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こちらは 映画や小説などの感想文(レビュー)です。

全5件 (5件中 1-5件目)

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松井冬子

2012.02.09
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カテゴリ:松井冬子
松井冬子
画家 松井冬子


今回は訂正事項となります。

それは、以前の記載の「松井冬子(第2章 主張の概要)」にて、
「血やはらわたを繊細に描く事に・・・」という一文を記載しましたが、正確ではなかったということです。
確かに、松井冬子のデビュー作ともいうべき「世界中の子と友達になれる」には血が画かれていました。少女の白い手と足の指先に、血液が画かれていたのです。しかし、その後に画かれる数十の作品には、血液は画かれていないのです。

今回の横浜美術館で展示された全作品を注意深く観ると、腑(はらわた)は画けど、血は見当たらないのが分かります。血液なのか、赤みを帯びた肌なのか微妙な作品は1,2点ありますが、それも極力血液として画いていない。

なぜでしょうか。“その内側でさえも真実であり、美なのだ” との主張と反するようにも感じます。
確かに血液も腑と同様、内側であり真実です。なのに松井冬子は、血を避けるが如く、画こうとしなくなりました。

この件に関する、冬子の説明は見当たりません。私が思うに、作品の女を汚れた姿にしたくないからだと思います。冬子は自分の作品に登場する女を愛しています。「そんなことはクリエーターとして当たり前だ」と言うこと無かれ。私は文筆家でも主人公をトコトン不幸に追いやって、THE ENDの小説を知っています。
冬子は作品の女を愛するがために、血で汚したくないのです。

血に対する印象は、男女で異なります。女性は月経が身近なために、血液から老廃物を連想するのです。これは、男性には気付かない感覚です。
愛する女という肉体を汚したくないがために、血を画かないのです。

松井冬子展 ー世界中の子と友達になれるー
横浜美術館 201112/17~2012/3/18
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2011/matsuifuyuko/outline.html



横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to keisuke450@gmail.com







最終更新日  2012.02.09 19:07:30
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2012.01.18
カテゴリ:松井冬子

世界中の子と友達になれる
 横浜美術館 松井冬子展の題材にもされた作品「世界中の子と友達になれる」は、松井冬子のデビュー作といっても良いものです。これは彼女の東京藝術大学卒業制作及び、同大学修士課程の修了制作の作品です。
 「世界中の子と友達になれる」には、冬子がその後に創り上げる彼女の世界観の始まりがあるのです。冬子作品の世界観のひとつに「痛み」があります。「痛み」は誰もが共有する感覚です。避けたくとも避けられない「痛み」という苦痛を作品に転化することによって、癒そうともしているのです。・・・

続きはこちらから。↓
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横尾けいすけ Yokoo Keisuke
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最終更新日  2012.01.18 11:31:46
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2011.12.22
カテゴリ:松井冬子
 この世で一番美しく、一番魅力なものは何だろうか。花だろうか、星だろうか、富士の山だろうか、海だろうか。
答えは、人間の女性である。この世で一番に美しいのは女なのだ。中でも大和撫子は素晴らしい。絹の肌と白魚の手を持ち、黒い瞳には深々とした奥深さを感じる。
日本人女性こそが、この世で一番美しいのだ。
 松井冬子の作品は、女、もしくは雌が描かれる。描かれる女は、若い女か、幽霊が多く、私には全てが日本人女性としか見えない。その可憐で華奢な四肢からは、東洋人というより日本人女性にしか見えないのだ。もし、そうだとして、なぜ、松井は大和撫子しか描かないのだろうか。たしかに松井の描く日本画には、日本女性がしっくり来るのは理解出来る。インクも画紙も大和撫子の方がはまるのだ。しかし、それ以上に理由があるからこそ、日本人女性ばかりを描くのだろう。
世界中の子と友達になれる
 その理由は、私と同様、松井も大和撫子を愛しているからだ。美しいと思っているからだ。松井の作品をグロテスクに感じる方も少なくない。目を背けてしまう人も居る。血やはらわたを繊細に描く事に嫌悪する人も居る。しかし、もう一度見てほしい。それは真実なのだ。生々しいはらわたも血も、全ての美女が持っているものなのだ。それがタブーとされた社会だから、女のはらわたに愛しさを感じる男はゼロに近い。しかし、松井は主張する。その内側も真実であり、美なのだ。
 ほんとうの意味での「きみの全てを愛する」が、松井の世界にはある。

松井冬子展 ー世界中の子と友達になれるー 横浜美術館 201112/17~2012/3/18
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2011/matsuifuyuko/outline.html



横尾けいすけ Yokoo Keisuke
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最終更新日  2011.12.23 06:07:25
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2011.12.07
カテゴリ:松井冬子
松井冬子の表現する世界は、平和に暮らす人から見ると、一見異様だ。
この「浄相の持続」という作品などは、冬子の特長が分かりやすい。

浄相の持続

・・・ようするに、
  若い女の 腹が切れて
  横たわっているのだ。・・・

当初見た時、女は他者より殺害されたと感じるが、よく見ると、この女は薄ら笑いを浮かべているのだ。
人は殺されるときに笑うだろうか。
また、美しい花の咲く所を現場に選ぶあたりも、他殺でなく自害である想像が消し去らないのだ。自分の最期を飾る場所を選んだとしか思えないのだ。
さらに言えば、裂かれた子宮には、恐ろしいことに 新たな生命が確認できるのだ。

この絵を見たとき、生々しいはらわたにまず視線が行ってしまうことに気付いてほしい。もし腹が裂けていなかったら、裸体の女の何処に視線が行ったであろう。それは乳房かもしれない、性器かもしれない、美しい顔かもしれない。しかし、はらわたを現すことによって、その美しさは全てキャンセルされてしまうのだ。万一、この女が自らを殺め、腹を切り乳房を裂き、その姿を誰かに見せしめんとするならば、そこにはどういう主張があるのだろうか。

(続く)

横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to keisuke450@gmail.com








最終更新日  2011.12.07 22:50:29
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2011.10.17
カテゴリ:松井冬子

世界中の子と友達になれる

 目的の書籍をインターネットで購入することが習慣化しているが、それでも本屋には時折立ち寄ることにしている。なぜなら思わぬ書籍との出会いが本屋にはあるからだ。
松井冬子女史との出会いも そんな風だった。書店で彼女の画集を開いたのが切っ掛けであった。

 あなたには、何の気なしに、すーとその本を手に取り、数ページを確かめた経験がないだろうか。それは潜在意識が引き起こす行動なのだが、私が松井冬子の画集を手にした時も、己の潜在意識と作品集の潜在意識が引き寄せられるように、遭遇が起こったのだ。そう、松井冬子は、その作品に息吹きを吹き込む事が出来るのだ。
基、真の芸術家とは、生命力を創造する者である。その表現体が作品なのだ。人間や動物などの生き物が発する生命力を作品が得た時点で、それは芸術品となるのだ。

 何の気なしに書店で見開いた松井冬子の作品集。そこには強い生命エネルギーがあったのだ。

松井冬子画集
松井冬子画集(1)
松井冬子(作)
エディシオン・トレヴィル/河出書房新社(出版)



松井冬子展  ― 世界中の子と友達になれる ―
横浜美術館にて 2011年12月17日(土曜)~ 2012年3月18日(日曜)
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition_web/001/



横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to keisuke450@gmail.com






最終更新日  2011.10.17 08:38:34
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