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本と対話したい

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Dec 3, 2023
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カテゴリ:老後

​​​​​​​​​

【今日のキラリ引用】


🔵「DIE WITH ZERO」 ビル・パーキンス ​​​児島 修​​

 

​​

​​​​​​​  人は老化には逆らえない。いつかは誰でも死ぬ。だからこそ、限られた時間のなかで最大限に命を燃やす方法を考えなければならない。​​​

 高尚で哲学的な話のように聞こえるかもしれないが、これは「最適化」の問題だ。つまり、人生からどれだけ無駄を減らし、価値あるものを増やすか。

 誰もがこの問題への答えを求められている。おかれた状況によって違いはあるものの、基本は同じだ。死ぬまでに、限られた自分のエネルギーを、何にどれくらい割り当てるべきか、という問いである。 

 人生の満足度を最大限に高めるために、ライフエネルギーのどれだけを稼ぐために、費やし、どれだけを経験に費やすべきか。その問題の答えは簡単には導けない。 

 私の一番の願いは、この本を通じて、一人でも多くの人が、漠然と流されるように生きるのではなく、明確な目的と意図を持って人生について考えるようになることだ。明確な将来の計画を持ち、同時に今を楽しむことを忘れない。そんな生き方をしてほしい。

 有意義で思い出に残るものという観点から、一度きりの人生で本当に何がしたいのかを考えてみよう。

 この本の大きな目的も、直感や本能に頼るのではなく、人生を豊かにする経験を意図的に選択する方法を示すことだ。

 この人生でどんな経験をしたいのかを真剣に考え、それを実現させるために計画を立てるべきだ。

 「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出づくりです。最後の残るのは、結局それだけなのですから」

 人は誰でも、常に思い出を通して人生の出来事を再体験できる。

 アリとキリギリスの寓話の有名な結末は、アリが穀物を収穫して満足そうな(得意気な)顔をしている一方で、夏に遊んで蓄えを使い果たしたキリギリスがお腹を空かせているというものだ。

 どちらの生き方が正しいとされているかについては議論の余地がない。もちろん、間違っていたのは将来を考えず、刹那的な生き方をしたキリギリスのほうだ。

 ただ、誤解しないでほしい。私は誰もがキリギリスのように生きればいいと言いたいのではない。人生の冬に備えて蓄えなくてもいいとも言わないし、経験のためならどれだけかねを使ってもいいとも言わない。そんなのはバカげている。

 私が言いたいのは、現代の社会では、勤勉に働き、喜びを先送りにすることを美徳とする、アリ的な生き方の価値が持ち上げられすぎているということだ。その結果、キリギリス的な生き方の価値が軽視されすぎている。

 つまり、キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきなのだ。この本の目的は、アリとキリギリスの生き方の中間にある最適なバランスを見つけることだ。

 ~重要なのは、「どの年齢で、どれくらい金を稼ぎ、どれくらい楽しい経験に金を費やすか」だ。

 経験は私たちに、尽きることのない「配当」を与えてくれる。

 それが、~「記憶の配当」だ。

 経験からは、その瞬間の喜びだけではなく、後で思い出せる記憶を得られる。

 金を払って得られるのは、その経験だけではない。その経験が残りの人生でもたらす喜び、つまり記憶の配当も含まれているのだ。

 

 もちろん、老後の備えは必要だ。

 だが、老後で何より価値が高まるのは思い出だ。

 だから私はあなたに、できるだけ早く経験に十分な投資をしてほしいと考えている。

 人生を豊かにする経験に時間と金がかかるのは事実だ。投資する時間と金が多いほど、
経験から得られる満足度も高くなる。

 ~大人になれば、選択肢が増える。どんなふうに生きるか、時間と金を、いつ、どこに投資するかは自分で決められるようになる。にもかかわらず、残念ながらこの自由を十分に活用している人は少ない。

 もちろん、誰でもある程度は仕事や趣味、人間関係、旅行先などについて、意識的な選択をしながら生きている。それでも、日常生活の大半は、誰かがつくったプログラム通りに行動しているかのように無自覚に生きている。時間と金をどのように使うかについて十分には考えていないのだ。

 

 ~。人生を存分に楽しむには、無意識な自動運転をやめ、自らの意思で思う方向に操縦していかなければならない。

 ~、仕事を喜びの源泉だと見なしている人であっても、仕事とは無関係の経験にある程度の時間を費やすべきだと考える。 

 なぜ退職者は、老後の早い段階で金をたくさん使おうとしないのか?

