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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年03月22日
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カテゴリ:神秘体験空間
今回は冒頭愚痴から始まるのをご容赦ください。ほぼ毎日くる迷惑詐欺メールの掃除のために、ネット接続の支払いが馬鹿バカしくなり、ブログ更新も遊び半分で行っているのだが、遊び半分が遊びでなくなるほどの、1日百件ほどの、ほとんどがゴミみたいな宣伝メールで、国税庁を語ったり、入ってもいないカードから警告メールがくる不思議さに驚かされ、日々の煩わしい詐欺詐称メール掃除のために、ブログ更新などのネット活動が億劫になりつつある。

現代社会の情報リテラシーにネット環境は確かに必須だが、その手口が巧妙になり、詐欺メールが横行するにつれ、かえって社会不安を増幅させ、巷には、現に、嘘つき裏金政治家などの、記憶にない発言をみるにつれ、人類へのモラルハザードへの警告や、地震などの天変地異への影響を深刻に考えざるを得なくなる。

地上に悪が蔓延るにつれて、天変地異が頻繁に起こるのを、人智学は解き明かしている。日本を生かすも殺すも、日本列島に住む日本人の生き様によるのと同じように、地球を生かすも殺すも、地球に住む地球人の生き様である知性によるのである。

地球人が高度な知性を持つと自慢するのならば、それを地球環境を永らえる宇宙船地球号に生かすべきである。地球を生かすのと同程度の知性を地球人がもつのを、高度の知性をもつ宇宙人は知っていて、愛を送って警告しているわけなんである。

詐欺メールについては、なにより詐欺メールを送る側に、多くの人に迷惑をかけている自覚がない、のが大問題で、裏金政治家のようなアホ馬鹿が、公的な場でウソをつくのが、社会全体に多大な迷惑と、錯誤を生み出す自覚がない、のと同じように、それら自覚のなさを霊的にみれば、悪のウイルスを流し、ウソの虚言癖を撒き散らせているわけで、騙されないように、悪のウイルスや嘘の虚言癖の増殖に迷惑を受けつつも、手を貸さないように注意しないといけない。

詐欺メールといえば、昔、「不幸の手紙」問題があって、手紙といえば年賀状くらいしか来なかった自分には、不幸の手紙がくる不幸には出くわさなかったが、恐らく、そんな手紙がきても、筆不精な性格から無視していたように感じる。何しろ切手代も馬鹿にならない。不幸の手紙が来るだけでも不幸なのに、そのような不幸をわざわざ拡散する迷惑さに呆れ果ててしまうのだが、この不幸や迷惑の連鎖は、公的な場でのウソ証言と似ているかもしれない。

不幸や悪事の連鎖は誰かが責任をもって止めない限りは拡大し拡がってしまうだけなんである。

チェーンメール - Wikipedia


例えば、欧米の公的な場では、聖書などに手を置いて偽証しないとの宣誓から発言が求められることもあるが、その真意は十戒からきているようにみえる。というのも、前回紹介したように、人間のウソと悪魔の関係から天変地異との関わりが、霊的に解き明かせるからでもある。

人間が自由にウソをつけるようになったのは、ルシファーのネガティヴな影響によるのが大で、人間がネガティヴに陥った力を利用して、幻覚や幻惑の虜の罠に嵌めていくのがアーリマンであり、人間にネガティヴな負債を背負わせ、天変地異を司り、人類の進化に介入してくるのを、シュタイナーの人智学から、前回紹介した。有名な黒魔術も、アーリマンの人類への介入から生まれたという。

ルシファーは、人類を、自分しかみえないような、知性的な目隠しをして拉致し、ネガティヴな領域に引き入れて、アーリマンに引き渡し、アーリマンは、人類を唯物論的な迷路の支配下に置いて、天変地異などで揺さぶり、人類の進化に介入している、といえるかもしれない。現代の振り込み詐欺で譬えるなら、ルシファーが、親族などの信頼者になりすまして、ウソや擬態で偽証を誘発し、騙された人間が、偽証された金額を、アーリマンの口座に振り込む、というような詐欺手口といえるだろう。

