杉並区立和田中学校校長、藤原和博先生による「フィンランド調査報告(07年9月末)」を読む、シリーズです。
前の日記は↓の3本です。
和田中藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その1
藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その2
藤原校長の「フィンランド調査報告」をよむ その3
今回は、「その3」の続きからです。
よたよたあひるの寄り道たっぷりコメント抜きで、藤原校長のレポートを全文読む場合は、フィンランド調査報告(07年9月末へどうぞ。
和田中と地域を結ぶページに掲載
引用は、藤原和博校長の「フィンランド調査報告」
まずは、<2.社会的な背景の違いについての理解>より冒頭部分と見出しです。
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2、社会的な背景の違いについての理解
PISA調査の結果が良かったからと言って、日本がフィンランドの制度や指導法だけを真似ても、同じ結果は得られない。
その理由は、主に社会的な背景の違いに求められる。
(1)フィンランドには「徴兵制」が残っていて、ほとんどの子供(とくに男子)は軍役を機にルームシェアするかパートナーと同棲するなどして親から独立する。
(中略)
(2)フィンランドの「教育改革」は国の存亡を賭けた戦いだった。
(中略)
(3)日本が8位から14位に転落したと話題になった「読解リテラシー」(日本語の意味における「読解力」ではない)について、「フィンランドの教師がみな修士号を持つから」とか「フィンランドでは読書量が多いから」という表面的な理由はみな的外れだ。
(中略)
(4)10段階評価で4が二つ以上あると留年することになる。
(中略)
(5)ほとんどの親が5時には家に帰って家族で夕食を食べるのがフィンランドの習慣だ。
(中略)
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この文脈の文章の中で、本日は、
<(3)日本が8位から14位に転落したと話題になった「読解リテラシー」(日本語の意味における「読解力」ではない)について、「フィンランドの教師がみな修士号を持つから」とか「フィンランドでは読書量が多いから」という表面的な理由はみな的外れだ。>の部分について引用の上、コメントを加えていきます。
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ちなみに、現場には修士号を持たないアシスタント教師が混じっているし、日本でいう学部を卒業してから2年の博士前期家庭を終了してとる修士号とは違う(大学5年で修士)。
図書館をよく利用するのは、ヨーロッパには再販売維持制度がなく直販制で本が高いからだ。ちなみに、中3の数学の教科書も、絵本も旅行ガイドブックもハードカバーの単行本も、一冊5000円(30ユーロ)近くする。
むしろ、すべての授業で「クリティカル・シンキング」の力([よのなか]科的な複眼思考法でケースを批判的に読み込み、自分自身の意見を形成し発表する力)が試される。日本のように「正解主義」の授業だけを何遍繰り返しても、PISA型「読解リテラシー」の設問には応えられない。欧米で、国語の読解やコミュニケーション技術のことを言う場合、常に「クリティカル・シンキング」のことを指す。
蛇足だが、2000年と03年の二度の調査結果だけで慌てふためくのにも、いかにも日本的な幼稚さが滲む。フィンランドは未曾有不況に対して、ドーピングで逃げ切ろうとするのではなく、大人として、戦略的だったのである。
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見出しからして刺激的な文章です。
PISA調査の結果を受けて、右往左往する教育行政当局や「学力低下論」を煽り立てるマスコミ、それみたことかとばかりに「ゆとり教育批判」から便乗して「愛国心教育」(←というより偏狭な国粋主義的教育)を推奨する方たちの論点をスパッと切っている、という感じですね。
ただ、切れ味が良すぎてちょっと切り過ぎてしまっている感もあります。
藤原校長が「表面的な理由」としてあげた2点に近いものを「フィンランドの学力世界一の理由」としてあげている文章として、私がすぐに思いついたのが、
↓MSN産経ニュース 2008年1月16日掲載のコラム記事
【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 学力世界一の背景です。
以下、藤原校長の文章と見分けやすいように茶色の文字で該当部分を引用します。
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(前略)フィンランドの学力世界一の理由として、(1)教師の指導力が高く、教師が国民に尊敬されている。教員免許の基礎資格が修士号に格上げされて30年になる(2)勉強が遅れ気味の子供への教育が手厚く、放課後の補習授業が広く実施されている(3)教育が家族のきずなに支えられていて、アニメ「ムーミン」でなじみの風景、親による本の読み聞かせが家庭の伝統となっている-などが挙げられる。(後略)
