進歩とは?!
今日も寒かった。さて、昨日紹介した本の中で、yukiyukiが「ウンウン そのとおり」と共感しながら読んだ箇所を紹介しておきます。昔話のおばあさんは川で洗濯をしていた。私などの子供の頃は井戸から釣瓶(つるべ) でタライに水を汲み上げて、洗濯物を洗濯板の上でこすっていた。それから井戸にポンプをつけて、ギーコギーコとポンプを押せばザアザアと景気よく水が出る仕組みが考え出され、ほんとに楽になったねえ、有難いねえ、と女たちは喜んだものである。そしてやがて「水道」が設置されるようになって、蛇口をひねりさえすればいつでも水には不自由しなくなった。・・中略・・ それが当たり前のことで、萬が一 、何かの事故で出ないことがあると、水道局には文句の電話が鳴り響く。「これじゃ生活できないじゃないの どうしてくれるのよ」と喚(わめ)く人がいるそうで、そんな人に、「昔を思いなさい。桃太郎のおばあさんは川で洗濯してたんですよそれからギーコギーコとポンプを押して・・・」などといっても、バカうるさいの一言で片づけられるだろう。「文明の進歩」は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き換えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を摩滅させて行く。もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと・・・・。もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。 長い文章の紹介になったが、身の回りを見回すと「なるほど」と納得する点が多い。新幹線のスピード、携帯電話特にスマホの多機能、勝手に掃除をしてくれるルンバを初めとした電化製品の多機能化、今では普通になっている車の窓ガラスの上げ下げの電動化、子供も大人もゲームに没頭、地球上では多くの子供たちが飢えに苦しんでいるのにテレビは“グルメ番組”や“大食い競争”が持てはやされる等々色んなものに思い当たる。それに比べて最近の人間は、短絡的で我がまま気ままになって、自己中がはびこり、いつも何かに追われるようにセカセカと生活している。「これでいいのかな~ッ」 「これって幸せと云うのかな~」 ここらで話題をガラッと替えます。 気分を変えて俳句を一句。 さいはての 驛に下りたち 雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき (石川啄木の句)読めばだいたい意味が分かると思うので、余分な説明はカットします。この句を今日の『書道教室』で稽古してきました。いつもの様に神原先生(号 和堂)の色紙を紹介しておきます。 明日の夜明けは気温がグッと下がって更に更に寒くなるらしいが、“爺ちゃん婆ちゃん達のボウリングの会” の月例。