このような巧妙な手口に引っかかり、人類がしばしば錯誤に至るのは、ウソをつくことをそれほど悪いとは思っていない知性にあるのは、前回紹介した通りである。ウソをつく罪悪感が究めて薄いので、それが悪魔の手口なのに気づかずに、人体に病気としてあからさまに現れるまで、放置しがちにしてしまう。ウソをつけば、ガンに罹りやすくなるといっても、現代人のご自慢の知性から、笑い飛ばされるのがオチである。

例えば、もし、ウソをつくことで、知性が失われるのに気づける知性を人間が持ち、ウソをつくことで、馬鹿になるのを恥じる知性があれば、記憶にない、というような恥知らずの証言がでるはずもない。ウソをつけるとは、ルシファーのネガティヴな知性に負っているのを告白しているわけでもある。自分は悪魔に憑りつかれているのを公言しているようなもので、古代では、悪魔祓いが必要とされたわけなんである。

というのも、ウソをつく者の、嘘がばれるほど自分の知性は不完全ではない、と考えている知性は、自惚れているルシファーの知性で、勿論、ルシファーやアーリマンら悪魔の知性は、人類の知性よりも遥かに高度だから、悪魔の高度な知性を一時かりているだけのおバカな借用知性であるのに気づかないほど低次なんである。

悪魔の知性が人類よりも遥かに賢いのは、ルシファーが、月紀の落第者で、アーリマンが、太陽紀の落第者だからである。だから、ルシファーとアーリマンは、人間の知らないことを知っているし、人間の知性を超える知性をもっているので、人類を騙すのも容易だからである。

知的生命体と自負する名誉欲や虚栄心だらけの知性に憑りつかれている現代人の生態については、前回も紹介したが、現代人は高度の知性と自らを語るが、ウソをついても、人体がすぐに破壊されないのが、高度でない証拠なんである。つまり、それは、ウソが即座に現実に反映されない、リアルでないのを意味する、からである。かつての人類は、いまの動物のように、ウソがつけなかった、というよりも、ウソを嘘と見抜けなかった。

例えば、動物はウソをつけないが、代わりに、ウソに似た擬態を演じる。人間にも擬態に似た人体反応があるので、ポリグラフなどがウソ発見器として用いられるが、現代の科学信仰からいえば、証言者にポリグラフ検査をしないのも不可思議といえるかもしれない。

擬態 - Wikipedia

ポリグラフ - Wikipedia


ポリグラフは、通常とは異なる生理現象からウソを判断する機械らしいが、人智学では、人間が恥ずかしいときに顔を赤らめるのは、血流を表面に分散し、自我を薄めるためで、人間が恐怖を感じるときに顔を青ざめるのは、血流を深部に集約し、自我を濃くするためと、解き明かされ、笑いは、アストラル体を膨らませ、悲しみは、アストラル体を萎ませる、と人体の現象から解き明かしている。

だから、現代人が高度の知性と呼んでいる人類の知性とは、物質界に住み、物質界を作り変える知性でしかなく、それは物質界しか想定できず、覚醒意識を基盤にする活動で、より高度な知性からみれば、破壊活動にすぎないわけで、物質界を破壊する条件に、ウソをつけるような知性は好都合である。だから、ソクラテスの高度な知性からも、この知性を無知と呼んだわけなんだろう。

無知の知 - Wikipedia


ソクラテスの無知の知からいえば、現代人の、ウソをつくのが人類にどれだけ害を与えるのか、知らずに、ウソをつく知性を、無知というわけで、それはせいぜい、物質界でのみ通用する破壊行為というわけなんである。眠ったり、死んで、覚醒意識を失い、物質界から出ると、ウソは通用しないばかりか、ルシファーという悪魔に出くわし、魂の負債を背負わされ、ネガティヴな領域の地獄への入口の、負債口座アカウントが開かされた、と気づくわけなんである。

