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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年06月20日
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カテゴリ:神秘体験空間
巷には、霊界の話が都市伝説として、盛り沢山だが、現代の歪んだ宗教団体のように、紛い物も沢山あるが、そのなかから、ホンモノを見つける眼を養うのも、地球での修行の一環といえなくもない。エマニュエル・スウェデンボルグの霊界の話から、人類は、地球に天使になるための昇進試験を受けにきているのがわかるが、合格すれば、天国に行けるが、落第すると、地獄に堕ちるわけで、だからこそ、宇宙の神々や、高次の宇宙人たちが見守るなかで、地球人が、なにより真剣に生きるのが、宇宙から望まれている。

だから、自分の好き勝手に、インチキなどをすれば、すっきりくっきりとお見通しされてしまうわけで、カンニングなどで、神々や高次の宇宙人の目は誤魔化せないから、フリーメーソンで有名な、万物を見通す目というのは、地球人の行いを監視している、いわば、地球人の受験態度を、監督している、試験監督の、試験審査の、高次の宇宙人の目でもあるわけなんである。「地球人よ、我々は宇宙から、あなたたちの生き様を見通しているのだよ」と物語る目でもある。







この万物を見通す目は、人智学のマナス=霊我でもあり、天使たちの存在の証でもある。だから、最後の審判の目でもあるわけなんである。宇宙人をイメージ化すると、このような図となるだろう。このような人間の霊魂を監視する目が、神秘学では、松果体にあると伝承されている。つまり、地球人は、松果体を通じて、心を監視されているわけで、この水晶のような松果体がモラルハザードなどで曇ってくると、地獄に堕ちるという警告が、ウルトラマンのカラータイマーのように鳴り出すわけなんである。

以下の図のように、松果体が古代エジプトのホルスの目であるのに気づいている人もいる。地球人は、この松果体の霊の目を通して、霊我により、天使たちと交信しているので、神秘学では、キリストの神殿とも呼ばれている。ホルスの目の下には下垂体を含む視床下部があるが、ここから人体にホルモンを分泌して、自我の恒常性を担っているのがわかる。十分な睡眠をとらないと、ホルモンバランスが狂ってくるわけで、キリストの神殿で祈りを捧げないと、つまり善行をしないと、松果体が曇ってきて、硬化し、石化してしまうのである。





プロビデンスの目 - Wikipedia

カラータイマー - Wikipedia

ウルトラマン - Wikipedia

ホルスの目 - Wikipedia

ホルスの目は目じゃなかった!さらになんと・・・ | Magical History Tour


松果体の石化、つまり石灰化について以下の研究は興味深いが、残念ながら、物質的な知識に終始しているので、可能性を感じさせるが、人智学的知識の初歩的段階にも達していない。現代の量子力学が、エーテルを無視し、物証に終始しているので、唯物的限界の壁を超えることができないが、来るべき未来の生命科学を予感させるものとして紹介する。

意識と脳科学の現状から考える情報の可能性についての考察
―量子論の仮設に基づいて― 草野 純子 日本国際情報学会

テンプレート (jst.go.jp)

しかし、このような研究から、キリストの神殿で、商売をする現代人は、この松果体を硬化させやすく、認知症の危険を増加させ、カラータイマーを鳴りやすくさせるのがわかる。現代人への警告としての、ウルトラマンの話は、神話を髣髴とさせるものが多いが、地球人を襲う怪獣を悪霊らの悪魔と考えれば、神智学の話にも通じる話があり、ウルトラマンが放つスペシウム光線の十字形が、キリストのクロスであるのも、面白い。しかし、ウルトラマンのカラータイマーは、人間のように松果体の頭ではなく、胸にあり、ウルトラセブンになって、仏像の白毫と同じ眉間の、松果体の近くになっているのも面白い。神話を共通としている意味で、ウルトラマンに近い、神智学の話とは、聖白色同胞団が、赤いアンタレス星にあり、地球を救いにきたという話である。ウルトラマンも赤い球体として地球にやってきた。

アンタレス - Wikipedia

ウルトラマンでは、ウルトラマンが最後になんとかして、怪獣を倒して地球人を助けてくれるが、現実は、地球人一人一人がハヤタ隊員となって、怪獣の悪霊を倒すためにウルトラマンに変身しないといけないわけで、ウルトラマンならぬ天使となるテストを受けるために、一度堕ちた地獄の現実から抜け出すには、反省し、再試験を受け直すために輪廻転生するしかない。しかし、死後に、地獄に堕ちてから反省しても、次の転生まで待たないと、次の昇進試験は受けられないわけで、地獄に堕ちている期間を無駄に過ごすのはいうまでもない。ましてや、地球が物質性を失い、次の木星紀になるまでに、合格できなければ、永遠に悪魔たちと一緒に地獄で暮らすしかなくなる。

