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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年05月03日
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カテゴリ:神秘体験空間
人智学によれば、我々地球人は、いわば地球に旅行しにきているわけだが、現代人は、カリユガの時代が長かったためか、前世を忘れて、地球に満足できずに、最近は月に行きたいとか、火星に行きたいとか、地球での環境問題や貧困問題も解決できずに、この国の政治家の如く、国内問題を放置したままに、外遊を続けて、浪費放蕩生活を辞めないのには、現代人特有の獣性が感じられて、呆れ果ててしまうばかりである。

地球の物質的な生活も、満足に暮らせないのに、他の天体の物質性に満足できるわけがない。国内生活が嫌だからといって海外生活に憧れるのと同じである。人智学から厳密にいえば、地球の物質的な生活は、肉体上での制御の問題で、いかに脳から覚醒意識を満足し得るかどうかで、つまり物質界で矛盾なく暮らせるかどうかで、精神を物質で満たし得るかにある。しかし、現状は国家をつくって物質的に平等な暮らしを確保するどころか、貧富の格差が拡がり、貧困問題から、国家間紛争に陥っているわけで、悪しき民族主義が、土地を巡っての利権問題に陥るモラルハザードから、しばしば制度政策不備に陥っているわけなんである。

端的にいえば、霊の物質化が制度破綻をきたしているわけで、古代ギリシア時代の哲学が、中世のルネッサンスを経て、霊的な幾何学が、物質化された代数の数学となり、ついには、近代のカリユガ時代に、物質構造化の力の概念の物理となり、集合自我から、個人主義に目覚めたのは良かったが、神的な存在が、みえなくなってしまい、物欲の強欲さやエゴ、名誉欲や虚栄心がもたげてきて、二―チェの有名な「神は死んだ」の象徴的な言葉を連想させる、現代人のエゴ性を、古の民族主義として引きづる現代に至っているわけなんである。だから、先進国では少子化問題を解決すべく、こぞって多民族共存共生へと舵を切っているわけなんである。

神は死んだ - Wikipedia


人智学によれば、この「神は死んだ」というニーチェの発言は、カリユガにより、人間が古の古代叡智を失ったという意味で、神がみえなくなってしまったという意味でもあり、古代エジプト人のミイラをつくる働き、そして、キリストが降臨し、人間の肉体による死を知ったという意味をもつらしい。

だから、人間は、民族霊という神から、その手足として個人で生まれたが、カリユガによって、ルシファーの低次の知性に染まっていくに従い、地に数学などのリベラルアーツを確立し、宇宙進化のモラルの十戒から逸脱していくが、キリストが降臨し、改めてモラルを説き、エゴからの個人的な救済にあたる、肉体からの脱却を、神の死と説いたわけで、来るべきアクエリアス時代での、キリストの再生の蘇りを想定したものなんである。

仏陀もキリストも、死ぬ事はなく、いまも生きているのだが、肉体という死の感性からは、というのも、物質は分解され、解体されてはじめて、その内容が、構造がわかるわけで、精神的な満足を完全に満たすものではないからである。だから、地球という物質界に満足できずに、月や火星に行きたいというのは、正に金持ちが地獄に行く道理の裏返しでもある。死の感性が辿り着く果てが魂の墓場ゲヘナだからである。

この物質界から飛び出したいという強欲さは、死の感性を持つ限りは、孫悟空がお釈迦様の掌中にある話と同じで、己の愚かさに無知さに気づかない馬鹿なんで、その馬鹿さ加減をみていると、カリユガ時代の宇宙論で有名な天文学者のカールセーガンが書いたコンタクトという映画を思い出す。

コンタクト (映画) - Wikipedia


この映画を人智学で解き明かせば、ロケットなど宇宙船に乗らずとも、地球人は睡眠中に、月や火星に行っているのである。地球にいるのは、肉体という地球の乗り物に乗っていて、乗り物の地動説から宇宙を解釈しているせいなんである。量子力学や超弦理論が、奇想天外にみえるのは、物質界の線形観測から強引に解釈しているせいなんである。

さて、巷はGWで、GWに浸りたい気分もあるが、この地球のどこかで戦争が行われ、低次の宇宙人である、悪魔が人類を戦場へと送り続け、支配を拡大し、いまも高笑いをしているのを見過ごすわけにもいかず、この国の指導者も、そのような低次の悪魔に洗脳され、獣化しているのに少しでも警笛を鳴らすために、高次の宇宙人とのコンタクトを続ける意味でも、人類同士に和解をもたらせる可能性がある人智学を紹介していく。

GWに、日本人が海外へ、外国人が日本へと、短い期間だが、海外との文化交流で、この国の文化が海外から、いかに遅れているのか、を知るのにいい機会といえるかもしれない。この国の政治をみれば、いまだに個人主義がみえない、サル山のサルの獣のような派閥主義や党利党略が優先され、国民の生活は置き去りにされ、官僚主義のヒエラルキーが悪しき文化として残っている。それはかつてのロシアのノーメンクラトゥーラを髣髴とさせる。

