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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2008年06月03日
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カテゴリ:神秘体験空間
 以前の講義において、人間の内的構成体として記述したものは、自我による働きのお陰で生じることができた。自我の他への純化の働きにより、アストラル体からは感覚魂が、いわゆる感覚体のいわば内的な鏡像が形作られた。

 感覚体が(感覚体とアストラル体は人間に関する限り同意語である。感覚体なしに、満足を有することはない)満足を伝える一方、それは願望として魂の中に反映される(そのとき、我々が魂に帰するのは願望である)。このように、2つのもの、つまり、満足と願望がお互いに属するように、アストラル体と、変化したアストラル体、つまり感覚魂が、お互い相手に属すことになる。

 (自我による変容;アストラル体→感覚魂)

 同様に、自我は過去において既にエーテル体に働きかけていた。自我が人間の魂の中に悟性魂、もしくは心魂を内的に創造した。このように記憶の担い手でもある悟性魂は、自我によるエーテル体の無意識的変化と結びついている。

 (自我による変容;エーテル体→悟性魂)

 そして最後に、自我は過去に肉体の変化に向けても働きかけ、人間が今日の形態において存在できるようにした。その変化の結果が意識魂であり、それが人間に外(界)的事物に関する知識を獲得できるようにした。このように七つの構成体からなる人間は、次のように性格づけることができる。

 (自我による変容;肉体→意識魂)

 「自我の無意識的な準備活動を通して、三つの魂の構成体、すなわち感覚(感受)魂、悟性(心情)魂、そして意識魂が創造された」、と。

 さて、肉体、エーテル体、そしてアストラル体は複雑な実在ではなかったのか?という疑問が生じるだろう。

 人間の肉体とは何という奇跡的な構築物なのだろうか!

 そして、もし、肉体をさらに詳しく調べるなら、肉体は、自我により、意識魂へと変化させられた部分、すなわち意識魂の物理的形態と呼べる部分と比較して、遥かに複雑であることが分かる。

 同様に、エーテル体は、悟性魂、もしくは心魂の形態と呼ばれるものより、遥かに複雑で、また、アストラル体も、感覚魂の形態より遥かに複雑である。これら魂の部分は、人間が自我を持つ以前から存在したものと比較して貧弱なのである。

 人智学において、人間は遥かな過去に、肉体の最初の素質を、精神的存在から発達させられていたと語られるのは、この理由による。これにエーテル体が、そしてずっと後になってアストラル体が、そして最後に自我が付加された。人間の肉体は、このように四つの発達(進化)段階を通過してきた。

 つまり、最初は(肉体の原基は)精神世界との直接的な対応があったが、その後、エーテル体を織り込まれ、注入されることにより発展し、そのため更に複雑になった。次にアストラル体が織り込まれるようになったが、それによっても、また更に複雑になった。それから自我が加えられた。

 そして、自我の肉体に対する働きかけが、肉体の一部を変化させ、それを人間の意識、すなわち外界の知識の獲得能力の担い手へと変えた。ただ、この肉体は、感覚と脳による外界知識の提供以上の機能を有している。(感覚と脳は)我々の意識の基礎を構成するとはいっても、脳の領域の全くの外側で生じる数多くの活動を、肉体は遂行しなければならない。同様のことはエーテル体とアストラル体にも当てはまる。

 さて、もし、何度も強調してきたように、外界で、我々の周囲にある全てが精神(存在)であるという事実、すなわち、あらゆる物質的、エーテル的、アストラル的なものには、精神的な基礎があるという事実が全く明白であるなら、次のように言わなければならない。

 「人間が、人間存在の三つの構成体を発達(進化)させるに際し、自我は精神的存在として、内側から外に向けて働く。同様に、我々人間の自我が現れて、その発達(進化)を受け継ぐ前に、我々人間の肉体、エーテル体、そしてアストラル体に働きかけていたもの(それらを精神的存在と言っても、精神的活動と言ってもよいが、それは重要なことではない)がいたに違いない」、と。

 (いうなれば、映画2001年宇宙の旅のモノリスのような存在か?)

 いま、アストラル体、エーテル体、肉体に対し、今日では自我が外向きに働きかけているのと同様の活動が起こっていた時代を振り返っている。つまり、自我が、それらの内部で、自身を確立する準備が整う以前には、精神的創造、精神的活動が、我々人間のそれらの鞘に働きかけ、形態、動き、形状を与えたのである。

 ここで、もし、感覚魂、悟性魂、意識魂という人間存在における、三つの構成体の中で自我が変化させた全てを除外し、これら人間存在の、三つの鞘の構築の、内(精神)的な運動(動き)と活動を眺めるなら、人間の中で、自我の活動に先立って生じる、精神的活動が見い出せる。

 人智学において、今日の人間を、個別の魂、つまり、各々の人間を、自己充足した個人存在にする自我が注入された魂として語るのは、この理由による。人間はそのような自己充足した自我存在になる以前には、「集合魂」、つまり今日でも動物界に関して集合魂として言及できる性質を持った魂の一部を、古代人は構成していた。

 (古代人には、現代人のような個別的自我、つまり個性がなく、没個性的で、集団として機能し、いわば民族長の手足だったという。そのような集団的自我は、今日でも動物の群れの習性としてみることができる。)

 各々の人間における、各々の魂として、人間の中で生じるものは、種や同族全体の根底をなすものとして、動物界の中で生じる。つまり、ある動物の種全体が共通の集合魂をもち、個々の人間の魂が動物では、種の魂に相当する。

 このように、人間が個々の魂になる以前には、今日では、人智学を通じて、唯一その知識をもてる、別の魂(集合魂、民族魂)、つまり、現代人の個別自我の前駆となる魂が、人間存在の三つの構成体の中で働いていた。

 この現代人の自我の前駆体、すなわち集合魂もまた、それ自身の中から肉体、エーテル体、アストラル体を変化させ、それ自身に従って、それらを秩序づけた。

 その後、集合魂は、肉体、エーテル体、アストラル体を、個別自我に明け渡し、個別自我が、それらを変化させ続けた。そして、人間が個別自我を付与される以前の最後の活動、個別自我の誕生以前に横たわる自我(集合魂)の最後の影響が、「人間の言葉」と、我々が呼ぶものの中に、今日でも存在している。

 なので、我々人間が、意識魂、悟性魂もしくは心魂、そして感覚魂の活動に先立つ精神的存在を考察するとき、まだ個別自我を注入されていない魂に出会う。そして、その結果は今日でも言語表現の中に存在している。

 (アトランティス人は、このような性質の自我、つまり集団自我をもっていたという。集団自我は、血縁に拘る。中国人や日本人の集団性は、アトランティス人の古い習性を受け継いだもののようである。皇帝や天皇は、アトランティス時代の名残りのようである。)





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Last updated  2008年06月03日 21時56分18秒
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