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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年05月08日
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カテゴリ:神秘体験空間
現在では、唯物論のドルトンの原子仮説により、還元論の代名詞ともなっている素粒子論だが、古代ギリシア時代にまで遡ると、デモクリトスの原子論に辿り着く。現代物理の素粒子論の基盤となっているのが場の量子化の第2量子化の生成消滅演算子の根拠となっている量子力学だが、これまで述べてきたように、いまだに観測問題という唯物論を超えられずに、確率統計のような曖昧な数学を用いて記述している表現力では、非線形現象を線形化し、単純化し、物質に置き換えた、真相とは程遠い経験的な現象は後追いで記述できても、生命現象を予め見積もって、預言者の如く、予知するのは、シュレディンガーの猫からも不可能であるのは人智学から明白である。

ジョン・ドルトン - Wikipedia

デモクリトス - Wikipedia


というのも、アインシュタインのいうように、神はサイコロを振り給わずで、カルマを書き給うからで、シュレディンガーの猫の生死は、猫と飼い主の物質界を超えたカルマの関係で決まるからである。端的にいえば、波動関数は、物質界だけで都合よく首尾よく、確率統計学で決まるのではなく、物質界を超えた全宇宙のカルマの法則から決まるからである。つまり、客観的な証拠は物質界だけにあるのではなく、物質界を超えた、虚空と呼ばれる、俗にエーテルやアストラルで書かれたアカシャ記録のカルマにある。

人智学によれば、客観的な証拠は物質界というよりもむしろ物質界を超えたところにあり、物質界では、常に個人的な感覚が問題視されるが、客観的というのは、個人の感覚を超えたところにあるからである。脳科学者はどの脳も似たような機能をもち、電子回路のような違いでしかないと考えているが、そのような類似化は、物質界でしか通用しないのは、互いの議論を巡って、論争し、闘争し、戦争することから、少なくともわかるはずである。誰もが納得するような客観的な証拠があるのなら、互いの議論を巡って論争するわけがなく、それらが個人的感性に負っているせいなのは明白なんである。

なんのことはなく、悪魔に騙され。唆されて、互いに闘わせられているにすぎない。ホンモノの客観的な証拠、つまり真実であるなら、そこには理解力と和解力が、そして、人類を次の進化へと導く愛が隠されているはずだからである。

物事は我々地球人が考えるよりも遥かに複雑で、物理学者の思考実験なる単純化したモデルでは想定できない、宇宙の全生命体の意向が波動関数の一点に集約し、その重ね合わせとして現れているわけなんである。そして、波動関数は宇宙のカルマの進化と共に、常に新しく書き換えられている。

例えば、ハイゼンベルグの不確定性関係からもわかるが、位置と運動量の交換関係は、どちらを選ぶかで、その後の関係が変わってしまうように、量子力学の物質化を超えた非線形現象は、常に線形化を受けて、同時に非線形化されてしまうわけなんである。この物質界での観測経験による線形化に対しての、それを超える非線形化こそが、カルマの法則というべきものだろう。

つまり、ハイゼンベルグの不確定性関係は、観測者である猫の飼い主が、猫の生死のどちらかを選択し、観測することで、後に生まれ変わったときに、最初に優先しなかった状態(最初に死なら、次は生を、最初に生なら、次は死を)を観測する人生を経験するカルマの法則に置き換えられるのを意味するのである。この不確定性関係をカルマの法則に置き換えるのは、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスによく似ている。

不確定性原理 - Wikipedia

アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス - Wikipedia


量子力学では、物質界での観測を前提にしているので、この問題を縮退と数学的に記述している。この問題は、例えば、人体外の電子と、人体内の電子の区別がミクロでは不可能なのを意味している。それはまた、方位磁石の針が北を向くのを、方位磁石の針に要因を求めるのと同じ間違いである。方位磁石は、地球が発する地磁気の方向を指しているだけにすぎないのはいうまでもない。

縮退 - Wikipedia

我々地球人は、磁石のNとS、つまり電気のプラスとマイナスがひき合うのを経験から知っているが、それがなぜなのかは理解していない。ただ、引き合う現象を、物質的に、プラスとマイナスに数学的に記述し、観測から評価しているにすぎない。例えば、男女がなぜ惹かれ合うのかを、男、もしくは女に追及していっても、わからなくなるのと同じで、人類全体から、人間の進化から解き明かさないと意味がない。

