思い出深い新入生部員たち
この年(1979年)の新入生部員には、結構有望な選手が入ってきました。と言っても、高校時代にテニス部だったのはO君と、向こう(アメリカの高校)でテニスをやっていたという米国帰りのK君くらい。あとは全くの初心者だったのではないかと思います。それでも、みんな練習好きだったので、結構うまくなりました。 その中でも有望株だったのがT君。試合勘が素晴らしく、ファイティングスピリッツも人一倍あります。大学からテニスを始めたにもかかわらず、秋になると、部内リーグ戦で二年生のレギュラークラスを破りそうになるほど上達しました。 私も、T君ならリーグ戦で使えるかもしれないと期待しましたが、T君は突然、テニス部を辞めさせてくださいと私に言ってきました。 理由を聞いたら、とある事情があり国家公務員(外交官)になりたいので、試験勉強に全力集中したい、とのことでした。確かに難しい外交官試験を受けるには、テニスをやっている暇はないかもしれません。両立できないとT君が判断したわけですから、強く慰留することはせずに、退部を快く受け入れました。まあ、自分の人生でどういう道を歩むかは、その人が決めるべきことですからね。 一年生はほかにも二人の別のK君やY君、M君など将来強くなりそうな部員がおりましたが、結局、一年生からレギュラーになれた選手はいませんでした。もうちょっとだったんですけどね。二年生が意地を見せたようです。 時は20年ほど流れて、1998年ごろ。私が共同通信社を辞めてジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(通称SAIS)で国際公共政策学の修士号コースを取っているとき、同級生にICU出身で外務省専門職試験に受かった公務員留学生も修士号を取りに来ておりました。そのとき、テニス部を退部して以来、ほとんど会うことのなかったT君のことを思い出しました。あれから外交官になれたのでしょうか。あるいは、どのような人生を切り開いていったのでしょうか。 同じく私がSAISで勉強していたころ、同じジョンズ・ホプキンス大学の付属病院で研究をしているICUテニス部出身のK君にも偶然出会いました。ICU学生当時のK君は自然科学科の学生であったので実験のために練習も出られないことが多かったですが、T君らと同級の部員(私の二年下)でした。テニスではそれほどうまくなったとはいえませんでしたが、勉強のほうでは頑張って、あの有名なジョンズ・ホプキンス病院で研究職に就いたわけですから、よくやったと思います。 このように1979年に入学した新入部員たちは、その前の年に入部した二年生と同様、本当に元気でユニークな後輩たちでした。彼らもまた、テニス以外の人生でもきっと活躍してくれたに違いないと思っています。 (続く)