 何を待っているのだろうか?

 答えはいくつかある。

 まず、金を使いたいという意思はあるものの、年を重ねるごとにやりたいことが変わり、意欲も薄れていくことだ。

 退職金計画の専門家の間では、この消費パターンの変化を表す専門用語さえある。リタイア直後の意欲的に行動する期間を「ゴーゴーイヤー」といい、それが数年続いた後、行動が穏やかになる「スローゴーイヤー」が来て、最後に行動しなくなる「ノーゴーイヤー」になるというものだ。

 ~

 人々が金を必要以上に貯め込み、死ぬ間際になっても手をつけようとしない明確な理由がある。

 それは老後のよきせぬ費用、特に医療費のために貯金を維持しておきたいからだ。

 ~

 加えて、実際にどれだけ費用がかかるのかも予測しがたい。心臓のバイパス手術や長期間のがん治療が必要になるかもしれない。老人ホームに長く入る可能性も出てくる。

 ~

 だが、いくら将来の医療費の額がわからないといっても、やはり貯めすぎている人が多すぎるのが現状だ。

 ~

 老後の医療費のために今から莫大な資産を作ろうとするのは、エイリアンの襲来に備えるようなものだ。

 ~

 人は皆、遅かれ早かれ死ぬ。最後の数日、数カ月を生き延びるのに必要な医療費を貯めるために、人生の貴重な数年間を犠牲にしてまで働きたいと思うだろうか?

 自分の人生の残り時間を予測するのは、あまり楽しいことではないかもしれない。だが、たとえ面白くなくても、自分があとどれくらい生きるかをまじめに考えてみることには価値がある。自分がいつ死ぬか想像すらしていなければ、適切な判断がしにくくなるからだ。

 その結果、慎重派の人は150歳まで生きるかのような過度な貯金をしてしまう。

 自分の寿命に意識的になることは、これからの人生でどうすれば金を最適に使えるかを考えるための最初のステップなのだ。

 ~、長寿リスクにどれくらい備えるかは、あなた自身の「リスク許容度」による。

 リスクに対する許容度が低い(死ぬ前に金がなくなることがわずかでも受け入れられない)人は、長寿年金を購入したり、予備の金を十分に貯めたりすればいい。

 

 ~、リスク許容度を考えて備える場合と、単に闇雲な恐怖にかられて備える場合とでは、とてつもなく大きな違いが生まれるということだ。

 金や死を恐れ、逃げ回るようにして生きていると、結局は金を無駄にしてしまうことになる。何年も苦労して稼いだ金を使わずに死んでしまうことにもなりかねない。つまり、恐怖の奴隷として何年も働き続けなければならなくなる。

 ~、誰もが死と老化を避けられないことは紛れもない事実だ。

 だから、人生の残りの時間を意識しよう。それが現在の行動に大きな影響を与えるはずだ。

 最初のステップとして、究極の状況を想定してみることから始めてみよう。
 もし、明日死ぬことを知っていたら、あなたは今日、どんな行動を取るだろうか?明らかにその行動は変化するはずだ。予定していたこととは、まるっきり違う何かをするだろう。

 次に、2日後の場合はどうか?明日死ぬ場合とは少し行動が変わるかもしれない。あと50年も75年も生きると想定しているときもまったく違うものになるはずだ。

 では。死ぬまであと3日の場合はどうだろう?365日の場合は?