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石井昌浩氏も、この(1)から(3)までを「フィンランド学力世界一の理由」の構成要素として書いており、氏が考えている「理由」の中心部分としているわけではありません。また、石井氏の文脈は単に「教師が修士号をもつから」ではなく「指導力がある」ことと「教師が国民に尊敬されている」ことの理由として「修士号に格上げされて30年になる」と記述しているのですし、読書の習慣についても、「教育が家族のきずなに支えられている」根拠として例示しているわけです。さらに、「石井氏の文章は藤原校長の「フィンランド調査報告」よりもずっと後のものですから、藤原校長が石井氏を批判したわけでもありません。
けれども、石井氏の文章には明記されていない視点が藤原校長の「フィンランド調査報告」には書かれているものがある、というところに注目したいと思います。
それは、日本式の「読解力」とPISA型学力における「読解リテラシー」の差についての記述です。藤原校長がこの項で一番主張したかったのは、このPISA型学力、あるいは欧米式「読解リテラシー」「クリティカル・シンキング」が、日本の教育に不足している、という点だろうと考えます。しかも、和田中ではその「クリティカル・シンキング」を鍛える授業を行なっている、という主張がしっかり入っているわけです。
「蛇足だが・・」以下の部分についても、要するに「リテラシー」が不足しているのは今の子ども達だけではなく、今の大人たちもまた不足しているというっことに触れているわけです。この点については、私は大いに賛同します。批判的な読み方(もちろん、けなすばかりが批判的な読みというわけではないです)、積極的な読み取り方を行なって、自分の視点、考え方を深めていくという作業は、日本の受験学力においては重要視されてこなかったと考えるからです・・マークシート試験では問題を作ること自体が難しい領域ですし、記述式にしたところで採点しにくいだろうと思いますしね・・
もうちょっと言うと、「クリティカル・シンキング」を鍛えることと、組織に従順な人材を育てることを両立するのは難しいことだという理由もあるかもしれません。「相互の協力と和合」や「社会的規範力」や「忠誠」はなどを鍛える上で邪魔物扱いになっていた可能性も大きいと思います。
【参考】「後期中等教育の拡充整備について」
(中央教育審議会第20回答申 昭和41年10月31日)
・・・いわゆる「期待される人間像」です。今の中高生の親世代(あ、安倍元首相も同世代かな)が受けた教育の方向性を定めた中教審の答申です。読むとなかなか面白いですよ。
「クリティカル・シンキング」の推奨はいいのですが、藤原校長の「報告」では、「クリティカル・シンキング」の重要性を強調したいがために、他の構成要素の政策的な取り組みの部分が相対的に過小評価されてしまっていると指摘しておきたいと思います。ただ、石井氏が列記している(1)(2)(3)の要素のうち、<(2)勉強が遅れ気味の子供への教育が手厚く、放課後の補習授業が広く実施されている>を藤原校長は「表面的な理由」に挙げてはいないということも指摘しておきます。この(2)は、全体の学力向上に欠かせない重要なポイントだと考えておられるのだと思います。
フィンランドや北欧諸国の教育政策について、わかりやすくまとめた資料を見つけました。
↓信州大学の教育方法学 伏木久始先生による資料
北欧の少人数教育を支える教育観
PDFファイルです。デンマークとフィンランドの学校の実際と教育制度、その背景がまとめてあるスライドです。ファイルのタグ「ページ」をクリックするとページごとのスライドへ飛ぶこともできます。また、「しおり」のタグをクリックすると、他にもいろいろなスライドをPDFファイルにしたものがでてきますからとてもオススメです。
このスライド、
53ページ目に「フィンランドの教育制度」の図があります。
「20の国立大学 希望しても半分も入学できない定員」
「大学はサラリーマン予備校ではないし、遊べるところでもない」
なんていうコメントが入っていたりします。
54ページ目には「フィンランドの教育改革の展開」という年表があります。
オッリペッカ・ヘイノネン氏が取り組んだ教育改革の流れが書かれているのですが、学校の改革だけでなく、<2001年「読書フィンランド」>という、01年から04年の最優先プロジェクトもあるのです。
55ページ目には「フィンランドの地方分権」の年表があります。
藤原校長も今回ご紹介した項の最後で、「フィンランドは未曾有不況に対して、ドーピングで逃げ切ろうとするのではなく、大人として、戦略的だったのである。」と書いておられます。
このあたりのこと(教育政策や地方分権について)をご存知ないはずはないと思うのですが、子ども達の学力向上に向けて「現場で取り組むこと」という視点で報告をまとめているので、あえて書いていないのではないかと私は考えました。でも、全体像を見ていくのは大事ですから補足してみました。