男なるもの、女なるものは、物質界からではただテストステロン、アンドロゲンなどの男性ホルモン、もしくはエストロゲンやプロゲステロンなどの女性ホルモンの分泌がどうたらこうたらで説明し、多様な個人的な観測立場から、論争するだけなんである。プラスを選択するほど、次にはマイナスを選ばずを得なくなるのを考えないと、バランスを失うわけなんである。だから、シュタイナーは、特殊なカルマでの事情がない限りは、男に生まれた後は、次には女に生まれる、と語っている。

物質界での線形的な観測論しか唯物論で言及しないから、特定の自分が観測した固有値に囚われ、それに固執し、物事を単純化しすぎて、その背後にある非線形化を考えないから、馬鹿で愚かな独裁者のような権力者が愚かな正義を振りかざし、悪魔に唆されているのに、その自覚がなく地獄に行くような戦争をはじめてしまうわけなんである。

つまり、生と死や、物質の生成と消滅を理解し、自他共に和解するのは、物質現象の背後にある、カルマの法則を知らないと、ソクラテスが説いたように、無知なままの、馬鹿で愚かなままで、論争や闘争や戦争で人生を費やし、結局、死後に執り行われる最後の審判で、地獄に堕ちるだけなんである。

プラスとマイナスのバランスをとる働き、つまり、バランスのバランスが、カルマの法則で、真相なんである。プラスとマイナスが惹かれ合うのは、その背後で、バランスをとる、カルマの法則があり、バランスにより、共生共存のモラルの法則を満たしているわけなんである。だから、現在の自分の立場を知り、その立場を乗り超えて、宇宙のバランス能力の、モラルを理解し、個人に囚われずに、他との和解が重要なんである。

さて、デモクリトスの原子論にまで遡ると、デモクリトスが、ドルトンのような唯物論の原子説を説いたわけではないのが、人智学より明らかになる。古代ギリシア時代では、それでも、十分に唯物的だったので、プラトンのイデア論により、将来の民衆のカリユガ化を薄めるために、排斥されたようだが、アリストテレスの「運動は不変の安定に向かう」という慣性の運動論に影響を与えているようである。

デモクリトスの原子論を、ウイキから以下に抜粋する。

『「原子(アトム)」は不生・不滅・無性質・分割不可能な自然の最小単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として「空虚(ケノン)」の存在が前提される。無限の空虚の中では上も下もない。形・大きさ・配列・姿勢の違うこれら無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚でとらえられる対象や生滅の現象が生じる。また魂と火(熱)とを同一視し、原子は無数あるが、あらゆるものに浸透して他を動かす「球形のものが火であり、魂である」とした。デモクリトスは世界の起源については語らなかったが、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べた。』

この文からもわかるが、「空虚」とは、現代の物理から解釈すれば、ディラックの海と考えられ、物質界で記述すれば、ハイゼンベルグのヒルベルト空間で、原子(アトム)とは、数学的にいえば、エルミート作用素の演算子になるだろう。

ディラックの海 - Wikipedia

ヒルベルト空間 - Wikipedia

エルミート作用素 - Wikipedia


エルミート演算子を使うかどうかは観測者で、使えばそれに伴い、観測者と、観測対象との不確定性関係が、カルマの法則に書き換わるわけで、現世で観測できなかった他の、いわゆる仮想の量子状態は、カルマの法則により、観測者の知的な進化と共に、来世へと持ち越されるわけなんである。

つまり、デモクリトスのアトム論は、仏教の色即是空と同じで、観測者が、「量子あれ」と念じて、エルミート演算子やらを、空虚のヒルベルト空間の場に、用いて共感すると、現世の経験が線形化し実数となって現れるが、同時に、選択されなかった非線形化した他の虚数の状態は、次回へと持ち越され、最後は、その経験が、観測者の死と共に、物質界から回収され、再度、今度は陰と陽の自他が逆になり、観測者と、観測対象が入れ替わり、強化されて、次の転生での経験として持ち越され、観測者の進化の課題となる、というような、カルマの法則を、空虚で表現しているようにみえる。

科学の歩みところどころ (shinko-keirin.co.jp)

アリストテレスの運動論の、運動は不変の安定へと向かう、というのを、カルマの法則で考えれば、プラスとマイナスが入れ替わったり、全体として統合され、全体のバランスへと向かう、バランスの調整で、つまり、全体のバランスが保たれた、つまり、無秩序から、秩序へとモラルに向かっていくのがわかる。

アリストテレスの運動論でいうなら、局所的に不均衡なプラスか、マイナスの陰陽のどちらかに偏っている状態は、全体をみてみないとわからない。人間の感性は個人化されて、自己を中心にみているが、地球の中心にいるわけではなく、ましてや太陽系の中心でもなく、宇宙の中心でもないから、とりあえずは、自己の中心がバランスを崩さないように、人生を通して、地球の中心とバランスをとるのが、肝要になるといえる。

