伯耆国尚春の短刀
今回は、伯州住秀春の初期作とも言える【尚春】二字銘の短刀を記載致します。先年、伯州住秀春の研究と題して五回に渡って拙文を記載しましたが、その中であくまで推測ではありますが、尚春銘で鍛刀したのは弘化3年【1846年】から、江戸修行に出た安政3年【1856年】までの10年間であろうと記載しました。此の短刀も年期が無く、何時頃鍛刀されたのか解りかねますが、地鉄が常の秀春刀とは異なり無地風の鍛えとなっております。ルーペで見ると細かい肌は見て取れますから、研ぎ直せば肌は出るのかも知れませんが、現状では一般的な新々刀の地鉄に見えます。尚春銘の刀は余り手に取って見たことが無く、尚春時代の地鉄のこなしがどうだったのかは解りかねるのですが、ルーペで地肌を見ると、秀春時代の地沸の付いた地鉄とは少し違うようなので、江戸修行前後では地鉄の鍛法が違うのかも知れません。表銘 尚春 秀春銘に較べて鏨の打ち込みが強く若々しさを感じます。手前味噌ではありますが、此の尚春の書体は秀逸で一幅の書画を見るようです。尚春銘の場合は、茎の長さが秀春銘の様に長く無く、尋常な長さに仕立てているようです。【伯州住秀春の短刀】左記をクリックして比較してください。刃長 7寸7分9厘【23.6㎝】 反り無し 短刀にしては重ねが厚く、元重ねで2分3厘7毛【7.2㎜】もあります。元幅 9分3厘【28.2㎜】 先幅 7分9厘【21.5㎜】地鉄 鍛えは密に詰み無地風となる。刃紋 匂い締まり心の二つ連れた互の目乱れ、帽子は小丸に返る。匂い口は明るい。登録は昭和43年鳥取県で有りますから、長く当地に伝来し愛蔵された物でしょう。幕末頃と思えるお国拵えが付属しています。柄巻きは濃い深緑の柄糸で諸撮み巻きに巻き締め、鞘は手間のかかる縦刻みを施して木目を現わしています。金具は四分一、縁頭、鐺、鯉口、鍔、小柄、銘はありませんが一作と思える物です。縁頭、鯉口、鐺は、四分一地金に片切り彫りで波を彫り、小柄には波にトンボを飛ばしており、目貫は千鳥でしょうか鳥の容彫を据えています。古来、トンボは勝虫とも言い換え前に進むだけで後退しないことから、武士に好まれ刀装具の図柄としては良く使われています。鯉口を金粉で塗り込めた因幡拵えと云って良いのだろうと思いますが、鞘の仕立ては鯉口よりも鞘尻を太く取って、小さいながらも尚武の雰囲気を醸し出しています。四分一金具を使用している所や、手間のかかる鞘塗りを施している事から、下級武士の差し料では無く当時は大身の武家の差し料であったと思われます。珍しいのは、小柄小刀で在銘で【伯耆国甚太郎作】と切銘があります。伯耆国甚太郎とは秀春の子息であります。長男甚太郎は、明治2年元服【16歳】にあたり記念に1振り作刀していますが、此の小刀も其の当時修行作として鍛刀した物かも知れません。切銘は流暢で秀春が切銘したのではとも思いますが、本人が切銘したとすれば、後年に造られた物とも思えます。何れにしても、短刀、小刀を親子合作で纏めているのは珍しく貴重で、絆の強さを感じられ心温まる思いが致します。本来ならこの様な希少な刀は、故地に在ってこそ光輝く物だと思料しますが、其の価値が見い出せなければやむを得ないことなのでしょう。最近は、長い刀より短刀や小脇差しの様な短い物を鑑賞することが多いです。現代刀の平安城祐光や、先日記載した郷土刀の橋本邦光、そして伯州住秀春の短刀、此の尚春の短刀等ですが、小品と雖も結構見所があって楽しんでいます。