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カテゴリ:能力観
「できない」の洗脳の突破は、今の教育を考える時、どうしても必要なことではないでしょうか。子どもたちは、このことについて、次のように考えているからです。このブログを始めたのもそのことかを突破させたい為でした。ブログをはじめて、3日目のものを編集して、ご紹介いたします。 ・・・・・・・・・・・・・・
長い間の教師生活で、うれしかったことは、こどもが、「分かった」・「できた」という時のよろこびの笑顔に接した時でした。反対に、苦しみは、分からせる事ができなかった時の曇った顔を見る事でした。 ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ えらい方が、次のように語っているのもあります。三浦朱門氏のことです。 2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は"100人に2~3人でもいい、必ずいる筈"のエリートを見つけ伸ばす為の「選民教育」である事を明言(「出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っててくれればいい」「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば不幸になる」など)、と述べ一部に物議を醸す。[1]教育課程審議会においてゆとり教育について「私は今まで数学が私の人生に役立ったことは無く、大多数の国民もそうだろう。」と発言。ゆとり教育を推進する当時の文部事務次官の意向に沿った発言を行ない、以後のゆとり教育を加速させた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような中で、それでは、どうして、「できない」の洗脳の突破をさせるか、僕のその経験をご紹介します。ご一緒の考えていただければ嬉しいです。これも、以前のブログを編集です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日は、中学生が、「勉強できないのは、自分の頭が悪いからだ」と、考えている、思い込み・決め付けについてふれました。これをどう、突破するか、そのことを書いてみたいと思います。 今から見ると、当たり前のことでしたがあ、当時としては、先進的なことをやったのようですね。 できるようになる・するには、どうしたらよいかを学ぶ・教えることなのですね。これが教育ですね。「あんたは、できないよ。」ということは、教育ではないですよね。できないと思いこんでしまった子には、その突破の方法を教えることですね。 できるようになる心構え・そのコツを教えること、これが今、大切な課題だと思います。次回は、別の勉強のことでこのことを考えてみます。
* 易溶性・易燃性の読みは、エキネンセイ?イネンセイ?については、下記の27日のブログのコメント欄にご意見をお願いいたします。
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