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2018.12.09
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テーマ:防災の話(1076)
カテゴリ:カテゴリ未分類


 今回は、2018(平成30)年の夏から秋にかけての災害の概要と教訓について考える2回目として、「台風」や「北海道地震」などを紹介し、「猛暑のあとに大地震が来る」という説についても検証してみます。

  
 最初は、2018年に日本に相次いで上陸した台風について、振り返ってみます。

 まず、7月上旬には、「台風7号」が対馬海峡を通過したところで温帯低気圧になり、このことが先に紹介した「平成30年7月豪雨」の直接的な原因の一つとなりました。

 次に日本に接近した台風12号は、「東から西」に進む逆走台風で、7月29日未明に三重県伊勢市に
上陸し、近畿・中国・瀬戸内海を東から西に通って、7月29日には九州の福岡県豊前市に上陸しました。
 熱海のホテルに高波が押し寄せるなどして、全国の負傷者は23名を記録しました。


 続いて、8月23日には台風20号が、南から北上して四国の徳島県に上陸し、翌24日には本州の兵庫県姫路市に再上陸しました。
 この台風では、静岡県で大学生4人が高波にさらわれ死亡しました。

 さらに、台風21号が「非常に強い勢力」のまま、9月4日に四国の徳島県南部に上陸し、その日のうちに本州の兵庫県神戸市に再上陸しました。
 この台風21号は、大阪府の「関空島」で58.1mの最大瞬間風速を記録し、大阪湾で3mを超す高潮を記録しました。
 大阪府・京都府・滋賀県・愛知県など、近畿・東海を中心に、13名が死亡し912人が負傷しました。
 また、「関西国際空港」の連絡橋にタンカーが衝突し、関西国際空港が使用不能になりました。


 さらに、台風24号が、9月30日に和歌山県田辺市に上陸し、10月1日までに、九州・四国・近畿・東海などで、大きな被害が出ました。
 全国で4人が死亡し、行方不明2人、203人が負傷しました。

 2018年の上陸台風の特徴は、東から西へ進んだり、対馬海峡付近で温帯低気圧に変わったりして、コースがこれまでの常識と変わったことや、本土直撃で暴風や高波・高潮などの被害を起こしたことなどです。
 温暖化が原因ではないかとも、言われています。


 今年の夏から秋かけての災害で、もう一つ忘れてはいけないのが「北海道胆振東部地震」です。

 2018(平成30)年9月5日に台風21号が北海道に大雨をもたらしました。翌9月6日の未明、午前3時7分に、北海道胆振(いぶり)地方の深さ37kmを震源として、マグニチュード6.7、最大震度7(北海道厚真町=震度は7がマックスです)の「北海道胆振東部地震」が発生しました。

 厚真町の土砂災害で36人が死亡するなど、死者41人、負傷者691人の大きな人的被害が出ました。
 また、道内の半分の電気を供給していた「苫東厚真火力発電所」が完全に停止し、北海道のほぼ全域で停電する「ブラックアウト」と呼ばれる状態になりました。

 北海道の電力のバックアップ体制の気弱性が明らかになった一方で、停電対策として、「電気自動車」を使った発電や、懐中電灯やランタンの上に「ペットボトルを置いて光度を上げる」ソフト面の工夫なども話題になりました。

 また、「セイコーマート」という北海道のローカルコンビニが、大手コンビニが営業できなくなる中で、日ごろの訓練や備えにより、1100店舗のうち1050店舗が営業を継続し、地域の生活を支えたことは特筆できるニュースでした。


<平成30年北海道胆振東部地震の震度図>





 こでまで見てきたように、平成最後の夏から秋にかけては、地震・豪雨・台風そして猛暑と、災害の多かった平成らしく、多くの災害に襲われました。 


 この年の災害で、私が気になるのは台風21号が、2018年9月5日に北海道に大雨をもたらして北へ通り過ぎた直後の、9月6日午前3時7分に、最大震度7の「北海道胆振東部地震」が起きたことです。

