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カテゴリ:神秘体験空間
ギリシャ時代の哲学者がどういう思考をしていたかを、前回のアリストテレスの授業でお分かりかと思う。アリストテレスの時代より以前は、現代の地(物質)に対する知識はなくて、天(霊性)に対する知識に基づいて思考していたのであった。だからして天動説なのである。
地は天の死骸とみなされ、あくまで地と天はつながっており、天の表面に地があるという考えが基本にある。だからして、地の裏には、天の作用である神々の働きがあって、その働きの表面が地であると考えられ、地球の石は、神々の一部であると認識されたのである。 仏教には心眼という言葉があるが、ギリシャ人は、この心で、世界を見た。天を支配する神々の振る舞いが、地となって現れるという心が、目を支配して、意識として対象を捉えたのである。だから心眼なのだ!。 仏教の場合も同じで、世界のあらゆるものには仏性があるという心、ギリシャ人が、神々の振る舞いという形態概念で、具体的に捉えたのに対して、それを法として、具体的には仏として意識したのである。この仏の意識をもって、世界の対象をみる意識を心眼というのである。 だからして、科学的抽象概念で、世界を論理的意識をもって、対象を捉え数式化することは、正確にいえば心眼ではなく、脳眼もしくは論理眼、抽象眼、静的死的眼というべきものであろう。ギリシャ人からいわせれば、非常に粗野な思考であるといわれるべきものなのだ! 現代科学では、心自体が脳にあると勘違いしているので、心眼と呼んで誤解しても仕方がないだろうが…。ギリシャ人を我々は笑っているが、まるでパロディのように笑われている方は我々現代人かもしれない。 ギリシャにつたわるある秘儀参入法(神々との交信法)に、アラジンの魔法のランプを彷彿とさせるものがある。それはある瓶に、御香を入れ、火をつけ煙を出す。その煙に向かって、マントラを発すると、マントラを発音するときの呼気により、煙のなかに、カビリと呼ばれる神が顕れるという。 つまり、人間の呼気が、煙を揺らし、そこからギリシャ人が心眼でみた神々が顕れ、それを秘儀参入者は読み解くのである。人間の発するマントラの呼気は、神々に触れる一種の感覚器であったわけで、そこに霊性が求められたのである。 真言密教でも、御香を焚き、煙に向かって真言を唱える修行が行われているようにみえるが、これは古代の秘儀参入法の名残りであろう。例えば、情報伝達手段に狼煙というものが使われたが、これも、秘儀参入法の本来は、神々の言葉を理解するのに用いられた方法が、民間伝承的になり、単なる煙だけの唯物的情報手段に成り下がった可能性がみられる。 例えば、マントラを唱える修行僧の、その呼気の煙に与えるブラウン運動などを、唯物的に調べてみるのはいかがだろうか? 唯物論ではわからないかもしれないが…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年11月18日 16時58分58秒
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