ルシファーらは、人間よりも高度な知性をもつために、それよりも低次な物質界に直接手を下す事は出来ない。だから、人間がウソをつくことで、自我の核心となっている神から離れ、自我を低次にすることに付け込んで、憑りついて、自由を与えたふりで自由で拘束し、意のままに操ろうとする。小人閑居して不善をなす、で、猫に小判という意味で、「人間に自由」というべきかもしれない。

人間に自由を与えても、ウソをつくことに用いる、というわけで、ウソから転じて、悪魔により、大震災を起こされると言った方がいいかもしれない。ウソから大地震が起こるというのは、カオス理論のバタフライ効果のようにみえるが、カオス現象のような非線形現象を現代人が理解できないのは、ウソをつくのを平然と行える物質界しかみえないからでもある。

バタフライ効果 - Wikipedia


つまり、人類はルシファーにより、自由の名の下に、物質界に閉じ込められている。シュタイナーによると、ルシファーらは、月紀に宇宙の進化から外れて、地球紀には進めなかったが、人間のアストラル体に影響し、エーテル体や物質体を操作できる知性をもっているという。

人智学では、この知性は、4大元素霊でいうところの、風や水を司る知性で、地球の大気や海水に影響を及ぼすために、天候は月を通じて、ルシファーが司っているのがわかっているが、現代科学では、潮汐力を月の引力の一因にしているが、厳密には間違いで、本当は、地球の天候などを司るルシファーの影響で、悪魔の高度な叡智の賜物なのである。

かつての月だった地球のときの人類は、現在の人類が物質界を作り変えているように、かつての月を作り変えていたわけで、天使となった存在たちは、いまでもその能力で、地上に介入しているという。ただ、人類の地球人は、その介入を物質的にしか解釈できないわけで、というのも、物質的知性で、自由に翻訳、解釈するしかできないからである。

だから、落第し、堕天使となったルシファーたちは、地球人が自由にウソをつくほど、介入の余地が増す。また、太陽紀に進化から逸脱したのが、アーリマンたちで、その当時の能力を今でも保持しているので、当時の能力は、4大元素霊でいえば、火と土を司る知性で、地球の内部の熱と固体のエネルギーを操って、地震などを起こす天災の元凶となっている。

重要なのは、宇宙にはカルマの法則があるので、やられたらやり返される、自業自得の法則があるので、悪魔が勝手に人類に介入するわけにもいかない、ことにある。悪魔が地球人を勝手に苦しめたりするのは、自分たちにも苦しみが及ぶわけで、地球人が自ら求めない限りは行使できない。だから、地球人が身勝手に地球の環境を破壊すれば、悪魔にも、それを根拠に介入の余地が発生するわけである。

大袈裟に極論すれば、ウソをつくことは、地球人全体を裏切る行為なので、地球人でないものからすれば、特に悪霊たちの標的になりやすいわけで、地球人釣りをしている悪魔にとっては奴隷にしやすいわけで、権力者であるほど、自分たちの目論見通りに、地上を支配しやすいので、益々介入していくわけである。地球人の結束を奪うのに好都合な人選というわけなんである。

かつて人類のなかでも民族同士で、このような裏切り行為などが頻繁に起こって、かつて火と土の世界だった太陽が地球から分かれて、太陽に進化できなかった堕天使アーリマンが生まれ、またそこから風と水の世界の月が地球が分かれて、いまの地球に進化できなかった堕天使ルシファーが生まれ、月を主の舞台にして地上にも天候などで影響を与えている。

人類の地球人が、地上で、固体という土の、地の物質界でしか通用しない知性しかもてないのは、かつての火の大破局や、水の大破局を招いて滅亡しないためである。しかし、核兵器を手に入れて、いまや、土の大破局を招こうとしている。

自分たちにだけ都合よく、知性を用いるのは、黒魔術で、ルシファーは風や水、アーリマンは火や土の知性で、その黒魔術を、人類に与えて、奴隷化しようとしている。このような全体像を、宇宙の進化に沿った人類の正規の進化を見守るのが、聖霊たちで、かつてマーダックと呼ばれたミカエルが天使長で、太陽霊キリストと共に、地上の人類に愛への目覚めを教え諭しているという。