 同じ要領で、自分が死ぬまでにあと何日あるかを考え、その数字を当てはめて考えてみよう。残りの人生があと14000日あるなら、25000日あるなら・・・人生の計画は、どんなふうに変化するかを考えてみてほしい。

 死について考えるのはつらいが、そうしなければ今最大限に楽しめるはずの経験を先送りしてしまう。まるで人生最後の月に、それまで我慢してきた経験をすべて簡単に実行できるかのように。言うまでもなくそれは不可能であり、そんなふうに考えるのは完全に不合理だ。

 そう、私は決して「子どもたちに与えるべき金までを含めて、死ぬ前に使い果たすべきだ」などと言ってはいない。子どもたちに与えるべき金を取り分けた後の、残りの「自分のための金」を生きているうちにうまく使いきるべきなのだと主張しているのだ。

 死ぬまで子どもに財産を分け与えないことは、偶然に身を任せるということだ。私はこれを「3R」と呼んでいる。どれくらいの「額」を、「誰」に(自分が死ぬときにどの相続人がまだ生きているかはわからない)、「いつ」相続するか、ランダム(Random)に決まることになるからだ。

 結局、はっきり言えるのは、ブルームは倹約生活をして財産を築き、それを遺書によって慈善団体に寄付した、ということだ。

 ~

 もちろん実際のところ、彼女は生前、貯めた金がいつか善行に使われることに喜びを覚えていたかもしれない。

 死後にチャリティーに寄付することを想像して自分の心が満たされていたのなら、それも人生を豊かにする有意義な経験だと言えるだろう。

 だが、もしそうだったとしても問題はある。

 それは、彼女のように死後に寄付するのは恐ろしく非効率であるということだ。

 「生きているうちに与える(giving while living)」

 私は今でも、若いときにリスクを取ることの価値を大いに信じている。だがそれは、そのリスクを取るだけのメリットがある場合に限る。メリットとデメリットをよく比較して判断すべきだ。

 ~

 だが当時の私の金の使い方は、そうではなかった。リスクを取る価値のないものに、散財していた。

 若い頃に金をケチってばかりいるのは大きな過ちだと気づいたまではよかったが、その反動で、今度は闇雲に無駄金を使うという過ちを犯してしまった。以前は節約しすぎ、今度は無駄遣いしすぎた。

 年齢とともに支出と貯蓄のバランスを最適化するーー。その理由は、金から楽しみを引き出す能力が年齢とともに下がっていくという事実に基づいている。

 誰でも赤ん坊のときは金は使えない。世話をする費用はかかるが、赤ん坊が自分のために金を使うわけではない。ある意味、その金から価値を引き出す能力の低さは高齢者と似ている。つまり金は、人生の最初と最後ではほとんど価値がない。

 1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミッシェルが幼稚園児を対象に行った有名な心理実験「マシュマロテスト」の設定と同じだ。

 「今、目の前にある1個のマシュマロを食べるか、15分後に2個のマシュマロを食べるか」と尋ねられた3歳児の多くは、後者を選ぶと答えた。だが、実験室から人がいなくなると、マシュマロの誘惑に負けてしまう子も少なくなかった。

​ 大人は一般的に、子どもよりも我慢強く喜びを先延ばしにできる。だが、先延ばしにしすぎて損をするケースも少なくない。

 この「今の1つか、未来の2つか」という考え方は、経験の選択にとっても素晴らしい指針となる。

 ~

 ~70歳の人は、80歳になるまで旅行を先延ばしにはできない。そのときは、もう体力もかなり落ちている。だから、今の1回を選択するほうが合理的だ。

 ~、金ではなく、健康と時間を重視すること。それが人生の満足度を上げるコツなのだ。


 健康悪化の影響は、複利的に膨らむことが多い。たとえば現在、ベストの健康状態から見て2
マイナスだとすれば、その低下率は年々増えていき、10年後には15年後には20%ほどになっている可能性がある。​​


 たとえば、あなたが5キログラム太りすぎたとしよう。今現在では、たいした問題ではないように思える。だが、体重が1キロ増えると、膝には4キロの負担が余分にかかる。5キロの太りすぎは、膝に20
キロの余分な負担をかけることになる。

