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2022.10.12
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あはれとも いふべき人は 思ほえで
         身のいたづらに なりぬべきかな

                   謙徳公



忘れじの 行く末までは 難ければ
         今日を限りの 命ともがな

                   儀同三司母


恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
         恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

                   相模

百人一首45番、54番、65番の“ゆかりの地”に選んだのは、京都市上京区にある「一条院内裏跡」


中立売通と大宮通りの交差点を少し北に入ったところ。西陣地区の南にあたる場所にある。

「一条院内裏跡」とは、一条天皇(980-1011)の住まいがあった場所。

元は45番の作者、謙徳公こと藤原伊尹(924‐972)の邸宅で、伊尹の没後に、伊尹の弟を経て一条天皇の母となった詮子の所有となった。その後、一条天皇の里内裏になった所だ。

54番の作者の儀同三司母は、儀同三司の官職にあった藤原伊周の母。
名は高階貴子といい、時の摂政関白 藤原道隆の妻という超上流階級の女性で、子供のひとりが、
一条天皇の中宮である定子。清少納言の主君として有名な中宮定子だ。
夫の道隆が存命中はセレブ生活だったが、道隆亡き後に息子の伊周が藤原道長との権力闘争に敗れ、息子が左遷されてからは淋しい生活になったという。

一条天皇と中宮定子の間に生まれた脩子内親王に仕えたのが、65番の作者の相模

謙徳公の邸宅、儀同三司母相模は一条天皇ゆかりの人物ということで、ここを“ゆかりの地”とした。


「一条院内裏跡」の前の大宮通り。

このあたりは静かで車の往来は激しくない。

一条院跡としては、「源氏物語ゆかりの地」の説明板がすみっこにあるのみ。
一条天皇のもうひとりの中宮、藤原道長の娘の中宮彰子に仕えていた紫式部が日記に書いている内裏は一条院内裏のことなので、ここは「源氏物語ゆかりの地」なのだ。

それよりも目立つのは、「名和長年公遺蹟」の文字。


名和長年、、、どこかで聞いたような気がするな~ と考えていたら、
2年前に再放送していた大河ドラマ「太平記」で小松方正さんが演じていた武将だと思い出した。
隠岐に流された後醍醐天皇が島を脱出する際に活躍した武将で、後醍醐天皇に重用され、後に足利尊氏に討たれ、討たれたと場所はこの辺りと伝わっている。
今は児童公園になっている。

鳥居の横には萩の花が咲いていた。



少しこの周辺を歩いてみた。

大宮通りの1本東側の旧大宮通り。




一条院内裏跡のすぐ南の中立売通。


御所の中立売御門に突き当たるこの通りの向こうに、



如意ヶ嶽の「大」の字が真正面に見える。
ちょっと遠いけれど、8月の送り火では鑑賞ポイントになる場所ね。

中立売通と大宮通りの交差点には石碑がある。


「聚楽第址」「此付近大内裏及聚楽第東濠跡」とある。
秀吉が建築した聚楽第のあった場所で、この辺りで金箔の瓦が多数出土している。

ここは京都らしい歴史的に濃い場所のようだ。





一条院内裏跡(名和長年公遺蹟)
京都市上京区梨木町192





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Last updated  2023.01.05 23:54:43
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