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カテゴリ:心の旅(ころころ変わるココロ)
このところ、構造ということを考えている。
考えているのだけれど、自分ではなかなか言葉が出てこない感じ…。 しばらくは、構造というものについて言語化できていると思われる人の文章を引用して、触発されたことを書いてみようと思う。 以下↓引用。 ------------------------------------------- 人間と言うものは自ら設定した思考の枠組みに捕囚されると 思考が硬直して、容易にそこから抜け出すことができない。 そこに、悲劇が待っていてもである。 かれらは、悲劇に吸い寄せられるようにして暴発する。 暴発による以外には、その枠組みを突破できるすべがないかのように。 このところ、 この枠組み思考による呪縛ということがずっと気になっていたのである。 ほとんど同じ環境に生活し、同じ言語を使い、同じ情報に囲まれていても、 一方は左に進路をとり、一方は右に進路をとる。 ひとりはテロリストになり、ひとりは人道主義者になる。 ひとりはモダニストになり、ひとりは復古主義者になる。 ひとりは護憲派になり、ひとりは改憲派になる。 ひとりは拝金主義者になり、ひとりは義理と人情の渡世を生きている。 かれらはお互いに非妥協的であり、憎みあう。 人はそれぞれだというのは、もっともらしいが、当たっていない。 どちらも、本当はひとりの人間の中にある可能性なのだと思うべきなのだ。 だから、どっちがどっちかということ自体はあまりたいしたことではない。 すくなくとも、そう思ってみることは必要なことだ。 問題があるとすれば、 「子別れ」や「芝浜」のように、 片方の端から、もう一方の端へと引き返すということができなくなる ということであり、そこに思考のアポリアがあると俺は思う。 ------------------------------------------- 引用↑以上。 唐突だけれど、マルクス主義っていうの、自分から見ると構造を捉えたものに過ぎないと思うのだけれど、それが革命の原動力になっちゃったっていうのが、自分にはどうにも不思議なんだよね。 自分としては、読んだ人…なのかな?…が、「【思考の枠組みに捕囚され】た」としか考えようがない。 んで、「捕囚された」とわかった人は転向するのかな? ところが、転向した人っていうのは、そもそも自分が何に囚われたかを見ていないような気がする。 そこが、マルクス主義が本当に理解されていないのではないか?と思えるところなんだな。 時代遅れなんだとすると、いかに時代遅れなのかをちゃんと理解して、それから葬ってあげなければならないと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月03日 22時40分48秒
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