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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年05月28日
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カテゴリ:神秘体験空間
 治癒の第2の経過を導くには、防御のための症状を誘発するだけでなく、その症状ともいえる反応を、今度は終結させ、人体を再び正しい道に導く経過を引き起こす必要がある。

 従って、例えば、結核の素因(結核に感染しやすい状態)に対して、自然、もしくは人為的に誘導した防御反応の咳への刺激、または喉の痛みなどが生じた際の背後にある人体下部の僅かに詰まった消化過程、いわゆる便秘を、再び秩序正しくなるように配慮しなくてはならない。

 この便秘を、治癒の第2の経過の、すなわち下痢の一種に移行しなくてはならない。だから、咳や喉の痛み等の症状に続いて、下痢が生じることが治癒経過に必須となる。

 以前述べた咳と下痢の対応関係から、人体上部に現われる症状のみを原因として観察するだけでなく、たとえ物質的な関与がなく、機能的な関与だけでも、下部の経過を通じて探究する必要が多々ある。この上部と下部の対応関係は何にもまして考慮すべき重要事項である。

 疲労感の症状は、単なる主観的なものではなく、下部の新陳代謝の優越性に基づく組織的に生じた本質的な疲労感で、結核の場合、上部により新陳代謝が制御されない時に強く現われる、この疲労感が、実際に生じる必要があり、その後、適度な時点で、この疲労感が克服されなければならない。

 詳細は省くが、食餌療法により、疲労感を克服するように、通常よりも消化が活発になるように、人体下部だけの安直な消費活動ではなく、全体を通じて、上部にも規則正しく消費されるような配慮が必要となる。

 また痩せる症状も、器官組織への脂肪の蓄積を引き起こすような食餌療法などの配慮が必要となる。盗汗も、熟考などの知的な活動などに努めて、実際に発汗活動を試みることで、再び健康な(覚醒時の)発汗を促す必要がある。

 咳⇒下痢
 疲労感⇒消化活動を高める
 痩せる⇒脂肪蓄積
 盗汗⇒熟考などで発汗する。

 心臓の活動を正しく把握することから、人体上部と下部の対応を理解し、神経衰弱やヒステリーといったような不規則な機能や、人智学でいうところのエーテルのなかに、病気の最初の微かな兆しを読み取れるようになったら、器官や物質体に刻印される不規則性への理解へと進むことができる。

 以上のように、病気のなかの、互いに相関しあう外的な症状の研究によって、最初に起こる症状も含め、病気の経過全体を、時と場合により、強めたり弱めたりして、治癒の方向へと導き、適切な時期が到来すれば、経過全体を再び健康に誘導できる。

 これまで特徴を少しばかり述べてきた治療法に対する最大の障壁は、言うまでもなく社会的な状況や事情である。従って、医学は、社会的な問題に帰するが、また他面において、最も強力な障壁を築いているのは患者自身でさえある。

 患者は当然のことながら、何よりも、痛みを「取り除いて」ほしいと要求するからである。しかしながら、患者が持つ不規則性を、安易に直ぐに取り除いてしまうと、病気を更に悪化させてしまうという事態も容易に起こる。

 患者の病状を、現状よりも更に深刻にしてしまうことも考慮する必要があるため、再び健康に回復できる状態になるまでは、原則として、適切な時期まで待たなくてはならない。けれども、大多数の人々が同意することだが、その時には、大抵の患者は医師から逃げ出してしまう。

 治療全体に、本質的に、正しい価値を与えるなら、医師は治療後(予後)をも完全に掌握すべきで、予後の把握こそが、健康と病気の正しい観察の結果として帰着すべき目的となる。予後の把握を、まさに公然と目指すべきである。

 現代のような権威信仰の時代においては、予後の把握というような運動が一端はじまったなら、その必要性の指摘などが困難であったりしてはならない。

 しかしながら、言うまでもないが、病気を、本当の終末まで追求することを適切とみなさず、痛み等などをすぐに取り除くことで多少とも満足しているのは、患者や社会状況だけでなく、医師自身であることもよくみられる。

 (痛みをただ取り除くだけなら、麻薬を与えるのと同じである。新興宗教の信者をつくるのと同じで地獄に誘導していることになる。)

 とはいえ、これまで述べてきたように、人体のなかでの心臓の位置づけを正しく追求することが、徐々に病気の本質へと導くことは理解できるだろう。

 ただ、人体下部の様々な活動は、確かに、外(物質)的な化学活動を、ある程度克服するが、下部とは全く反対の上部の活動にも、何らかの形の類似(ネガ)の過程が生じるとき、これら(上下)の間に成立している徹底的な差異に注目すべきである。

 人体における、この二元性[Dualismus](陰陽)を満たすような定義を与えることは非常に困難である。現代人の言語は、物質器官等に対立(相対)する存在の表現手段を全くもたないからである。

 (古代では、この生命の二元性については、生命の樹の10のセフィロトやパス、つまりケテル等で表した。現代人のなかで、このセフィロトを言語として理解できるものはいない。)





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Last updated  2013年05月28日 14時55分32秒
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