つまり、自分が全体からどの位置にいるのか、どの速度で、安定に向かっているのか、人類の進化全体からどれだけ遅れているのか、を確認しないといけないわけだが、その確認は非常に困難で、ましてや量子力学の不確定性関係では、確率統計論に陥ってしまい、現在の自分すらもほとんど客観視できないでいるわけで、迷える子羊なんである。

我々地球人は個人的自我をもったわけだが、その個人が、民族全体から、更には人類全体から、その中心からどれだけ離れ、運動しているのか、古代人なら、会社のなかの役割のように、例えば、民族霊から、お前の立場は、いまは民族の課長クラスで、使命感や責任はコレコレだと、霊能力で見通せたが、カリユガ化した現代人は、自分しかみえず、しかも肉体の物質しかみないから、いまいる位置すら、どういう速度で進んでいるのかも、中心すらもわからずに、だから、物質界で、肉体という物質に質量を与えて、地球の中心に魅了されながら、物欲を満たしながら、物質に洗脳されずに、とりあえず現時点のバランスを取りながら生きていくわけなんである。

そして、地上の物質界から、地球の中心の重力に引き寄せられながら、物質的な質量で、偏りながら、バランスをとって、現代社会の物質的な変化に流されずに、自分の生活圏の安定を保障する通貨を稼いで、自己のバランスを取りながら、自己の中心をどうにか確保しているわけでもある。

しかし、その自己の中心をみる物質的な感覚は、物質界での一面的な偏りをもった通貨などの人間関係のなかの信頼による仮想の見方なので、その偏った自己を基点にして、全体の中心にむかって、絶えず運動し、経験を糧にして、自己の中心を新しく求めながら、人生の川を流れ、立場を入れ替え、回転しながら、摩擦を少なくして、自己という固い石の角をとり、丸くなって、「転石苔むさず」の諺のように、輪廻転生を繰り返しながら、完全な丸い、摩擦のない回転の球体になっていくのが、人類が、物質界に転生し、経験しながら、宇宙のモラルのバランス感覚を獲得していくための、いわば進化のための運動といえるかもしれない。

転石苔むさず - Wikipedia


このように、古代ギリシア時代の、デモクリトスの原子論や、アリストテレスの運動論は、物質の運動だけを想定し、語ったものではなく、宇宙の中心や、太陽系の中心、そして、人類進化全体の中心や、人生の中心となるべき、個人の中心を語ったものなのが、人智学のカルマ論により解き明かされる。

例えば、素粒子論の粒子と反粒子の入れ替えで対称性が保存するか破れるかが議論され、CPTの対称性などと名付けられているが、宇宙が偏りをなくすように、つまり無秩序を秩序化するように、陰と陽を調節しながら、バランスし、運動しているカルマの背景を考えるべきだろう。

CPT対称性 - Wikipedia


人智学によれば、アリストテレスの運動論の究極は、バランスを保つ中心点をみつけるカルマ論にあると考えられる。ニュートンは、流率法により、中心からの偏りを、微妙な変化の文字を、оや・で示し、古代ギリシア時代の幾何学的手法から、微積分を確立したが、有名な著書プリンキピアでは、本人曰く流率法を用いずに、古代ギリシアの幾何学的手法でもあったカルマ論の対称性からニュートン流の慣性の法則を導入し、ケプラーの天体の運動を説いている。だから、ニュートン力学は唯物論により絶対時間だと誤解されている。

ニュートンの記法 - Wikipedia

絶対時間と絶対空間 - Wikipedia


ニュートンは、絶対時間や絶対空間を、つまり現代人が考える物質的運動の時間や空間と考えていたのではなく、カルマ論を説いていたと考えられる。以下にニュートンの考えをウイキから引用する。

『ニュートンの言葉によれば、絶対時間はいかなる観察者とも無関係に存在し、宇宙のいかなる場所でも一定の早さで進んでいく。相対時間と異なり、絶対時間は知覚できるものではなく、数理的に理解するものだとニュートンは信じていた。ニュートンによれば、人間が知覚できるのは相対時間だけで、それは知覚可能な物体(月や太陽など)の運動を測定することと同義である。我々は物体が動くのを見て時間の経過を知るのである。』

この文からもわかるように、ニュートンは物質界だけではなく、物質界を超えた宇宙の中心を考えているのがわかる。だから、「絶対時間」と日本語で訳しているが、デュレーション(英: duration)である。日本語に直訳すれば、「継続期間」となる。これは意訳すれば、時間というよりも、保証期間とか、修行期間とか、発展段階とか、プロセスと呼んだほうが意味がわかる。ニュートンがカルマ論を想定していたとすれば、カルマの代償期間、もしくは補完期間といったほうがわかりやすいかもしれない。