 ~

 アインシュタインは、「複利は宇宙で最大の力だ」と語ったらしい。健康の小さな変化は、人生全体の充実度に甚大な悪影響を及ぼす可能性がある。


 私は、バランスの取れた充実した生活を送るために、金で時間を買うことも大切だと考えている。これは特に、ある程度の収入はあるが、時間は足りていない中年期の人たちにとって効果が高い。

 ~

 金に余裕があるほど、このアプローチは採用すべきだ。時間は金よりもはるかに希少で有限だ。私自身、常に金を時間に換える方法を模索している。1日は24時間しかない。だが、工夫次第で自由な時間を最大限増やすことはできる。

 これは単なる私自身の経験則や持論に留まらない。心理学の研究もこれを裏付けている。時間をつくるために金を払う人は、収入に関係なく、人生の満足を高めることがわかっているのだ。言い換えれば、金で時間を買うメリットを享受するのに、金持ちである必要はない。

 物事は永遠に続かず、いつかは色褪せ、消え去っていく。それを理解することで人は、目の前にあるものにもっと感謝できるようになる。

 私たちは皆、人生のある段階から次の段階へと前進し続ける。ある段階が終ることで小さな死を迎え、次の段階に移る。

 学校生活や旅行とは違い、私たちの人生のさまざまな段階は、はっきりとした合図もなく始まり、終わることが多い。その期間が重なっていることもあるが、遅かれ早かれ終わりを迎える。

 つまり、ある段階でしかできない経験を先延ばしできるのは、その段階が終るまでに限られるということだ。

 オーストラリア人のブロニー・ウェアは、長年、緩和ケアの介護者として数多くの患者を看取ってきた。彼女は、余命数週間の患者たちに人生で後悔していることについて聞いていたそうだ。そのなかで、もっとも頻繁に耳にした「5つの後悔」をテーマにしたブログは後に書籍化もされている。その5つのうち上位2つの後悔は、本書の主張にも重なる。

 ​​​​​​最大の後悔は、「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」であった。他人が望む人生ではなく、自分の心の赴くおもむく​​ままに夢を追い求めればよかった、と。

 
 ​~2番目に多かったのは(男性の患者では1位だった)は、「働きすぎなかったらよかった」だ。~「私が看取った男性はみな、仕事優先に人生を生きてきたことを深く後悔していた」~

 人はいつか死ぬ。人生の最後にこれ目出を振り返ると、さまざまな後悔が浮かんでくる_。

 ~

 だが意外にも、もうじき失われてしまう何かについて考えると、人の幸福度は高まることがある。

 ではここで、人生の各段階の有限さを意識しやすくするシンプルなツールを紹介しよう。「タイムパケット」というツールだ。

 ~

 まず、現在をスタート地点にして、予測される人生最後の日をゴール地点とする。

 それを、5年または10年の間隔で区切る。~

 次に、重要な経験、すなわちあなたが死ぬまでに実現させたいと思っていること(活動やイベント)について考える。~

 ~自由な発想でやりたいことをいくつも書き出してみよう。

 このリストは、あなたという人間をよく表すものになる。あなたは、人生で積み重ねた経験で作られているからだ。

 なお、リストを作成するときは金について心配する必要はない。これは重要なポイントだ。このリストをつくる目的は、「どのような人生を送りたいか」を想像することだ。この時点では、金のことは気にせず、死ぬまでにやりたいことを無条件で考えてみよう。

 ~

 次はそれぞれの「やりたいこと」を、実現したい時期のバケツに入れていく。
 ~​
​​

 「死ぬまでにやりたいことリスト」に期間を設定すると見えてくるのは、物事にはそれを行うための相応しい時期がある、という事実だ。

 また、時期を明確にすることで、同じ時期での両立が難しい「やりたいこと」があることに気づくかもしれない。具体的な計画をたてなければ、いつあでたっても実現しないものがあることもわかるだろう。

 ~

 期間を区切らない従来型のバケットリストは、年齢を重ね、人生の残り時間が少なくなってきたことに気づいた人が、焦る気持ちで、生きているうちにやりたいことを書き出すことが多い。事前に計画していたというよりは、慌てて残り少ない時間で何かをしようとする、受け身の発想で生まれがちだ。

