カテゴリ:カテゴリ未分類
2時GB,7時WU、二度寝、7時50分GU、薄曇り。花子とアン演出に異議あり。オーバーアクションが面白くない。NNHK全体がお笑いに毒されていて視聴率取りに変な小細工をしているとしか言いようがない。8時半から12時半までしっかり汗をかいて菜園作業。害虫駆除に困窮して遂にケールと佐土原ナスにマラソン乳剤を散布。しばらくは食用にはしない。あとはひたすら人力による除草作業。ゴーヤの下草、オクラの下草園路の雑草など、とってもとってもとりきれない。ついでに、ゴーヤ、オクラ、佐土原ナスへ追肥。しっかり汗をかいて12時半作業終了。
昼食後、13時半から潜水橋へスズキ釣りに出かけた。夜はお出かけなので真昼間のド干潮時とは知りながら「夢よもう一度」で出かけた。先着釣り師1名。ウナギ狙いでクソミミズで狙っているが、全き釣れないとのこと。「昼間は穴釣りでしか釣れないそうですよ」「深いし、岸からどんなして釣るん?」「多分テトラの上からですもんね」そんな会話をした後、小生はルアーを引き回しているかいないか不明のスズキ追りそうな流レぢ引き回してもさっぱり食いつかない。結局は先客さんと釣り談義をしただけで14時半帰宅。 先ずはPCで宮崎行きのバス時刻表検索。お気に入りの「愚利公の便利情報」に入れてあるのでカンタン。県立芸術劇場のレス十ラン貸切での「青木賢児名誉館長を囲む会」に出席する。高齢者バスカを利用できるので往復200円で行ける。ありがたき制度である。行きは17時16分、帰りは22時と決め、まだ時間があるので暫く昼寝。 16時シャワーで汗を流し洗髪、髭剃り。宮崎県芸術のメッカへ出かけるのだからちゃんとして行かなくてはの思いもある。青木さんは本県出身でNHK放送総局長かN響理事長のころ知事から請われて初代県立芸術劇場館長に就任された方で以来20年間宮崎県の舞台芸術、特に、徳永二男さんとのタッグで「宮崎国際音楽祭」を19年間主導されてきた方。就任20年目の昨年末に惜しまれて辞任、名誉館長になられた方。 小生とのなれ初めは青木さんが初代館長で小生は初代事務局長の関係であった。青木さんがNHK総局長のころに来宮の折、小生は芸術劇場建設プロジェクトチームリーダーだった関係から建設現場や綾の町おこし事業視察案内などした記憶がある。そんなこんなで、青木さんが小生の上司だったのは劇場開館時の1年限りであったのだが、その後もコンサートなどでお会いするたびに親しくして頂いていたので今回もお呼びがかかったのだろうと思う。 6時半開会の10分前に会場着。席は自由席だったが、青木さんへご挨拶に行ったら、みんな遠慮したのか青木さんの前の席が空いていたので、これはこれはと厚かましく着席させてもらった。開会のあいさつをしたのは開館当時の主管課長でその後県庁女性初の部長に就任した「UMさん」精一杯の青木讃辞で見事だった。次が青木さんの謝辞。司会者が、できるだけ簡単にと釘を刺したので、「館長、20年もやられたのだから簡単にしゃべれるはず有りません。気にしないで長く話してください」と援護射撃。お話の内容は、殆ど宮崎国際音楽祭の苦労話であった。N響のコンサートマスターだった徳永さんと二人三脚で作りあげられた宮崎国際音楽祭。アイザックスターンに芸術監督をお願いしたいきさつだけは離せないとか、音楽祭終了の危機が三度あったことなど興味津々のお話で20分近い話だったがみな熱心に聞き入っていて大変良かった。7時開宴で2時間たっぷりと懐かしの面々と歓談できて楽しかった。まだお偉いさんはいたのに何故か、小生にご指名で〆をヤレとのこと。「僕は、万歳三唱しかやらないよ。それでいいの」「結構です」で、小生の発声で万歳三唱でお開き。それから20分程度入れ代わり立ち代わり青木さんとの記念撮影を横から盗み撮りした。 最後に、芸術劇場のマドンナ(もう一人の永遠のマドンナと言われる人もいた)と青木さん小生での記念撮影をカメラに達者なわが自治会員でやはり芸術劇場勤務経験のあるHIさんにお願いして撮ってもらった。帰りはそのHIさんの車に乗せてもらい21時45分頃帰宅。スズキ、アオキさんと二日連続でいい日が続いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 12, 2014 01:47:57 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|