キリストの愛の教えに目覚めるために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

           ★        ★       ★

 既に述べたように、「永遠」は、「土星」紀に準備され、時間とわかれたのは、実際は「太陽」紀ではない。しかし、現代の概念で表現できるほど明確に現れたのは「太陽」紀である。現代の概念と言葉では、永遠が、古「土星」の進化にも存在したのを正確に特徴づけるのは不可能で、時間からの永遠の分離を「土星」上ではほとんど知覚できない。

 この出来事を通じて、「諦め」という、古「太陽」紀の神々による拒絶と、不死の獲得という、両方の意味が明らかとなった。この両方からもたらされる結果とは何か?

 以前、「神秘学概論」にも書いたが、そこでの記述は、ある意味、幻想のヴェールをかけたが、「月」進化紀が「太陽」紀に続き、「太陽」紀の終わりに、全存在が一種の黄昏と呼ばれる、宇宙的なカオスのなかに沈んだ後に、再び「月」として現れる。

 いまの地球紀でも、天使たちの犠牲が、熱の背後に現れるが、「太陽」上の熱もまた、「月」上では外的な熱として現れ、また、与えるという徳は、いまでも、気体もしくは空気として現れ、「諦め」という、犠牲の拒絶もまた今の地球にも現れている。

 いまの地球に、「諦め」と呼べる永遠は、古「月」上で生じた全事象にもあった。これが永遠の真実である。つまり、「太陽」上で、時間を手放し、諦めを経験できた存在を、「太陽」の次の古い「月」上の全存在のなかに霊視するには、外界の存在とは異なる存在を想定しなければならない。

 つまり、土星紀の「犠牲」は、マーヤという外界では、熱として現れ、太陽紀の「与える徳」は、気体もしくは空気として現れ、月紀の「諦め」は、液体もしくは水として現れる。外界での、水はマーヤ(幻想)であり、もし、太陽紀の天使たちが、拒絶と諦めの精神的基礎をもたなかったら、存在しなかった。だから、いまの地球の、水があるところには必ず神的な拒絶がある!

 それは熱が幻覚で、その背後に「犠牲」があるのと同じように、気体もしくは空気が幻覚で、その背後に「与える徳」があり、また外界で、物質の水として現れるのは、物質的幻覚で、その背後の真なる存在は、「拒絶」、「諦め」の行為である。

 水のような液体現象の背後に、「諦め」が横たわるとき、それらは、水を通じて、地球に流れる。人智学徒は、「太陽」から「月」への移行に際し、空気が水に濃縮したのを知っている。水が生じたのは「月」上であり、「太陽」紀にはなかった。古「太陽」進化紀に集積する雲の塊が圧縮され、水となり、「月」進化紀に「月」の海として現れた。

 この事実を考慮すれば、次の疑問に終止符を打てる。水は「諦め」から生じる。実際、水は「諦め」である。だから、水とは一体何なのか?という疑問に対して、「諦め」「拒絶」という特別な精神、想念が獲得できる。

 しかし、次のような疑問も生じる。もし、ケルビムが「諦め」ずに生じた状態と、提供された供犠を「諦め」て、自由になった状態との相違とは何か?

 この違いは、表現できるのか?

 この問いへの答えは是で、その相違は表現できる。そして、それは「諦め」の結果、「月」状態に生じた事実から現れる。

 もし、諦めが生まれてなかったら、ケルビムが拒絶せず、犠牲を受け取っていたら、自我の中に犠牲の煙をもち、犠牲の受容が、犠牲の煙の中に表現されただろう。

 ケルビムが多様な行為を遂行できると仮定し、ケルビムの行為を、外的に表現すれば、絶えず変化する空気の雲のように現れただろう。捧げられた犠牲を受け取る毎に、ケルビムの行為は、空気の多様な形で外的に表現されただろう。しかし、ケルビムは、捧げられた犠牲を拒絶し、時間と共に死ぬ運命から退いて、不死を獲得した。

 ケルビムは時間という犠牲の、一時的で多様な存在から退き、永遠の存在となった。拒絶された犠牲は後に残され、犠牲を受け取らなかった存在の力に拘束されず、解放される。拒絶された犠牲はもはやケルビムに従う必要がなく、ケルビムの力から解放され、後に残された。

 この後に残された犠牲はどうなるのか?