 一方タイムバケットでは、人生に対して積極的なアプローチが取れる。~やりたいことを現実的な問題としてとらえるようになる。

 また、実際に期間で区切ることで、年代を問わず実現できそうな「やりたいこと」にも気づくだろう。

 ~

 その一方で、すべての「やりたいこと」があらゆる年代に均等に振り分けられず、ある時期に集中することもわかるはずだ。

 ~

 金を気にしてしまうと、「楽しそうだけど、金がないから無理だ」と簡単に夢を諦めて
しまうからだ。経済的な問題ばかりを気にしていると、時間と健康は有益だというシビアだな真実から目を背けやすくなってしまう。

 とはいえ、金は現実的な問題でもある。

 

 ~、私はいつまでも記憶に残る経験に投資すること、誰でも年齢とともに体力が衰えるという事実を忘れないようにすること、子どもには死ぬ前に財産を分け与えること、現在の楽しみと将来の備えのバランスを取ること…こうした原則の価値を信じている。

 ~、喜びに投資するタイミングを逃さないようにするには、どうすればよいか?

 ~。その1つは、年単位で判断していくことだ。

 ~

 もう1つは、資産を切り崩すタイミングを見極めることだ。

 ~、ゼロで死ぬことを目指すなら、純資産は人生のある時点から減り始めなければならない。そうしなければ金が無駄になる。~

 これが、純資産のピークをつくるべき理由だ。私たちは人生のある段階で、まだ経験から多くの楽しみを引き出せる体力があるうちに、純資産を取り崩していくべきなのだ。

 さらに、ピークのタイミングは偶然に任せるべきではない。人生をできる限り充実させる金の使い方をしたいなら、ピークの日付を意図的に決める必要がある。

 ~

 ピークを決める前に、必ず確認すべきことがある。それは、人生を終えるまでに生活に困らないだけの金があるかどうかだ。


 死ぬまでに必要な=(1年間の生活費)×(人生の残りの年数)×0.7

 

 ~、ピークは「数字(特定の金額)」ではなく、「時期(単なる年齢ではなく、健康状態を表す「生物学的年齢」に基づく)」で決める。

 

 人生を最適化するよう金を使う場合、大半の人は4560歳のあいだに資産がピークに達する。

 

 老後では退職前の8割強の生活費が必要だとよく言われる。だが、タイムバケットに書き込んだ70代や80代の「やりたいこと」を見て、それほど費用はかからないし、十分に暮らしていけると感じた人もいるはずだ(~)。

 

 リスクを簡単にとれる時期を生かし切れていない人は多い。その理由は、デメリットに目を向けすぎるからだ。

 

 ~、最後に大胆に行動するための3つのポイントだけ伝えておこう。

 1つ目は、あなたがどれくらいリスクを取ろうが、どんな大胆な行動に出ようが、一般的にそれは人生の早い段階が良いということだ。~

 2つ目は、行動を取らないことへのリスクを過少評価すべきではないということだ。
 

 ~

 3つ目は、「リスクの大きさ」と「不安」は区別すべきだということだ。

 ~、資産のピークを見定めて、残りの時間と金を、人生を豊かにする経験にあてると決断するのには勇気がいる。人生を無駄にすることには不安を抱かないのに、金が足りなくなることを過剰に恐れる人が多いからだ。

 だが、私たちが一番恐れるべきは、「80歳になったときに潤沢な資産があるか」ではない。人生と時間を無駄にしてしまうことなのだ。

 

 ゼロで死ぬという目標を持つこと自体が、あなたを正しい方向に導いてくれる。

 あなたは、何も考えずに働き、貯蓄し、できるだけ資産を増やそうとしていたこれまでの人生を変え、できる限り最高の人生を送れるようになる。



 ​​​

 

​【あれこれ】


 ​ビル・パーキンス (実業家) - Wikipediaってどんな人?
​(
翻訳ボタン押してください)





