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こちらは 映画や小説などの感想文(レビュー)です。

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お薦めの芥川賞 直木賞

2011.05.28
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直木賞受賞作で映画化にもなった『まほろ駅前多田便利軒』の続編。しをんさんによると、このシリーズは『~狂騒曲』で終了とのこと。大好きなシリーズなので素敵な終演を願うばかりだ。また、しをんさんにとっても大切な小説であるはず。素晴らしい作品に仕上げてもらいたい。

以前に、『~多田便利軒』に対する感想で、
>欲を言えば、しをんさんは、チンピラと交友を囓ると良い。チンピラって古い言葉だが、いわゆる本当のろくでなしを生で知ると描写が生きると思う。
と、記載したのは訳がある。ワルの描き方が極端すぎたのだ。例えば、不良少年の星が覚醒剤を扱っているのは有り得る事なのだけれども、改造拳銃で多田の車のフロントガラスを壊したのはB級映画みたいで良くない。
横浜御三家出身のしをんさんには、この感覚が分からなかったのかもしれないけれど、違法薬物は有っても拳銃が無いのが最近のアウトローなのだ。銃声なんかさせたら一発で刑務所だからだ。ここのところは映画化されたときには監督さんは分かっていて、拳銃が金属バットに変わっていた。

しかし、そういう背伸びも、外伝である『まほろ駅前番外地」ではだいぶ大人しくなり、『~狂騒曲』では読んでいてとても居心地がイイ。ワルの描き方に無理がないのだ。

『~狂騒曲』が発刊になったときの要望は、行天の実の娘である“はるちゃん”に対する対処の変化をもっと明確に描いてもらいたい。行天は親から歪んだ愛され方をされた。そのせいで、人を愛するということ自体を知らないのだ。愛することをしないのではなく、知らないのだ。そういう自分をあきらめながらも誰かとだったら解決できるかもしれないと感じたのか、匂いを嗅ぎつけ多田の近くに居る事となるのだ。そう、多田が親子関係のトラウマを解決するのを一緒に体験することで行天は己を泥沼から脱出させたいのだ。
ここの描きがとっても淡泊。「多田が朝に変えると、驚く事にはるは行天と仲良くしていた。」では物足りない。ついでに言えば、この晩に多田は憧れの女性と寝るのだが、はると行天を二人だけにするというギャンブルをしかけて、それをすっかり忘れて行為に集中できるような男なのかな。

未来永劫に残るしをん作品になるのだから、素敵に仕上げていただきたい。


横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to keisuke450@gmail.com









最終更新日  2011.05.29 00:51:34
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2011.04.20
「町田市民文学館 ことばらんど」という施設で『三浦しをん「THE MAKING OFまほろ駅前多田便利軒」展』というのをやっているので見に行きました。

「ことばらんど」の存在は知っていたが、市立図書館との棲み分けがよくわかんないので素通りしていました。今回、しをんさんのお陰で「ことばらんど」を伺うことが出来ました。しをんさん、ありがとう。

映画撮影で使われた衣装などの展示も面白いのですが、三浦しをんさんの“妄想大好き少女”なところが伺えたので嬉しい。
漫画化するときのポンチ絵などは、現実以上のしをんワールドが溢れてしまって最高でしょう。
本人曰くの妄想少女なのだが、ぶっ飛んだ妄想なくして何が生まれよう。そして、今回も大成功。
欲を言えば、しをんさんは、チンピラと交友を囓ると良い。チンピラって古い言葉だが、いわゆる本当のろくでなしを生で知ると描写が生きると思う。


横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to keisuke450@gmail.com






最終更新日  2011.04.21 09:02:41
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2011.03.05
まほろ
まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)
三浦 しをん (著)


物語の舞台は、わたくしが幼少から住んでいる東京・町田なので知っている所が沢山出てきて面白い。
文庫版の解説をされた鴻巣友季子先生に言わせれば小説の舞台を詮索するなんてナンセンスだと言う。その通りだ。
町田の事を全く知らない読者でもこの小説を楽しめるであろう事からもその通りなのだが、これを原作とした映画が4月には公開されるとあって、町田市民は大騒ぎだ。
勿論、わたくしも。

この小説はとても読みやすい。その理由は劇画的だからだ。登場人物の性格も中途半端でなく突飛なので分かりやすい。漫画や映画に展開するには良いストーリーだなと気軽に読んでいると、後半に不意を突かれる。
直木賞作品であることが後半でやっと分かる。
主人公で便利屋の多田も、高校の同級生であった行天も、家族に面倒を見てもらえない曽根田のばあちゃんも、小学生の由良も、出生時に病院で取り違えがあったため実の親子でない半生を過ごした北村も、みんな、家族という課題で悩んでいる。
著者の三浦しをん氏の主張はここである。
決して町田の紹介文ではない。