 「台風」の通過直後の「地震」というのは、実は以前にもありました。
 
 2007(平成19)年7月14日から15日にかけて、台風4号が日本に上陸し、新潟を含む全国で大雨を降らしました。
 その直後の2007年7月16日10時13分に、新潟県中越地方沖を震源とするマグニチュード6.8、最大震度6強(新潟県柏崎市・長岡市・刈羽村、長野県飯綱市)の「中越沖地震」が発生し、死者15人、負傷者2346人の被害が発生しました。

 台風と地震、そして猛暑は連動するのでしょうか?
 ここからは、この話をすることにします。

 
 まず、台風と地震の関係についてです。

 アメリカのマイアミ大学とフロリダ国際大学の研究チームは、2011年に台湾とハイチの過去50年間の事例を検証し、「マグニチュード6.0以上の大地震の発生前の4年間のうちに、暴風雨(台風)が
その地域を襲っている。」という研究結果を発表しました。

 「豪雨で発生した土砂崩れや浸食で、地上付近の地盤が動き、断層の負荷が取り除かれ、崩れやすくなった。」との結論だそうです。

 日本では、台風もマグニチュード6以上の地震も、毎年のように発生していてるので、この研究の指摘する「4年間」は長すぎると思います。
 しかし、「豪雨のあとに大地震が起きやすい」という仮説は、今年の「台風21号と北海道胆振東部地震」、「2007年台風4号と中越沖地震」の例をみても、かなり現実味があると思います。

 少なくても、「地震のあとの豪雨で土砂災害が発生しやすい」というのは事実ですので、十分な注意が必要です。


 もう一つ、よく言われる説に、「猛暑の夏のあとに大地震が来る」というのがあります。
 この説は本当でしょうか?

 試しに、気象庁が観測した夏(7月~9月)の東京の平均気温で、「関東(大正12年)」「阪神・淡路(平成7年)」「東日本(平成23年)」の3つの大震災の前後の年の「夏の平均気温」を見てみましょう。

 まず、1923(大正12)年9月1日に起きた「関東大震災」の前後の気温です。
 1920年が24.4度、1921年が23.6度、震災前年の1922年が25.2度、関東大震災が発生した1923年が24.9度、1924年が24.7度、そして1925年が23.9度となっており、震災の前年の1922年の夏の気温が、前後数年間で1番高いことがわかります。
 「猛暑の翌年に関東震災が起こった」ということになります。
 
 次に、1995(平成7)年1月17日に起きた「阪神淡路大震災」の前後の年の、「夏の平均気温」を見てみましょう。

 1992年25.3度、1993年23.4度、震災前年の1994年が27.3度、阪神大震災が起こった1995(平成7)年が26.5度で、1996年24.9度、1997年25.5度を記録しており、ここでも阪神大震災の前年の1994年の気温が前後数年で1番高いことがわかります。
 「猛暑のあとに震災が起こる」という言葉は、この「阪神大震災」でも当てはまります。


 それではもう一つ、2011(平成23)年3月11日に起きた「東日本大震災」の前後の「夏の平均気温」を見てみましょう。

 2008年が26.1度、2009年が25.3度で、東日本大震災前年の2010年が27.6度、東日本大震災が3月に発生した2011年が26.6度、翌2012年が27.2度、2013年が27.2度となっており、ここでも東日本大震災の前年(2010年)の気温が前後数年で1番高いことがわかります。


「猛暑の翌年に震災が起こる」という説は、少なくても近年の「三大震災」については当てはまりそうです。
 ちなみに、最近の夏(7月~9月)の平均気温を紹介すると、2016年が25.6度、2017年が25.5度、2018年26.4度となっています。
 これから来年にかけて、要注意かも知れませんね。