 ​​死ぬまでに必要な金=(1年間の生活費)×(人生の残りの年数)×0.7

 日本人の平均寿命は2023年で、全体で84.3歳で1位(2位スイス、83.4歳)、男性は81.5歳で世界第2位(1位はスイス、81.8歳)、女性は86.9歳で世界第1位(2位韓国、86.1歳)である。アメリカは全体で78.5歳で40位、男性が76.3歳で40位、女性が80.7歳で42位である。

WHO(世界保健機関)のWorld Health Statistics(世界保健統計)に掲載されている世界各国の健康寿命ランキング

平均寿命 世界ランキング・国別順位 2023年 WHO版 (memorva.jp)​​

​​  

  ちなみに健康寿命ではどうだろうか?

 2023年調査で日本は、全体では74.1歳で1位、男性は
72,6歳で1位、女性も75,4歳で1位、アメリカは、同じく2023年調査で、全体、66.1歳で68位、男性65,2歳で61位、女性67歳で82位である。

 健康寿命とは日常的、継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のことである。

 余談だが、日本とアメリカの平均寿命、健康寿命にこんなに差があるとは思わなかった。 

 全体でもアメリカはそんなに上位でないことにも驚きである。

WHO(世界保健機関)のWorld Health Statistics(世界保健統計)に掲載されている世界各国の健康寿命ランキング

健康寿命 世界ランキング・国別順位 2023年 WHO版 (memorva.jp)


  

​​​ ①この本の著者はこの本を50歳の時に書いた。

 アメリカ人の平均寿命(男性)、76,3歳でいうとあと26,3年生きられることになる。
ここではあと27年とする。

[]   [死ぬまでに必要な金=(1年間の生活費)×(人生の残りの年数)×0.7]​​​​​​に当てはめて考えてみたい。

   

 1年間の​生活費:月50万円とすると
  

    50万円×12×27×0.7=1億1340万円

 1年間の​生活費:月40万円とすると

    40万円×12×27×0.7=9072万円

​​
1年間の​生活費:月30万円とすると

    30万円×12×27×0.7=6804万円

 1年間の​生活費:月20万円とすると

    20万円×12×27×0.7=4536万円

 1年間の​生活費:月15万円とすると

    15万円×12×27×0.7=3402万円

 1年間の​生活費:月10万円とすると

    10万円×12×27×0.7=2268万円

  ②これを日本に当てはめて考えてみる。

 すなわち、日本人の平均寿命は男性が81.5歳だから、50歳で考えて、あと約32年とすると、「死ぬまでに必要な金」は以下のように算出される。

 1年間の​生活費:月50万円とすると
  

    50万円×12×32×0.7=1億3440万円

 1年間の​生活費:月40万円とすると

    40万円×12×32×0.7=1億752万円

​​ 
1年間の​生活費:月30万円とすると

    30万円×12×32×0.7=8064万円

 1年間の​生活費:月20万円とすると

    20万円×12×32×0.7=5376万円

 1年間の​生活費:月15万円とすると

    15万円×12×32×0.7=4032万円

 1年間の​生活費:月10万円とすると

    10万円×12×32×0.7=2688万円

 ③次に日本ではどうだろうか?

 自分は今60歳で、日本の男性の平均寿命は81.5歳、きりのいいところで82歳として考える。

 すると、あと22年生きられる勘定になる。それを上の式に当てはめてみる。

  1年間の​生活費:月50万円とすると
   
    50万円×12×22×0.7=9240万円

 1年間の​生活費:月40万円とすると

    40万円×12×22×0.7=7392万円

​​ 
1年間の​生活費:月30万円とすると

    30万円×12×22×0.7=5544万円

 1年間の​生活費:月20万円とすると

    20万円×12×22×0.7=3696万円

 1年間の​生活費:月15万円とすると

    15万円×12×22×0.7=2772万円

 1年間の​生活費:月10万円とすると

    10万円×12×22×0.7=1848万円

 これを見て​どう思うか?