しかし、現世でも、巷の独裁者や裏金議員のように開き直って、一向に反省できない666の獣のような連中が沢山いるわけで、地獄に堕ちているのに、既に、死んでいるのさえ、自覚がない魂が盛り沢山なようである。ボルグによれば、死を無と思い込んでいるので、魂として意識があるので、死んだ自覚もないので、生前と同じ欲望を満たすために、悪霊として、知人に憑依してくるという。

自分だけが損害を受け、地獄に堕ちるならまだしも、このような獣に限って、他者を支配しようとする欲望も大きいので、他人を巻きこんで、一緒に地獄に堕ちようとするから厄介である。生前に地獄に堕ちる仲間をできるだけスカウトして一緒に堕ちようとするわけなんである。というのも、このような魂は、モラルハザードを起こしているので、神意の生命エネルギーを自給自足できないので、他の魂に寄生するしかないからである。物質界では、物質に依存して暮らすしかできないわけなんである。

だから、ボルグによれば、堕落腐敗した獣性をもつ人間が、なぜ、地獄に堕ちるのか、といえば、現世での物質的な生き方が、死んでもなおやめられないからで、生活習慣病とも呼ばれている病気になるのは、物欲のために、自己管理ができなくなり、肉体を壊すからである。現代医学でも、飲酒や煙草などが肉体を壊すのがわかっていながら、やめられないばかりか、ストレス解消にいいとか、少量なら血管を拡げるとか、自己都合の理由を考え出して、正当化してしまうからである。モラルを自己都合で歪めてしまい、モラルハザードを起こしているからである。だから、ボルグによれば、地獄に堕ちるのも、自主的に堕ちていくという。

いまだにクマの出没が巷を賑わせているが、それはクマ化というか獣化している地球人への警告かもしれない。ボルグによると、聖書などの古代文書での、動物の記述は、人間の獣化、つまり、悪霊化を意味しているという。自分が悪霊となっているのに気づかないので、その警告として、物質界にいるときには、限度を越えて、肉体が障害されると、病気になるわけなんである。生活環境を改善できないまま、病院で病気を悪化させて、亡くなってしまうと、悪霊となってしまう可能性もある。

つまり、肉体の恒常性を保つのが、自我のなかにある神意のモラル性で、人智学では霊我と呼んでいるが、自我が物欲に駆られ、悪霊に憑依されると、肉体が限度を越えて障害され、病気になるわけなんである。古代人が、病気になるのは悪霊に憑依されたせいと語っていたのは、病気の背後に、ボルグが語っていた神意と人間の認識の乖離が限度を越えて広がるからだろう。先に紹介したように、松果体が石灰化してしまうわけなんである。

ボルグの話から、悪霊の本性というか、地獄に堕ちる人の特徴とは、神意のモラルを自分に都合よく歪めて解釈し、運用し、それを法律化して、権力者となって、他者を支配し、神に成り代わる偽善や詐欺にあるという。だから、神意である、愛を憎しみにかえてしまい、叡智であるモラルも、愚かな無知の教義や、ニセモノの信仰にかえてしまうので、天邪鬼になってしまうという。そして、他人が苦しむのに快感を覚えるマゾヒズムをもつようになるらしい。神智学では、このような生命エネルギーを奪う悪行をネガティヴと呼んでいるが、地獄に堕ちる人や悪霊は、他人を妬んで、不幸に陥れたりするネガティブな精神の持ち主というわけなんである。

マゾヒズム - Wikipedia


このように、地球人の悪事は、松果体を曇らせ、石灰化させ、人間の認識を、神意から乖離させ、自分勝手なモラルハザードを正当化するのは、独裁者や裏金議員らをみれば明らかである。悪霊や地獄に堕ちる人は、物質やその知識などで外見を着飾るが、物質界ではたとえバレなくても、松果体を通じて、審判をするのは、宇宙の神意なんで、人間のつくる物質界での法は破れるが、宇宙の創造の源である神意を破ると、人間自身が破壊される、といわれるわけなんである。現世では、物質により、衣服を着飾れば、他人の眼を欺けるが、神意は人間の心の底を見通しているので、例えば、有名なイソップ物語の北風と太陽の話は、その教訓かもしれない。

