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テーマ:ヴィッセル神戸(4963)
カテゴリ:ヴィッセル
毎年 開幕は心待ちだが しかし、それでも
今年ほど 開幕戦そのものが 待ち遠しいことはなかった・・・ それは 全来場者への タオマフプレゼントがあり そこには WE NEVER FORGET 1.17 と書かれていて そのタオマフを 皆が スタジアムに集う 皆が掲げて 「神戸讃歌」を歌うのかと 思うと・・・ いままで 神戸讃歌を知らなかった人も はじめてスタジアムに来る人も あるいは いままで来ていて 神戸讃歌ええ歌やなあと思ってききながらも なんとなくタオマフは掲げなかった人も もらってしまったんですから きっときっと 掲げてくれるでしょう 壮観ではないかと 一人思っています それが 震災 あの震災から 20年の年の 開幕戦だということに あの日 生まれた わが子のような ヴィッセルを讃えて 多くの人が集まってくることが 無性に嬉しい でも 違うかな そんなにタオマフ掲げてくれないかなあ わたしが、こんなこと書くのも (阪神淡路大)震災5年ごろ あることで東京に行ったとき ある先輩が 私の労をねぎらいつつも「まあ震災も今度は10年が区切りだね」『しかしそれまで被災地以外では誰も覚えていないだろうなあ』と 変な慰め方?され ずっとそれが心に残っているからです。 10年経ったら、街も復興し 全壊して再建した我が家も家族も安定し、みなも震災の傷跡も薄れ・・<君も家族もきっと前向きに生きているよ>という先輩なりの励まし?という含意もあったのだろうが・・それにしても・・。 しかし10年を過ぎ15年を過ぎても 誰も忘れはしない。忘れられない。幼かった娘は東日本の被災を知って それまで「(小さくて)なーんにも覚えていない」と言っていたのが「全部、思い出した!」と。 そして20年。きっとあの震災の後に生まれた子供たちも タオマフを掲げてくれるのでは そこには <わたしたちは 1月17日を 決して忘れない>という文字、そして絆。 それだけで 小生は 15年前に戻って その先輩に言ってやりたい衝動があります。 「いや、区切りはないと思いますよ。10年経っても、15年経っても、いや20年経っても 震災の後生まれた世代も きっと忘れていませんよ」と。 (あ、ちなみに 娘にはA型はしつこい と 上記の10年一区切りの話しをすると ちょっと嫌がられます。) 追伸 開幕戦3月7日は 東日本大震災発災の4日前です 当然 WE NEVER FORGET 3.11 と思い タオマフを掲げる気持ちです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.03.04 12:08:40
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