(続く~)

横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to keisuke450@gmail.com






最終更新日  2011.03.06 06:05:18
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2010.08.19

蛇にピアス
「蛇にピアス」
集英社文庫
金原ひとみ


2004年、第130回芥川賞を受賞した金原ひとみ氏の事をよく覚えている。ニュース番組は、二十歳という若さと危うさまでおも感じさせる美貌を持つ金原氏を大きく取り上げた。浮かないオジサンが芥川賞を取るより魅力的な記事で視聴率が保証されるからだった。
6年前の当時、僕も金原氏に注目した。芥川賞という純文学の新人賞に似合わない今時な雰囲気の女の子。その娘がPOPなワンピースを着て手を後ろに組み、カメラのフラッシュを浴びている姿は圧巻だった。堂々としている。決して小生意気な女の子のイメージは無く、きっと、ありのままの自分に自信を持っているんだろうなぁと感じた。
そんな金原氏を覚えている。

でも、その作品には興味が無かった。「蛇にピアス」という題名から、純文学というよりも“不良少女日記”という印象が強かったからだ。当時の僕は、アウトローな作品から得るものなど無いと思っていたから読む事すら無駄と思っていた。“不良少女日記”は映画やドラマで事足りる。

金原作品を無視し続けた6年間だったが、数年前から新聞のコラムで彼女の記述を熟読するようになった。これが不思議な魅力をもっていた。普通のコラムは「問題提起―思考―結論」となるのだが、彼女のコラムには結論という意見が無い。問題提起だけして自分の感想をちょっと述べてオシマイ。だからなのか、思考を読者がするようになる。

最近流行のカツマーがよく使う手法「こういうデータがあります。ああいうデータもあります。だからこうすべきです。」という文章には魅力なんか全く感じない。自分の主張したい目標方向に導くために資料をピックアップしているだけのトリックは市役所や警察の広報並みのものでしかない。

その点、金原ひとみ氏は、この新人賞作「蛇にピアス」に於いても既に思考を読者にさせている。ここが凄いのだ。
主人公ルイが爬虫類のようなスプリットタンに憧れた理由も読者が考えなければならない。刺青を完成した時の反達成感、理由なんか書いていない。自分の彼氏を殺害したであろう男と結ばれたい思う気持ちも自分で考えろって感じ。
人は美術館で一枚の絵を観ながら色々感じ考える。芸術作品に作者からの説明文は無い。アートって、そういうものなのだ。

蛇足だが、当時の金原ひとみ氏が大学の文学部に進学していたとしても無理があったと思う。それどころか、現代文の受験科目で合格点を取れなかったと妄想する。そういうタイプの一流アーティストもアリなのだ。


横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to cayman450s@yahoo.co.jp







最終更新日  2010.08.19 22:59:55
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2010.08.15

学生の頃、本を読むのが嫌いでした。
小学校低学年の頃はまだ良かった。学校内に有る図書室にクラスメイトみんなで行って、自分の好きな本を選んで読んでいたから。大抵、図書室は校舎の端っこに有って、管理する“図書室の先生”が不在の学校では担任の先生が施錠してある鍵を開け、野球帽子を携帯している少年とおさげの少女達が遊園地の如く楽しげに乱入した。
読書は最高の楽しみだったのだ。
しかし、当時の大人の多くは著しく幼稚だったので、真の良さよりもブランドを優先していた。否、真の良さを知る能力が無かったのかもしれない。代表的なのが「小公子」と「小公女」で、小学高学年になると読む事を勧められる。同時に、この頃に多くの子は第一次反抗期になるので、お上からの推薦に反発する。理屈抜きで大人の推奨するものには嫌悪する。
昭和の頃を懐かしみ栄誉する人が居るが、僕は否定する。当時の日本人は大人も子供も廃れた心を持っていたと思う。「金持ち=偉く良い人」って狂乱な思考でしょう。結婚相手を“三高”で選んだり、就職する会社を数年後の年収で選択したり、クラウンの後ろの席でふんぞり返って居る社長が正で、運転している運転手が非だという単純な図式、あまりにも愚かな学歴絶対主義時代だった。
そんな時代だったからこそ、純文学って反抗期の子どもには嫌われた。

物質的には恵まれた時代に多感な時期を過したのだけれど、精神的には刷り込みの餌食になっていたのかもしれない。
オバカなPTAが、「ドリフターズは子どもを馬鹿にする」と言っていた。でも、ドリフの影響でバカに成った人はひとりも居ない。馬鹿だったのは当時のPTAたったのだ。

そんなこんなで、純文学って「面白みが無い正義感のストーリー」というイメージが有ったが、今こそ本当の純文学の楽しみ方を認識したい。


横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to cayman450s@yahoo.co.jp







最終更新日  2010.08.16 00:04:14
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