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ゲオルグ・ホフシュテッターというカトリックの男が、最初の妻(宗教改革派)と死別した後に、1575年にやはり宗教改革派であったレギーナ・ヴァイマーティンという女と再婚しようとしていた。彼がなぜ二度までも宗派の異なる女と結婚しようとしたかは不明だが、この再婚の申請を受けたアウクスブルクの結婚問題課は、次のような指導文書を二人に与えて結婚を認めている。
「彼、ホフシュテッターは、彼の新しい妻であるレギーナ・ヴァイマーティン、そして彼の以前の妻との間に生まれ、今後はヴァイマーティンが世話を引き継ぐ子供たちが、彼らのキリスト教信仰(宗教改革派)を信仰し、彼らの教会に通うことに関して、いかなる場合にも妨害せず、感化を与えず、また、苦痛を与えずにおかねばならない。 反対に、ヴァイマーティンと子供たちは、ホフシュテッターが、彼の信仰(カトリック)と良心において神の前に立ち、至福の救済にいたる努力を重ねるのを妨害したり、混乱させてはならない。 さらに、彼らは、結婚して家庭生活を送るときに、友好的な愛情と平和の内に、また、全能の神への畏怖において、互いに善良に、信頼を持って暮らしていかなければならない。双方のいずれも、激情や宗派のゆえに、他方と対立し、暴力を行使することがあってはなにらない。」(P163) 『宗教改革の真実』永田諒一 講談社現代新書 1517年に始まる宗教改革は、ヨーロッパ各地で激烈な対立を引き起こし、宗派が異なれば凄惨な殺し合いに至った例も少なくはない。しかし、宗派が異なろうがなんであろうが、好きになった男女が一緒になりたいと望むのは洋の東西を問わない。 宗派の異なる二人が結婚して後にどんな事に気をつけねばならないか、アウクスブルクの結婚相談課(こういう課があったのですね)が二人に与えた指導文書は、時を越えて中々に含蓄が深いものがある。 アウクスブルクでは、30年戦争(1618~1648)の余波を受けて市政府体制が不安定であった一時期(1635~49)を除いて宗派が異なる男女の結婚は自由であった。 考えの異なるもの同士の「共生」という事を考えさせられる。 君たちの「共生」も中々大変だね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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