|
テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:15年戦争関連
昨日の新聞に興味深い記事があったので転載。
米ソ冷戦下の1950年代から60年代にかけ、米ネバダ州では大気圏内核実験が続けられた。 実験場の風下で暮らす住民は被ばくで肉親らを失い、今も健康被害に苦しむが、米国は、長崎、広島への原爆投下を正当化したのと同じ国益の論理で被ばく者の声を黙殺し続けている。 実験場から約250キロ離れたユタ州セントジョージで、核兵器開発競争の犠牲になった人々の声を聞いた。 地平線のかなた、夕日に染まったきのこ雲。地元病院に勤めるクラウディア・ピーターソンさん(52)は幼い日、父に手を引かれ、ネバダの砂漠を望む岩山へ核実験を見物に出かけた。その光景が今も忘れられない。 1962年まで約100回行われた核実験のたびに、大勢の住民がこの岩山に詰めかけた。 「危険はない」という軍の説明を信じたからだ。 異変は60年代後半に起きた。住民が次々とがんに倒れたほか、家畜が一気に全滅して廃業する農場も続出。80年代には、ピーターソンさんの父親が脳腫瘍で亡くなり、姉と最愛の6歳の娘がやはりがんで父の後を追った。 セントジョージなど、風下の住民1200人は79年、国を相手取って、被ばくの損害補償を求める訴訟を起こしたが、87年に敗訴した。 90年に「放射線被ばく補償法」が制定された。だが、補償額が低い上、適用条件も厳しいため、補償件数は2千件弱にとどまっている。実際の被ばく者数は「その何十倍」(地元病院)に上るとみられる。 多くの被ばく者は力尽き、地元の反核運動は盛り上がらない。二度のがんを経験し、甲状腺障害に苦しみながら運動を続ける元教師、ミッシェル・トーマスさん(54)は「被ばくの悲惨さを訴えると非国民扱いされる」と打ち明ける。 ピーターソンさんは日本の平和団体の招きで、長崎、広島を訪問した経験を持つ。日本への原爆投下について「戦争を早期に終結させるために必要だった」と教育されてきたが、両被爆地で想像を絶する悲惨さを目の当たりにし、疑念を抱くようになった。 ネバダ核実験場の問題についても、地元学校の教科書は、放射線被ばく補償法などを淡々と説明しているだけ。ピーターソンさんは、そこにも歴史の暗部から目を背けようとする米社会の意図を感じている。 ------------------------------------------------------------------------------ アメリカの一般人にもこれほどの被ばく者がいたことは全く知らなかったので驚きました。 これを読んで思うのは、どの国も同じなんだな、ということ。 まず第一に優先するのは国益であって、そのためなら国民を簡単に棄ててしまえる。 都合の悪いことは都合よく解釈するか、隠し続けて存在を消す。 自分の国のことなのに国民に伝えようとしない。 そして改めて感じた放射能の恐ろしさ。 「被ばくの悲惨さを訴えると非国民扱い」 こんな意識しかない人は、核は敵国のみならず地球全体の環境を破壊し続け、 巡り巡っていつかは自分の国や孫たちにも還ってくるものだとは考えてもいないのだろう。 核使用を正当化する人が圧倒的に多いアメリカ。 でも、原爆は本当に非人道的な無差別大量破壊兵器です。 一過性ではなくいつまでも苦しみを与え続けるもので、取り返しのつかないことをしたのです。 イラクや北朝鮮を非難するのは結構だけど、自らのしてきたことを信じて疑わない超大国にも とても恐怖を覚えます。 そんな自信に溢れた国に追随するだけの我が国も大いに心配。 原爆投下に理解を示す大臣の発言は、何も考えてないのを露呈したようなものだったし・・。 平和記念式典での広島市長の言葉は、政府に対して明確に思いを伝えていて、とても良かったです。 少しだけ救われた気がしました。 日本政府、日本人、世界中の人たちにこの思いが伝わってくれるといいのだけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[15年戦争関連] カテゴリの最新記事
|
|