 もう一つ、最近の大地震は、冬から早春に起こる傾向があります。

 歴史を遡れば、2011年3月17日の「東日本大震災」、1995年1月17日の「阪神大震災」、1946(昭和21)年12月21日の「昭和南海地震」、1944(昭和19)年12月7日の「昭和東南海地震」、そして、1933(昭和8)年3月3日の「昭和三陸地震」と、最近は、冬から早春の時期の大地震が目立っています。

 岩盤が縮んで地震が起きやすくなるとの説もありますが、はっきりした原因はわかっていません。
 ちなみに、「昭和」の前の「南海地震」と言われる江戸時代末期の1854年の「安政東海地震」は新暦12月23日で、「安政南海地震」は同じ1854年の12月24日(南海地震の翌日)に起こっています。
 これらの地震は、12月から3月までに起こっています。

 ちなみに、死者22万人を出した「スマトラ島沖大地震・インド洋大津波」も、2004年12月26日に発生しています。 


 地震はいつ来るかは、もちろんわかりませんが、「冬から早春にかけて」と「猛暑の翌年」は、特に注意をする必要がある季節・年として、警戒・備えをする必要がありそうですね。


<写真 東日本大震災の被災地に揺れる黄色いハンカチ(宮城県仙台市荒浜地区)>






 最後は、被災地にはためく黄色いハンカチと「海辺の図書館」の話をしたいと思います。

 私が、多くの家屋が津波で流された「宮城県仙台市荒浜」の海岸を訪れたのは、東日本大震災の翌年の春でした。

 その時、建物が全部流された海岸に、黄色いハンカチが揺れていました。
 何にもなかったように穏やかだった太平洋からの海風に、揺れる黄色いハンカチには、「必ずここへ帰って来る」という被災者の皆さんの願いが込められていました。

 「幸福の黄色いハンカチ」は、1977年に公開され、第1回日本アカデミー賞を受賞した山田洋次監督の名作映画です。

 刑期を終えて網走刑務所を出獄した島勇作(高倉健)が、北海道夕張の自宅に帰る前に、「俺をまだ待ってくてるなら黄色いハンカチを家の前に上げてくれ」という手紙を妻の光枝(倍賞美津子)さんに送りました。
 ヒッチハイクの末に、勇作が網走から夕張の自宅にドキドキしながらたどりつくと、たくさんの「黄色いハンカチ」がはためいていました。
 この映画で「黄色いハンカチ」は、幸せの象徴になりました。


 仙台市荒浜地区は、今では「居住禁止区域」になり、住むことはできなくなりました。
 それでも、元住民が「海辺の図書館プロジェクト」を立ち上げ、元住民や支援する人たちが、交流や学び、癒しの場としてこの海岸に「図書館」のような場所を育てていこうという活動を続けています。

 この場所には、今も「黄色いハンカチ」が揺れていて、こんな言葉が書かれています。
「荒浜大好き、これからも来ます。何度も、何度でも!」
「荒浜の未来に向かって、これからも力を尽くし、共に歩みましょう。」


 住むことはできなくても、被災地は、「ふるさと」であり、みんなの心の寄りどころなんですね。

 地震・猛暑・台風・豪雨・・・、2018年の平成最後の夏から秋にかけて、日本は多くの災害に襲われました。

 これから、大地震の発生の多い「冬」がやってきます。 
 また、南海トラフを震源とする巨大地震(東海・東南海・南海の各地震)のこの先30年間の発生確率も、これまでの70%から2018年は「70%~80%」に上がっています。

 地球の温暖化や、地震エネルギーの蓄積により、日本の様々な災害の発生は、年々増えています。

 それでも、日本人の心の中に「黄色いハンカチ」が揺れている限りは、被災地のみなさんがまた立ち上がり、支援者とともに、復興してゆくことを信じたいと思いますし、2018年の教訓から一人一人が災害への「備え」を、加速してゆことを期待したいと思います。





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Last updated  2018.12.10 03:50:44
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