 また別の存在たちが、受け取り、独立できるようになる。この別の存在たちはケルビムの近くにみつかるが、もし、ケルビムが受け取っていたら、犠牲は、ケルビムの配下となっただろう。しかし、犠牲はもはやケルビムの内にはなく、外へと独立した。この独立により、「諦め」とは正反対の精神、想念が生じる可能性が芽生えた。

 つまり、別の存在が、後に残された犠牲を、また別の自我へと引き寄せ、その内で活動するようになる。この別の存在が、後に取り残された堕天使たちである。だから、後に取り残された堕天使たちは、ケルビムによる拒絶行為の結果生まれた。後に取り残された堕天使たちを生み出したのはケルビムの自我である。

 ケルビムは上記のように「後に取り残される」可能性を生じさせた。ケルビムによる犠牲の拒絶を通して、供犠を諦めず、自我の欲望や望みに身を委ねながら、供犠を外に表現する他の堕天使たちが、供儀をまた別の自我にする可能性、つまり他の天使たちと並んで独立した堕天使になる可能性を得た。

 こうして、「太陽」進化から「月」への移行に際し、ケルビムが 不死になるとともに、また別の存在たちが、自我の中で、ケルビムの継続する進化から逸脱し、自我を分離する可能性を得て、実際、不死なる自我存在からまた一時的で多様な自我を完全に引き離す可能性が生じた。

 進化から、後に取り残される深い理由を霊視するなら、堕天使存在を生じさせた責任は、究極的な要因を求めれば、堕天使たちにないのが理解できる。この事実は最重要で、現代人が把握すべき必須の叡智である。もし、ケルビムが犠牲を受け取っていたら、ルシファー的な存在たちが後に取り残される可能性はなかった。

 というのも、ルシファーたちが、この犠牲を受け取る機会がなかったからである。「諦め」こそ、ルシファー存在たちが、独立するための前提条件だった。賢明なる宇宙進化の導きは、神々自身が、その反対者たちの存在を生み出すように命じた。

 もし、神々が自由にならなかったら、ルシファーたちが、神々に離反するのも不可能だった。もっと簡単に言えば、神々が、もし、「土星」から「太陽」への移行後も、以前と同様に創造行為を続けていたら、自我の主体性から行動する自由な存在たちは、決して生まれなかった、のを神々は見通していた。

 神々は、自由な存在を創造するために、敵対者たちが全宇宙のなかで、時間に左右される全てのなかで、神々に反抗し、その抵抗に遭遇する可能性を与えねばならない、のに気づいていた。

 全てを支配する者が神々だけだったら、上記のような反対者を見つけるのが不可能なのを知っていた。もし、神々が全ての犠牲を受け入れたら、物事は、非常に容易となり、全ての進化は、神々の思い通りになっていたのを、人智学徒は霊視できる。しかし、神々は、容易な道を選ばないことに決めた。

 神々は、自由な存在たち、神々に反抗できる存在たちを望んだ。そのため、神々は、全ての犠牲を受け取らず、神々の自我のなかの「諦め」を通して、別の自我が、後に残された一部の犠牲を受け取った、という事実を通して、反対者になるように定めた。

 なので、悪の起源は、いわゆる悪の存在たちではなく、いわゆる善なる存在たちのなかに、つまり、犠牲の拒絶によって、宇宙に悪をもたらす存在たちを通じて、悪が生じる可能性を与えた、善なる存在たちのなかに探さなければならない。





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Last updated  2024年03月22日 14時26分44秒
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