デュレーションとは、アリストテレスの運動論からもわかるように、不変な安定の、完全なものになるための猶予期間といえるかもしれない。つまり、ニュートンは、物質界での物質の運動から観測できる時間なるものは、仮の相対的なもので、その運動体だけに意味をもつ、と言っているようにみえる。人間に当てはめるなら、死後に執り行われる最後の審判までの人生のことになるだろう。

人生の生き方が、いかにモラルに則ったものか、太陽の中心のキリストの生き方に近いか、が、その人間のデュレーションなのであり、カルマなのである。中心から離れた偏りが、死後の最後の審判で裁かれ、それに応じて、地獄に堕ちて、反省し、次の転生で、その偏りを背負って生まれてくるわけなんである。

だから絶対なのは、カルマであって、時間ではなく、ニュートンは物質界での時間を、物体の運動量から観測し、相対と述べているように、絶対時間や絶対空間ではなく、物質界を超えた話と考えるべきである。ちなみにアインシュタインの相対論は、このニュートンの相対時間を、光速度を基準にして焼き直したものと考えれば、人によって、時間感覚が異なるのが、わかりやすくなるかもしれない。

光の見えない真っ暗闇では、時間感覚が偏っていくからである。つまり、人間は物質界での覚醒意識を基点とした時間感覚に依存しているわけなんである。我々地球人は覚醒意識を基点にして、物質界から、物理法則を記述したが、それらが通用するのは、あくまでも、物質界だけでしかないのを無知の知により知るべきなんである。この物理法則から物質界を幸福に生きようとしても、砂上の楼閣で、物質界の中心は、物質界にはなく、物質界を超えたカルマの法則の物質と霊の対称性にあるからである。

我々地球人が、人類進化の中心点をみつけるために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

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(シュタイナーは、クライストをカルマから読み解いた主題として話を進める。
 ハインリヒ・フォン・クライスト - Wikipedia

 クライストが手紙で表現した内容が、いま解き明かせるのは、まさに天の配剤といえ、これこそ現代へのカルマの恩寵とも言えるだろう。それは、これまで述べてきた宇宙の進化と連動し、つまり犠牲への意志が拒絶されたため、憧れに変わり、代わりに運動霊によって、その憧れが慰められ、最終的な満足へと向けられた努力が、「贖いの惑星」の地球上で達成される、のをよく表現している。

 この行き場のない憧れを、気高い言葉で表現し、その切なる望みを悲劇的な行いに体現し、注ぎだした、この魂を髣髴とさせる葛藤の内容について、いま解き明かせるのは、前世のカルマの解消だった、という霊的な事実である。

 この事実に気づくなら、この男の精神が、人類全体のなかの、真に魂の奥深くに生きている、個人的な憧れによる渇望を、地上的な存在を超えた領域へと連れ戻すような生の体現なのに気づくはずである。クライストの手紙が、意味深なのは、自分を超えた領域に、憧れの存在を探し求めるように、人間に強い、人間が経験できる高次の存在について、それは、もし、彼が未発達なままで生命の糸を断ち切らなかったら、発達した後にわかる存在についてである。正に「人間と人類への霊的導き(シュタイナーの講演録で、本になっている)」の最初のページの記述を、彼は経験しただろう。

 例えば、フォン・クライストの「ペンテシリア」(アマゾンの女王ペンテシリアとアキレスの血みどろの戦いについて、ギリシャの伝承に基づいて書かれた凄惨な悲劇)について考えてみて欲しい。ペンテシリアのなかには、彼女の自我の、地上的な意識で推し量れる存在よりも、遙かに多くが存在している!

 もし、彼女の魂、勿論、偉大な魂だが、その地上的な覚醒意識で包含できるよりも遥かに無限の広がりを持つのを、仮定しなければ、彼女を理解するのは全く不可能である。だから、その潜在意識を芸術的な方法で読み解いた状況が、劇中のドラマのなかで生じなければならない。

 こうして、一連の出来事(クライストがアキレスのために設定した出来事)が、高次の意識で審査される可能性を阻止しなければならない。もし阻止しなければ、その悲劇の重大さを現実のものとして経験できない。ペンテシリアは、アキレスによって囚われの身となるが、アキレスの方が彼女の囚人である、と思い込まされる。「彼女の」アキレス、という表現はそれを示している。覚醒意識で捉えられないものは、潜在意識のなかに霊視から投影しなければならない。





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Last updated  2024年05月08日 10時19分21秒
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