し、まずは支度が間に合わなかった宣子おばさまを迎えに行き、達雄大叔父のマンションに向かいました。雪が降り出し、仙台らしくなり歓迎されてるように感じました。寛治大叔父は来らないとの事で長男で今は福島のいわき市で公務員をされているしゅんさん(46歳)が来られると聞きました。初めて聞いた名前で嬉しく思いました。大叔母を迎えに行き、達雄大叔父のマンションに向かいました。雪が降り出し、仙台らしくなり歓迎されてるように感じていました。寛治大叔父は来られないとの事で寛治大叔父の長男で今は福島のいわき市で公務員をされているしゅんさん(46歳)が来られると聞きました。初めて聞いた名前で嬉しく思いました。

十数年振りにお会いする宣子大叔母はとてもにこやかで、昌子おばあちゃんを思い出すような笑顔でした。私の妻の博子を見て、可愛いね可愛いねと言われました。少し足元はおぼつかない感じでしたが、それは寝てばかりいるためだとおっしゃっておられました。車の中でも久しぶりの再会で談笑が続き、和やかな雰囲気で会場に向かいました。宣子おばさまは台湾の事は覚えているよと言われ、川で溺れて逆さまに振られて生き返ったなどを言われていました。

会場に到着するも雪は降り続いていましたが積もるほどではなく、マンションに入り1階にある居酒屋さんに向かいました。扉を開くと和室の上がりにチョコンと座る白髪のおじいちゃんを見つけました。達雄大叔父です。すぐに目が合い、握手を交わしました。奥にはしゅんさんがすでに座席に着いていました。机の上には寿司や刺身、居酒屋さんの逸品が何点もあり華やかな雰囲気で、すぐに私が博子の紹介しょうとすると博子ちゃんだねと達雄大叔父自ら言われ、博子も喜びあいました。

しゅんさんにも紹介がすみ、座席を何処にするかを決めて達雄大叔父の横に私としゅんさんが座り、大叔父の正面に望が座り、私の正面に博子が座り、私と博子の間に宣子大叔母が座り、背もたれがあるように机を移動し、和夫さんがしゅんさんの正面に座りました。

大叔父の乾杯との一言で皆さんがグラスを合わせましさんた。達雄大叔父は毎日飲んでると焼酎のウーロン割りを、望も同じものを、私としゅんさんは生ビール、博子はウーロン茶、宣子おばさまは白湯で和生さんは運転手だったのでジュースでした。たつおじさんは呑める人の隣がいいと言われ、私ははたくさん呑みました。

達夫大叔父は「本当に今日はいい日だ、よく来てくれた」と何度も何度も言って下さり、歓迎してくれました。「毎日朝からビールを飲んでサンドイッチさんを食べ、夜には焼酎を飲んで寝て、また夜中にトイレで目が覚めたら酒を飲んで寝おり、目が覚めるから呑んでる方がいい、長生きしてるのは酒のおかげだ」ともおっしゃっておられました。「まさに酒は百薬の長だと、こりゃ100歳まで行くかもしらん」とも何度もおっしゃって、だから自分より先に死んではダメだと言われ、100歳の記念にはまたここで祝おうと皆で盛り上がりました。何度か同じ話はされることもあり、もうボケてるからなとも言われたり、耳が遠いが聞こえるとしっかり答えてくださいました。

實雄曽祖父祖が奈良を訪れた時、夏の甲子園を何度も見に行ってたのは、少し奈良に居づらいのもあってではないかと父の秀夫が考えている事について意見を聞くと、父は本当に野球が好きだったから、見に行きたいと本当に思ってたのではないかと言われてましたよ。

真面目な自分の父の實雄は真面目すぎるぐらいなのに少しずぼらなとところもあったとのことで、達雄大叔父が海軍の予科練に入隊した時も、親の実印がいったそうですが、大叔父は何処に実印があるか分かっていて勝手にその実印を書類に押して提出したと笑ってました。實雄曽祖父はそのとき驚いていたが怒る事はなかったとも言われてました。ただ父の實雄や母のまつよ、まっちゃん(昌子おばあちゃん)には悲しい思いをさせたとおっしゃいました。達夫大大叔父によりますと、愛媛の松山での海軍予科練での訓練は練習生で終わり、飛行訓練生には上がらずに陸軍で朝鮮に行った時に終戦をむかえたとのことでした。飛行機に乗る訓練はした事がなかったそうですよ。

居酒屋での楽しい会は17時過ぎ~21時前まで続き、さすがに達夫たつおじも宣子おばさまも疲労が見えてきて、解散する事にしました。達雄大叔父は普段より飲み過ぎてしまったが、自分1人で歩いて帰る、部屋までの付き添いはいらんと頑なに付き添いを拒否され、最後まで立ち上がる事なく私達と握手して見送ってくれました。和生さんの運転で宣子大叔母、望、私、博子で仙台駅まで行って和生さんと宣子大叔母とは分かれました。雪は強くなっていて、仙台が歓迎してるように思えました。

今回のお祝いの会で望が計画してくれた事で皆さんに会えて、また達雄大叔父の屈託のない大らかな人柄に触れ、皆が集まり楽しい会となりました。また仙台に行って達雄大叔父とお酒を酌み交わしたいと思いました。達雄大叔父への思いや人柄は後世に伝えて行けるようにしていきたいものです。市川家のお墓に手を合わせ、たつおじのや宣子おばさまに出会い、昌子おばあちゃんも天国で喜んでくれてると思います。あんなに可愛がってくれたおばあちゃんの孝行として少しはお返しができたのではと思います。これからも仙台の市川家の人々と共にある事を思い、日々の生活に戻ります。

 
追伸、翌日は起きたら外は一面銀世界、まるで仙台からまだ帰るなよと言われてるようで、予定より4時間遅れで飛行機が飛び立ちました。少しでも長く仙台にいられて幸せでした。ぜひパパさんやママさんともまた仙台に行きたいですね。これにて仙台旅行記報告を終わりますね。また色々思い出したら追伸しますね。
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最終更新日  2018年07月05日 14時06分10秒
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