ノーメンクラトゥーラ - Wikipedia

いまだにこの国は、古く悪しき形骸化した民族主義の集団主義を抜け出せないでいる。それがいま、若者と高齢者の間で社会的論争や闘争を巻き起こし、低レベルな政治が経済的に放置しているために、少子高齢化を招いているのが現状である。外遊はすれど何も学べない学ばない無能で馬鹿な政治家がやる事は虚栄に満ちた自己欺瞞の浪費による自己保身で、赤字国債を発行してはただただ増税でしかないのが笑止千万で益々社会的混乱を生み出している。悪しき古き文化にすがる老害が巷をゾンビのように跋扈している。

対照的に、北欧ではジェンダーフリーが唱えられ、個人が性差別を乗り超えて、かつての両性具有の精神性への回帰に目覚めている新しい時代、つまりアクエリアスの水瓶座の到来の予感が既にあるにも関わらずにアジアの多くの国は、かつて仏陀が出家を説いたのにも関わらずに、いまだに民族主義から脱却できずに、民族主義をそのまま、まるで物質生産工場の歯車のような機械に構造化している。そこには人間はなく、悪魔に奴隷化された獣のゾンビのような、生き血を吸う吸血鬼のような資本家しかいない。そして、資本家が始めるのは権力を懐柔する土地利権の収奪である。

ジェンダーフリー - Wikipedia


強欲な資本家を生み出した背景は、カリユガの暗黒時代、つまり悪魔の洗礼ならぬ染霊を早くから経験してきたのが、西欧の植民地化政策で、ルシファーの分別知、いわゆる霊の物質化による産業革命、つまり、民族主義脱却のための個人の物質的な独立運動といえる。仏陀時代の出家が、物質的な強欲に置き換わり、悪魔化されたといえるかもしれない。

仏陀の時代は、まだ古代叡智を読み解く霊能力があったので、仏陀は、来るべきカリユガの時代に染まってはいけないと、予めに出家と輪廻転生の教えを説いたわけだが、その仏陀の教えも物質化されてしまい、この国では銭儲けに明け暮れて、詫び寂びの本来の意味もなくしている。本来の詫び寂びとは、死者をみれる霊能力の事なので、物質文明に染まらない、霊を物質化しない力、もしくは物質化からの霊の解放能力を意味する。

詫び寂びを知らずに、新興宗教のように、宗教を金儲けの集団主義の道具にしてしまっているのが、悪魔の洗脳によるトラップで、いわば詐欺宗教なんで、そのまま地獄へと集団旅行の地獄観光ならぬ観闇巡りへと堕ちていくだろう。統一妖怪などやインチキ教団が巷に溢れている。仏教だって高額な墓料を売りつけたりしてインチキなものばかりだ。これらは霊感商法と呼んでいるが、霊感がないから、地獄に堕ちるのがわからないからできるわけで、本当は不霊感、もしくは悪霊商法というべきだろう。

そもそも、霊感とは人類全体の発展のためにある精神的な感覚なんで、つまり、いかに迷える子羊を救えるかの公正で、平等的なモラルの感覚なんで、自分だけ利益を上げ、得をしようというような不埒で強欲な感覚は、悪霊のものなんで、悪霊感というべきだろう。だから、カリユガの時代に多くの悪魔教が生まれたわけなんである。自分だけ解脱しようというのも同じである。

カリユガの暗黒時代の、霊の物質化による土地の支配欲は、ルシファーからアーリマンへと、悪しき遅れた民族主義による精神的な欲望の文化が、物欲へと引き継がれていく文化の負の遺産ともいえるが、その負の遺産がいまだに戦争という形で残っているのが、現代のアーリア文化期の課題である。

古い文化にも確かに良い面はあるが、良い面とは、悪しき面を新しく良い面に変えるものなんで、新しい文化のなかに、その根底に生きているはずである。それは日本人の手抜きのないモノづくりのなかに現れているはずである。それが、霊の物質化のなかに、霊を読み解く詫び寂びの感性である。

詫び寂びの感性は、簡単にいえば、依怙贔屓やインチキをしない、モラルの道徳性の、虚栄や物欲、強欲を捨て去り、足るを知る精神の、心の働きである。詫び寂びのモラルの感性があったので、この国の文化は、新しいモノづくりや心のもてなしの精神へと霊化できたのかもしれない。詫び寂びの感覚は、睡眠中に目覚め、大自然のなかに、物質性を超えて、仏の霊の働きをみる、つまり季節感により育てられる。

先日、現代人は味覚力を失いつつあるのを、巷のTVでみたが、本来の味覚は物質性に囚われない霊性で、大自然の営みをそのまま感じる感性である。TVの番組では、薄味の新鮮な食材を食べ、些細な感覚力を養うことで、味覚力を取り戻す方法を提案していた。特に塩分の微妙な匙加減が重要になるようである。

