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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2006年10月06日
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 爆笑問題の太田総理の激論バトルを愉しくみさせてもらった。思想を吟味するより、自分の思いをぶつけている印象をうけた。これはテレビのバラエティだから仕方がないことだろう。

 まず、はじめに、消費税の問題が議論された。経済的格差をなくすために、格差是正税を導入すべきということが主題であった。まず、大前提として、種々のデータから判断される、現状の経済的格差を是正すべきか、それとも容認すべきかが問われるところである。この点について、自らの価値観をぶつけるだけでは本格的な議論にはならず、ただただ感情論に埋没してしまうことに注意を払うべきだろう。現状に満足している者は、必要ないといい。現状に不満足な者は、是正すべきだという意見をもつのは、容易に考えられるところだろう。

 まず、はじめに、現状に満足している者の統計とその理由を述べさせるべきだろう。恐らく、現状に満足している者は、自分の周辺しか考えていない近視眼的視点から、満足しているものと思われる。なぜなら、消費税導入の経緯が、政府の赤字財政にあるからである。赤字財政を続ければ、将来、国民に対する政府のサービスが受けられなくなるのは目に見えているからである。

 これを、馬鹿小泉内閣は、無責任にも、政府の援助を切り、民営化といって、事実上、政府のサービスから切り離したのである。当然、社会セキュリティーにかかる予算は削減され、サービスは低下し、社会不安に陥ったわけである。この世のどんな存在にも、エネルギーと養分が必須で、それが切り離されたら、忽ち消えてなくなる。これは自然の法則である。それとも、仙人のように、霞を食って生きろとでもいうのだろうか? それならそれで、まずは、自ら率先して断食をはじめるがよかろう。

 話が逸れたが、少なくとも、政府のサービスを縮小し、財政支出を削減するのなら、まず、国会議員の削減からはじめるべきだろう。減らすところと、減らさないところの明確な価値基準と国民の信頼やコンセンサスが得られないならば、一律にトップダウン方式で縮小するのが望ましく、なるべく平等に、公平に誰も文句をいわないようにするべきだろう。どんな政府のサービスや職でも、国民のためには必要なものだからである。第一、自分がやっていることが、無駄とかいわれれば、誰だって、頭にきて、感情的になり抵抗するのは目にみえている。かえって、不満が蓄積し、隠れた不平等意識のストレスが、国民に蔓延するだろう。そして、そのうち、暴発することは目にみえている。

 負け戦こそ、有能な司令官が必要とされるのである。財政支出削減には、なにより、負け戦の殿を任せられるような有能な指導者が必要とされるのである。

 さて、このような有能な指導者の人材が得られない限りにおいて、財政支出削減はまず、困難で、不可能なもので、反発を招き、かえって財政支出増大に向かうだろう。それは、社会の不安定要素が増えれば増えるほど、増大する性質をもつからで、更に、政府の公的で平等なサービスが削減されるのだから、ますます、雪崩式に増大してしまう。民間というのは、自分たちの利益にならないことはやらないから、主に、金を基にした不平等なサービスが増せば、たちまち、経済的格差は増大していくのである。

 これを補うのがボランティア活動だが、米国のような巨大な資本主義社会が、情報通信の高速化に伴って、至極身近に感じられるのだから、せいぜいNGOや、政府代行の非営利団体企業が繁殖するようになるだろう。

 そういうわけで、消費税率アップのための、財政支出削減は、大失敗に終わったといえる。この現状で、消費税をアップすれば、社会不安はますます増大し、自殺者が今以上に増えるだろう。そして、導入後、2,3年に革命のような市民運動が勃発するだろう。

 というわけで、消費税率アップは、国民の信頼とコンセンサスを得られるような、細心の注意を払ったものにしなければならないだろう。更に議論が必要だが、格差是正税は、なかなかよいものに思われる。

 この経済格差是正税に対する反駁として、高い税率をかけられた商品が、庶民の届かないものになるというものがあるが、これは日本社会が、衣食に困らない環境にあるからいえる贅沢な意見だといえるだろう。これまで、日本社会は裕福だったから、いえることで、他国の貧困国では、ブランド品のようなものには、一生お目にかからないのが普通であろう。なにより、衣食に困らない環境はいつまで続くかわからないのである。いまより税率分を稼ぐために、商品の購入時期を遅らせればいいだけの話であるし、贅沢品が身近にあるのと、衣食が、常に低税率で手に入るのと、どちらを選択するかの問題でもある。

 なにより高級品というのは、なかなか手に入らないから意味があり、稀少価値があるのであり、最近はそうでもないが、一時、女子高生がブランド品を身につける姿等は、海外の日本の不可思議さや、無理解さを誘発し、日本の不信感を生む行為にもうつった。一番、深刻なのは、ブランド品が買いたいがために、売春等に手を染めてしまう例である。未成年者は、価値判断が未成熟なので、大人になるまで、手の届かない存在にすべきだろう。あるいは、また、保護者の認証が必要とされるような、なんらかの保護策をとるべきで、そのかわり、学業に関する商品は、税率を下げるといったことも考えるべきである。

 基本は、衣食住の最低ラインは税率を下げ、高級品になるにつれて、税率を上げるような、いわば、消費税の累進課税制を考えるのもよいだろう。戦後の日本の中流意識や、所得倍増は、経済成長もあったが、それを陰で支える累進課税制が、なにしろ、儲ければ儲かるほど、国家財政も潤うのだから、多大の貢献を成したように思われる。