 ①の例では、当然50歳よりも若い方はこれ以上の資産が必要で(月にいくら使うかによるが・・)、②のように、平均寿命の長い日本においては尚更多くの資産が必要になる。

 ③の例で、自分の年齢60歳より高齢の方はこれより安い資産で済む。

 ただし、著者は「死ぬまでに必要な金」を最低限残して、残りは有効に使うべきで、できれば60歳までに有効に使ってほしい、と言われているので、60歳で残すべき資産が③とすると、それ以上の資産があって初めて「ゼロで死ね」の本領を発揮できると考えられる。

 金がなくてもそれなりに「ゼロで死ね」の生き方は実行できると著者は言ってもいるが、それは現実的にはかなりの制約があり、低資産の方にはなかなかピンとこない内容であることは確かだと思う。

 上の③の例では、月20万円の生活費で4000万円弱、節約して15万円でも3000万円弱老後に残しておく必要がある。

 さすがに、月10万で過ごすのはきついと思うが、副収入がある人や節約生活の人なら可能かもしれず、その場合、2000万円弱になる。

 それが前提条件で今後の計画が初めてでき、この本の内容にもピントがあうだろう。

 ということは、この本の読者にはある一定の資産がある人という条件が加味される。

 若い人の場合は、リスクを取ってその年でするべき優先事項の体験にトライしながら、目標となる資産に近づいていくために読む、という選択もあると思うが・・


  人間はいつまで生きるかわからない。

 平均寿命を目安とした計算で算出した「死ぬまでに必要な金」では物足りないと思う人は多いと思う。

 それでは100歳まで生きるとした計算をしたらどうだろう。

 ④まず、50歳の人が100歳まで生きるとするとあと50年生きることになるが、以下の通りになる。

 1年間の​生活費:月50万円とすると
   
    50万円×12×50×0.7=2億1000万円

 1年間の​生活費:月40万円とすると

    40万円×12×50×0.7=1億6800万円

​​ 
1年間の​生活費:月30万円とすると

    30万円×12×50×0.7=1億2600万円

 1年間の​生活費:月20万円とすると

    20万円×12×50×0.7=8400万円

 1年間の​生活費:月15万円とすると

    15万円×12×50×0.7=6300万円

 1年間の​生活費:月10万円とすると

    10万円×12×50×0.7=4200万円


 ⑤
最後に60歳の人が100歳まで生きる計算、あと40年生きるとして見てみる。

  1年間の​生活費:月50万円とすると
   

    50万円×12×40×0.7=1億6800万円

 1年間の​生活費:月40万円とすると

    40万円×12×40×0.7=1億440万円

​​ 
1年間の​生活費:月30万円とすると

    30万円×12×40×0.7=1億80万円

 1年間の​生活費:月20万円とすると

    20万円×12×40×0.7=6720万円

 1年間の​生活費:月15万円とすると

    15万円×12×40×0.7=5040万円

 1年間の​生活費:月10万円とすると

    10万円×12×40×0.7=3360万円

 月10万円の節約生活でも、50歳の人は4200万円、60歳の人は約3400万円の資産が必要である。

 100歳まで生きるわけがないと思うかもしれないが、それでも不安感はあるだろうことは心情的にわかる。

 だいだいの人は自分がいつ死ぬかについて100歳くらいを計算にいれておけば安心するかもしれない。

 そして、その資産形成ができる人というのはそんなにいないのが現状である。

 ということは、60歳の時点で100歳までに必要な金を貯めておいた人は、思い存分「ゼロで死ね」を遂行できるし、貯まっていない人は、少ない資産のやりくりで、できる範囲の「自分にとって必要不可欠な体験」や「子どもや孫たちへの施し」などをすることになり、そのバランス感覚は人間性に委ねられることになる。

 莫大な資産を残して死ぬ人は、健康寿命の範囲内で行動を起こさないと「ゼロで死ね」は到底無理であることを知り、中途半端な資産の人の「ゼロで死ね」は、より困難なバランス調整の知識、技術が必要であり、その習得のためにこの本を役立てる必要があるのではないだろうか。

 「生きているうちに与える(giving while living)」、この言葉を繰り返し繰り返し唱えることが大事である。

  

  

 

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Last updated  May 8, 2024 09:00:26 PM
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