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カテゴリ:神秘体験空間
シュタイナーを学んでいると、あらゆる宗教の源流に辿り着く。特にキリスト教と仏教の融合には、驚く。
そこで、キリスト教ばかりでは消化不良を起こすので、仏教についても、人智学的観点から書くことにする。 例えば、ウィキペディアで、「八正道」を調べると、なんだかいかにも学術的専門用語(特に哲学用語がよくない)が並んで、全く意味不明なことに気づかされる。哲学用語は、あまりに形式ばっているので、無味乾燥で、イメージが沸かない。恐らく、書いている本人も分かってないのではないか?と思う。 ウィキペディアは、さしずめ、優等生的見解といえるもので、確かに即席に知識を得るには有用だが、いわゆる東大生的回答、つまり、現代教育に実験管理されたモルモット的実験結果といえるものにみえる。 要するに、知識の羅列に過ぎず、死んだ感じがするのである。 では、実はあるホームページから失敬拝借しているのだが、良いことなので、人智学的観点の八正道を書きたい。 ■週をめぐる毎日の訓練 弟子は、通常の場合注意も関心もなく継続している魂の生の、ある種の活動に注意深い関心を払わねばならない。こうした活動が8つある(魂の意識的な向上に目覚めよ)。 (釈迦の説いた八正道にあたる) 当然のことだが、1度に1つの訓練だけに取り組むのが最善である。例えば、1週間か2週間それを継続し、次に第2の訓練に移るというようにして、また最初からやりなおすのである。 また一方で、第8の訓練は毎日実行されるのが最良である。そうすれば、真の自己認識が徐々に実現し、いささかであれ進歩がすぐに知覚出来る。 その後、土曜に始めて、約5分続く1つの訓練を毎日、8番目の訓練に加えて行っても良かろう。その結果、適切な訓練が時に触れ同じ曜日に来ることになる。 こうすると、土曜-思考、日曜-決心、月曜-言葉、火曜-行動、水曜-振舞、木曜-習慣、金曜-記憶、翌週或いは毎日-吟味といったようになる。 (八正道では、土曜-正見、日曜-正思惟、月曜-正語、火曜-正業、水曜-正命、木曜-正精進、金曜-正念、翌週或いは毎日-正定) ■土曜(正見) 自分の思考に注意を払う。 重要な考えだけを考える。自分の思考の中で、本質的なものを、非本質的なものから分離することを少しずつ学ぶ。永遠なるものを無常のものから分離することを学ぶ。真理を単なる意見から分離することを学ぶ。 同胞の話に耳を傾ける際、内的に十分静か(平静)になるように努める。あらゆる同意を無くし、あらゆる好ましくない判断(批判、否定)は更に静める。思考と感情の中でもそう努める。 この訓練は次のように言える。 正しい意見 ■日曜(正思惟) 最も些細な事柄すら十分に理詰めの思慮を巡らせた後で初めて決定する。何も考えていない振舞いの総て、無意味な行動の総ては、魂から遠く離しておかねばならない。あらゆることに、十分な手応えのある理由を必ず持つべきである。重要な理由のないことは何も決してしないよう抑制すべきである。 一度ある決定の正しさを確信したなら、内(精神)的沈着で、それを固持しなければならない。 この訓練は次のように言える。 正しい判断 この判断は、共感からも反感からも独立して形成されたものである。 ■月曜(正語) 話す感覚と意味のある言葉だけが、高次の発達を目指す者の唇から出るべきである。おしゃべりのためのおしゃべり(暇潰しのおしゃべり)はこの意味で有害である。 通常の種類の会話、つまり脈絡のない言葉のやりとりは避けるべきである。これは、自分を同胞との交流から閉ざせという意味ではない。正にそうした時にこそ、話が徐々に意味深いものに導かれるべきなのである。 あらゆる側面を考慮に入れて、話と言葉の一つ一つに思慮深い態度を取る。理由もなく決してしゃべるな。喜んで沈黙を守れ。しゃべり過ぎてもいけないし、しゃべらなすぎてもいけない。まず静かに耳を傾けよ。それから言われたことをよく考えよ。 この訓練は次のように言える。 正しい言葉 ■火曜(正業) 自らの(外的)行動が、同胞の混乱を招くものであってはいけない。自らの内的存在(判断)から行動することを、機会が求める場合、その機会にどうすれば最もよく見合うことが出来るか、注意深く思慮を巡らせ。全体の善のために、人間の永続する幸福のために、永遠なるもののために、細心の思慮を巡らせ。 自身から物事をなす場合、自身の自発性から物事をなす場合、自分の行動の影響を前以て徹底的に考察せよ。 この訓練は次のように呼ばれる。 正しい行為 ■水曜(正命) 秩序ある人生。大自然と霊性に調和して生きよ。人生の外(表面)的な些事に拘泥するな。不安と急ぐ思いを人生に持ち込む、あらゆるものを避けよ。何者にも慌てるな。かといって怠惰にもなるな。人生を、高次の発達(進化)を目指して働く手段と見なし、それに相応しい振舞いをせよ。 この関連は次の事を語っている。 正しい立脚点 ■木曜(正精進) 人間の営為。自分の力の及ばないことをしないように注意を払うべきである。と同時に、自分の力の内にあるものは、必ずやるように注意を払うべきである。 日常の存在と瞬間的な存在の彼方を見よ。そして人間存在の最高の義務と関連する目的と理想に自らを向かわせよ。例えば、これまでに述べた訓練の意味で、同胞の助けとなったり助言者となることが、後に、より一層出来るように、自分自身を育成するように努めよ。もしかすると、その目的はすぐには叶わないかもしれないが。 この訓練は次のようにまとめられる。 これまでの訓練が習慣になるようにせよ。 ■金曜(正念) 人生から出来るだけ多くを学ぶように努める。 人生に役立つ経験を得る機会を与えずに、何者も私たちを通り過ぎはしない。間違ったことや不完全なことをしたなら、それこそ、後でそれを正しく、或いはもっと完璧にする動機になる。 他の人が何かしているのを見たら、それと類似の目的を展望に収めて、そのような人を観察する(冷たく、もしくは無慈悲に眺めることはない)。人間は、自分の決定と成就に役立ち得る過去の経験を振り返らずに、何も行えないものである。 人は誰からも学ぶことが出来る。もし注意深ければ、子供からも学ぶことすら出来る。 この訓練はこう呼ばれる。 正しい記憶 (経験から学んできたことを覚えておくこと) ■翌週-総括(正定) これらの訓練と同時に毎日たとえ5分間だけでも、時に触れ自分の眼差しを内に向ける。そうする際に、自身の中に深く沈み、注意深く自らと話し合い、自らの人生の原理を試し、形成し、思考のうちに自分の知識を(あるいは知識の欠如を)経験し、自らの責任をはかり、人生の内実と真の目的について思いを巡らし、自分の誤謬と不完全さを苦痛を持って純粋に感じる。 一言で言うと、本質なる存在、永続する存在を発見するように労苦せよ。そして、それに調和する目標を真剣に目指せ。例えば、美徳を獲得せよ。(何かをうまくやったと思う間違いに陥るな。更に高い目標に向かって、もっと努力するようにせよ。) この訓練はこう呼ばれる。 正しい吟味 とにかく実践あるのみ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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