 さて、後半は、憲法第9条が主題だった。憲法第9条改正の必要性がはっきりしないというのが、太田総理の意見で、私も同感である。北朝鮮問題も、日米安保問題も、その問題の本質と、憲法第9条は、なんら関係がないようにみえる。なぜなら、憲法第9条を改正したら、これらの問題が、ただちに解決するのかというと、その見通しはいまだ困難で、希望的観測のうちを出ないだろう。

 憲法第9条を改正したからといって、北朝鮮拉致問題は解決するのだろうか? あるいは、日米安保がより深まって、沖縄から米軍が退くのだろうか? なにより、現日米安保関係があって、ブッシュと小泉が、マブダチの関係だからといっても、ロシアから北方領土はかえってこずに、中国の日本近海の油田採掘問題に、米は何もいわず(なんでも、米国の企業の協力もあったという話じゃないか?)、竹島なんか、日和見主義でいるのが、米国の基本的スタンスである。それよりなにより、直前になって、日本の常任理事国参加を、見限ったのは、米国なのである。

 いい加減、日本人は目を覚ましたらいかが?といいたい。

 憲法第9条のために、多国籍軍には参加できなかったというが、イラク戦争には、真っ先に参加したのは現政権なのである。世界から感謝されるどころか、日本が、テロの標的にされてしまった! 確かに自衛隊の犠牲者は、出ていないが、外交官が2人死んだことは、いつの間にか忘れられている。サマワの人々には、期待感から落胆、そして失望を与え、一体何のための派兵だったのか、改めて問うべきである。海外派兵は、単なる遊びじゃないのだから。 

 理性をもって熟考すれば、支離滅裂なことをいって、無理やり論理づけしているのは、憲法第9条改正を唱える政治家の方で、自分たちの外交努力を棚にあげといて、全て、憲法第9条のせいにしているとしか思えないし、どこかイデオロギーを感じざるをえない。恐らく、米国の情報操作に乗らされているのであろう。

 私には、憲法第9条よりも、防衛という面では、非核三原則の方が、現実的でさえあるが、ともかく、このような憲法第9条があることによって、政治家たちが、無駄だが、真剣に議論し、不勉強で馬鹿な頭とはいえ、国家を考えることは、重要な機会を提供しているといえるだろう。この憲法をなくしたら、いまの愚かな政治家なんか、勢いでイケイケドンドンをやりかねないのである。

 少なくとも、国会で、小学生のような討論をしているようでは、憲法改正を機に、国家の調和と秩序が乱れ、制御不能に陥ることも現実的になってくるだろう。タイのように、軍隊がクーデターを起こしても不思議ではない。いまのゲーム世代の若者が、軍隊に入ったら、益々、そのような誤った野望や誘惑に芽生える可能性もあるだろう。なにしろ、イラク派兵だけで、自衛隊は、かなり不人気な職業に下降したくらいなのだから。

 憲法改正を唱える政治家たちは、自衛隊をイラクに派遣しておいて、イラクには、1度か2度しかいっていないのである。なんと無責任だろうか。それほど軍隊が必要というのなら、まずは、自ら軍隊経験を積んでみて欲しい。少なくとも、戦場視察はするべきである。それでなくては、非現実的議論に埋没せざるをえないだろう。戦場を知らない兵士など、軍隊としての意味をもたないばかりか、いわば凶器ともいえる存在である。それは沖縄で米兵が度々不祥事を起していることが物語っているだろう。

 考えて見て欲しい。一体全体、米国の武力外交が成功しているのかどうかということを! いまや、世界中が米国を嫌っているといえるだろう。所詮、力で、他を強要するものは、嫌われ、恨みを生むだけでしかない。テロリストは米国が生み出したものともいえるだろう。

 米国のような力を背景にした外交は、不成功に終わるということが、はっきりしてきているのである。昔から、覇道というのは邪道なのである。なぜなら、人間は精神で動いており、精神を尊ばなければ、心服、心酔などしない。何より、信仰は高貴な精神を目指すものなのである。覇道には、理想がない。ただただ、現実主義に埋没せざるをえない。気がつくと巨大な軍隊と、もはや払いきれない負債が後に残される。

 結局のところ、武力解決がもたらすものは、怨みでしかないだろう。

 武力でしか、解決手段がないとしたら、人間が生きることとは、一体、何なのであろうか? もはやそれは人間とはいえず、獣と同じなのではないだろうか? 人間には、思考があり、感情があり、意志がある。

 ソクラテスは、死を死とも思わないように、刑に処され、自ら毒を飲んで死んだ!

 生きることを、武力に頼ろうとするのは、恐怖に怯える鶏と同じであろう。いかに、切れる刀を持ったからといって、切られないわけではない。むしろ、刀を抜かせないことこそ、考えるべきなのである。理性が、武力を上回ることが可能なのである。

 憲法第9条は、どこか武士道を感じさせる。日本人は、憲法第9条を神の如く、平和の象徴として、信仰しているのである。

 武力なんかよりも、日本社会の豊かさと平和な生活ぶり、日本国民が皆、仲良く助け合って暮らす習慣を、みせてやれば、それに優るものはないだろう。人間は皆、幸せな生活を求めているのだから。

 無能な政治家が、自らの無能さをパフォーマンスや見栄えで誤魔化そうとするのを見抜くことである。愚かな犬ほど吠えるものである。戦後の平和は、憲法でもなく、安保でもなく、日本国民が平和で安定な生活を望んだから、現実化したのである。とどのつまり、日本国民は、敗戦を知って、賢くなったのである。その賢さを忘れてはならない。負けるが勝ちというではないか?。





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Last updated  2006年10月07日 03時30分48秒
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