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カテゴリ:本帰国で再発見!
来月2日まで「道立近代美術館」で開催中の「琳派(細見美術館所蔵品を含む)xアニメ」展は初回はさっと見ただけで2回目の昨日、館内入口のそばに設置されたスクリーンの「細見美術館館長 細見良行」氏の「琳派を語る(15分)」を見てから展示室で絵を見ると何倍もその絵が楽しめるという分かりやすく興味深い解説でした。
原画は「尾形光琳」の「富士三壺図屏」 原画は鈴木基一の「藤花図」 1600年代の江戸時代に俵屋宗達によって平安時代に描かれ始めた大和絵に金・銀・墨を多用し、より美しい絵を描いた画風はその100年後の「尾形光琳」の登場よって名前の1字を取って「琳派」と名付けられ、現代に至るまで長く引き継がれるその画風はおよそ100年ごとに天才絵師が登場しているそうです。今回の琳派とアニメのコラボについて、京都の桃山時代から続く工房「豊和堂(株)」が琳派の絵の模写になじみの深いアニメのキャラクターを加えて全く違和感が無いのは「手塚治虫」の絵自体が大和絵に通じるものがあると解説しています。 そして一番興味を引いたのは1800年代に登場の「酒井抱一(1761-1828)」で実は姫路城城主の次男(大大名)だったそうです。評判を呼び絵の注文が殺到しても大名としての仕事も忙しくなかなか絵を描く時間も取れず、苦肉の策として今や「琳派の天才絵師」と呼ばれる「鈴木基一(1796-1858)」を弟子として雇ったそうです。ただ純粋な意味の弟子ではなく酒井家の家来として雇われたため、鈴木基一としてはもし「殿の気に入らない絵を描いてしまったら切腹ものかも・・」と命がけで描いたというエピソードには笑ってしまいました。 酒井抱一「墨梅」 鈴木基一「月に葛図」 そう言われると「殿の絵」を模倣している感があります。そして転機となったのが酒井抱一の死で、その後鈴木基一はしがらみから解放され自分の描きたい通りの絵を描き海外で琳派と言えば「鈴木基一」と言われるほどの絵師になったようです。 個人的には初めて琳派という言葉と鈴木基一を知ったのは8年前に一時帰国をした時で、たまたま立ち寄ったサントリー美術館で展覧会が開催されていました。生憎時間がなく「朝顔」のパンフレットを持ち帰っただけですがシンガポールに戻ってからもずっと長く記憶に残る絵でした。作家の原田マハ氏の言葉を借りると正に「美術館での一期一会」で、今回鈴木基一の人となりの一端を垣間見る事が出来たのはとても幸運だったと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.27 12:19:10
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