和食は季節感を重視しているように、味覚から、大自然の働きを見通すように、食材を生かし調理するのだろう。和魂洋才と言われて久しいが、和食ブームといわれる現代の和食に季節感から詫び寂びの霊能力再獲得の輪廻転生を読み解ける能力があるのかは、和食調理師の心掛け次第といえるかもしれない。

いずれにしろ、強欲さ、虚栄心、名誉欲を捨てるためには、足るを知る必要があるだろう。心を満たすには、物質性にはない、心のなかの問題を解決するしかないだろう。心のなかに安らぎがない限りは、外に何を求めようが無駄だからである。だから、心のなかの中心の足るを知る必要がある。

「足るを知る」と、幸せになれる / 植西 聰【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア (kinokuniya.co.jp)

和の本当の意味、民族主義を超えて、地球の季節感と一体となり、足るを知るために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

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 現代人は、外界から、表面的に、覚醒意識を満足させ、あらゆるものを認識するのを学ぶ。しかし、潜在意識から脈打って来るのは、外的な事情からは決して満足させられない、前世に起因するカルマによる人生の中心的な課題解決への切望である。

 しかし、この中心的課題を、解決できるようになるには、人生に生じる物質的な事柄だけでなく、その全体に関与するカルマを読み解ける能力を手に入れたときだけである。今日、魂の奥深く生じた憧れは、本来は、高次の意識へともたらされるべきで、宇宙のなかに生きる神々や天使たちの存在と交われるように、寄与しなければならない。もし、 この霊的な存在との接触がなければ、その存在への憧れが、魂の奥底から、意識されずに生じてくるだろう。

 この意味で、人智学は魂の奥底に生きる憧れへの1つの回答である。そして、世界中で生起している出来事の序章が、遥か昔にあったとして考えると、今日生きる人々が、魂の中にある憧れの力を、人智学によって和らげようとし、特に、そのような憧れが、覚醒意識を超え、脅威となるように、消耗させる場合に、人智学が語る内容が、心を和らげるのは、驚くべきことではない。

 もし、憧れを脅威と感じるような人物が、人智学のような、精神的な叡智がなく、手に入れられなかった時代に生きていたなら、正に「偉大な精神」であるが故に、精神的な叡智に対する絶えざる憧れに悩まされ、人生の意味を把握する可能性から疎外されて来たはずである。

 他方、今日では、かつての霊的な像(イメージ)への憧れを和らげ、それへの絶望を沈黙させ、憧れを退治するようなものが、その魂の中に滴り落ちる。以前には、 この一連の像(イメージ)の行進が止むのを待ち望み、像が益々大群となって居座るほど、益々更に待ち望むしかできなかった。

 ハインリッヒ・フォン・クライストが友人に宛て、次のように書き送っているのを見ると、魂の憧れが、まるで香油のようになって、自らの欲望を注ぎ出し、人智学のようなカルマ学を、手に入れられなかった時代に生きていた人の言葉から、次のような内容が表現されているのがわかる。

 「この地球上で幸せになりたいって? そんなことを言う奴がいたら、恥を知れ!とでも言いたい。全てが死で終わる場所で、なにかしかの目的に向かって努力するなんて、いかにも先が読めない、ご立派な人間のすることだ!

 我々は出会い、三度の春を互いに愛し合い、そして、永久に互いから逃げ出す。愛がないのに、その努力にどんな価値があるというのか。ああ、何か愛以上の、幸せ以上の、名声以上の、xyz以上の、何か、我々の魂が夢想さえしないようなものはないのか!

 世界の頂点にいるのは悪い精神ではあり得ない。それは何か不可解なものに過ぎない。我々だって、子供が泣いているとき、笑わないか?

 この無限の広がりについて少し考えてみたまえ! 無数の時間領域、それぞれが1つの生命、それぞれが、この世界のように、顕現した存在なのだ! ああ、静止した瞬間よ、教えてくれ、これは夢なのか?

 我々が夜、仰向けになって見る二枚の菩提樹の葉の間には、その先見性において、我々の思考が捉え、言葉が表現できるよりもずっと豊かな見通しが広がっているではないか。よし、何か善い行いをしよう、そして、それをしながら死のう!

 我々は既に無数の死の1つを死に、そして、未来にもまた死ななければならない。まるで、1つの部屋から別の部屋に行くようなものだ。ほら見てごらん、僕には世界が大も小もなく一緒くたに箱詰めにされているように見える。」

 これらの言葉で表現された憧れは、この人物を促し、その友人に宛てた、この手紙を書かせた。けれども、このクライストの精神は、現代の魂が、精力的な理解力で、人智学にアプローチするような方法で、その憧れを充足する手段を見つけ得なかった。

 というのも、この精神は、百年前に、まず友人のヘンリエッテ・ヴォーゲルを、次に自身を撃って、その生涯を閉じたが、いまは、彼の亡骸が葬られたヴァンシー河岸にある寂しい墓の下に眠っているからである。

ハインリヒ・フォン・クライスト - Wikipedia






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Last updated  2024年05月03日 08時05分54秒
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