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テーマ:阪神淡路大震災(38)
カテゴリ:ヴィッセル
今日は 昨日から出張ゆえ、夕方5時46分の黙祷に間に合うように 午後早い時間に東京を発つ。
当時 小学校2年生で、同級生をなくしている次女と一緒に。彼女は震災20年、ヴィッセルのメモリアルマッチを観戦したあと はじめて 東遊園地の1.17を訪れ、それから4年連続で・・。 帰って神戸新聞WEBで ヴィッセルの4年ぶりの 1月17日始動を知る。 吉田孝行監督のたっての願いだと・・・さすが わがヴィッセル神戸の われらが タカユキ! 震災の記憶の風化がいわれるが ヴィッセル神戸のスタジアムに集う人々の 神戸讃歌の歌声ある限り 風化はしない!と。 以下に神戸新聞記事 転載します ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ![]() J1神戸は、兵庫県川西市出身の吉田孝行監督の強い希望を受け、2011年以来となる阪神・淡路大震災発生日に始動した。クラブ全体での黙とうも4年ぶりで、三田市出身の小川慶治朗は「風化させてはいけない。気が引き締まった」と神妙に語った。 地震が起きた1995年1月17日に初練習を予定していた神戸。吉田監督はクラブの原点を見つめてもらうため、被災当時の映像などを自ら編集し、練習前のミーティングで流したという。 ピッチに移動後、横一列に並んだ選手、スタッフらが吉田監督の合図で黙とう。約350人のサポーターが復興とチームの歩みを重ねた応援歌「神戸讃歌(さんか)」をささげた。 震災について知っていたというルーカス・ポドルスキは「この場に立ち会えて感慨深い」と話した。(有島弘記) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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今晩は、あれからもう23年経って当時に生まれた子供達も大学を卒業して社会人になってるとは月日の過ぎるのが早いと感じますね。
思えば当時ヴィッセルも震災で出花鼻を挫かれつつも永島らが立ち上がってまだ神戸のチームだったオリックスと共に頑張ってくれたのが懐かしいです。 (2018.01.17 22:15:32)
星の風来坊さんへ
そうですね 「あの日」生まれたヴィッセルが成人式終えて23歳ですから・・。 これからは 学校でも震災経験を極、幼いときに経験した あるいは経験ない先生が、まったく同じように経験ない両親から生まれた 子供たちに 震災を伝える事になりますが・・・私は わがヴィッセルの スタジアムで響く「神戸讃歌」は とても大きな役割すると期待しています。 (2018.01.19 11:21:35) |