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桜井ジャーナル:マスコミが報道しない事実    ―見えない「帝国」の闇 【非公式情報】    

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2009/04/15
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 1975年から79年にかけてのカンボジアはポル・ポト派(クメール・ルージュ)の支配下にあった。この時代に5万人から15万人が処刑され、飢餓や病気で死んだ人を含めると犠牲者の数は100万人以上に達すると言われている。この「虐殺」を裁く特別法廷が3月30日に始まったのだが、真相が明らかにされる可能性は小さい。何しろ、この出来事にはアメリカ政府が深く関与しているからである。

 アメリカ政府がカンボジアに対して大規模な空爆を始めたのは1969年3月のこと。戦争状態にない国を秘密裏に爆撃したのである。政府内部にも反対の声はあったのだが、ヘンリー・キッシンジャーに押し切られてしまった。投下された爆撃の規模は第2次世界大戦で使用された爆弾の総数を上回るといわれ、その後の餓死や病死の大きな原因になった。

 当時、ノロドム・シアヌーク国王はアメリカによる爆撃を激しく非難しているが、アメリカのマス・メディアは無視した。ただ、ニューヨーク・タイムズの記者が「ベトコンや北ベトナムの軍事物資集積所や基地」をアメリカ軍が攻撃しているとする記事を書いたくらいだ。

 アメリカの攻撃を正当化する記事だったのだが、キッシンジャーは許せなかった。爆撃していること自体が機密事項だったからである。国防長官に電話してリークを責め、FBI長官に電話して記者の情報源を調べるように命じている。そして政府職員とメディア関係者に対する盗聴が始まった。ロン・ノルがクーデターを実行してシアヌークを追放するのは問題の報道があった翌年のことだ。

 一連の爆撃は当然のことながらアメリカやその傀儡であるロン・ノルに対する反発を国民の中に生み出し、ポル・ポト派の勢力拡大につながった。ポル・ポト派時代の餓死や病死だけでなく、処刑にもアメリカ政府には責任がある。

 1979年にポル・ポト派政権が崩壊してヘン・サムリン政権が誕生するのだが、アメリカは中国とともにポル・ポト派を支援している。これがアメリカ流。つまり、ポル・ポト派の悪行を暴こうとすると、アメリカの悪行も浮かび上がってしまう。

 考えてみれば、ソ連と戦っている間はアル・カイダを「自由の戦士」として支援し、今では「テロリスト」と呼んで先制攻撃とファシズム化の口実に使っている。アメリカの権力者には信念も哲学もなく、欲望にしたがって行動しているだけだ。

 虐殺ということなら、アメリカの情報機関と特殊部隊が1967年から実行した「フェニックス・プログラム」と呼ばれる秘密作戦を忘れてはならない。米上院の公聴会でCIA長官は2万0587人の住民を殺害し、2万8978人を投獄したと証言しているが、別の推計では約4万1000人が殺されたという。作戦の目的はベトナムの村落共同体を破壊し、恐怖心を植えつけて抵抗運動を弱めることにあったとも言われている。恐怖を呼び起こすようなショッキングな事件で大衆の心理をコントロールできると彼らは信じているようだ。

 2001年9月11日に航空機がニューヨークの高層ビルに突入すると多くの人々はショックを受け、アメリカ政府の暴走を止められなかった。アフガニスタンやイラクに先制攻撃を仕掛け、国内では憲法を無視した治安対策が強行されていったのだ。つまりアメリカはファシズム化した。その際、国土安全保障室(後に「省」へ格上げ)が設置されたが、その中枢にはフェニックス・プログラムの出身者が含まれていた。「テロとの戦争」は「テロリストの戦争」という側面があると言わざるをえない。新自由主義とファシズムは重なって見える。 (2009.4.4)







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Last updated  2009/04/15 12:16:30 PM
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