北風と太陽 - Wikipedia


北風は悪霊で、太陽は善霊と考えると、人間の衣服は物質界での富や名声などであろう。北風は、衣服を外から脱がそうとするが、人間は益々抵抗する。しかし、太陽が人間の良心に火を灯し、内側から、温めると、自分から暑くて、衣服が邪魔なモノだと悟り、手放すわけなんである。このように、ボルグの話は、天国に行く人と、地獄に堕ちる人の、生き方の違いを教えてくれるが、輪廻転生についてはほとんど何も語っていないのが残念で、神智学や人智学とは大きく異なるところで、その点が、ボルグの本を、他のオカルト本と同じような、疑わしいものにしているのは、非常に残念なんである。

ボルグの本を補完する意味でも、人智学から、輪廻転生についての霊的な知識を追加したい。というのも、シュタイナーが、ボルグの輪廻転生を語っているからである。シュタイナーによれば、ボルグの前世はなんと、イエズス会をつくったイグナチヨデロヨラだというのである。ロヨラは、元は軍人で、重傷を負い足を怪我したために、その精神的な修練を通して、当時広まりつつあった福音派に対抗して、古きカトリックのキリスト教を救うのを人生の課題としたという。

ロヨラは、当時の神秘主義の霊的な修行を通じて、意志を強化し、宗教的な生活を実践したという。そして、その意志の強化から、キリストの行いを、物質界に知らしめるために、イエズス会をつくったという。現代人には受け入れがたい戒律がイエズス会にはあり、そのなかには、ローマ教皇には絶対服従というものがあるらしい。このようなローマ教皇への絶対服従下における、無私の忍耐力の育成が、低次の物質界との波長と共鳴し、イエズス会を物質界で不動のものにしているという。

イグナチオ・デ・ロヨラ - Wikipedia

エマヌエル・スヴェーデンボリ - Wikipedia


そのようなロヨラの物質界へのキリスト教の無私の布教が、火星の天使たちの共感を呼んで、死後に、火星の天使たちの指導下に入り、影響を受け、強烈な結びつきを生んで、死後の欲界での滞在期間を通常よりも、非常に長引かせたという。この火星の天使たちとの交流による霊的知識が、ロヨラから、通常は二千年を置いて行われる次の転生を、わずか100年の次の転生のボルグへと受け継がれたという。だから、ボルグが書いている霊界は、火星の天使たちの立場で語ったもので、だから、地球への転生が、火星から、次の地球への天使の資格試験だと述べているようである。神秘学では、地球紀の前半が、火星紀で、後半は水星紀とも呼ばれている。ボルグの輪廻転生が特別のものだったので、恐らく、輪廻転生については何も語れなかったのかもしれない。

面白いのは、ボルグが、カトリックの創始者パウロや、宗教改革のルターを地獄に堕ちている人物だと徹底的に批判しているところである。当時、ボルグがあまりにも、キリスト教を批判するので、狂人扱いされたほどらしい。恐らくイエズス会の命懸けの無私の布教精神に比べれば、当時の教会があまりにも堕落腐敗した俗物にみえたのかもしれない。この批判のなかに、ロヨラの物質界へのキリストの実践を目指した、火星に由来する戦いや、雄弁の精神がみられる。

要約すると、ロヨラの火星への秘儀参入法が、ボルグの霊能力に受け継がれたようである。だから、ボルグの語る霊界は、火星人からみた霊界と物質界といえるかもしれない。天国については、地球とは若干異なるかもしれないが、地獄についてはほぼ同じ立場で見ているように思われる。なお現代のイエズス会は、ロヨラの神秘主義的な実践志向が完全に抜けきってしまい、全く形骸化して、別組織になってしまったと、シュタイナーは述べている。

霊能力を再獲得し、霊我を目覚めさせるために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

              ★       ★       ★

 ポスト・アトランティス時代の文化期では、次の文化期への参入法が前もって準備された。秘儀の中心地は、次の文化期に帰属する外的な生活に備え、霊的知識の獲得を準備する場だった。そこは霊能者の集う場で、外(物質)界では育成され得ない能力を育成した。最初の古代インド文化期は、エーテル体の育成に関わった。次の古代ペルシア文化期は、アストラル体の育成に関わった。そして、エジプト-カルデア文化期は、感覚魂の育成に関わった。

 続く、ギリシア-ラテン文化期は、悟性魂の育成に関わった。そして、我々の第5文化期は、意識魂を発達・進化させる課題を担っている。そして、第6文化期の外(物質)的な生活のために、霊的知識から、自我を純化し、霊我を、前もって準備しなければいけない。

 現代の特徴とは全く異なる、第6文化期の、3つの特徴的な傾向に言及する必要がある。第6文化期の、この3つの傾向のために、いま霊的な知識を獲得し、心に担う必要があり、そのための準備が、現在の、我々の課題である。

 今日の人間社会には、ある特質が欠けているが、この特質こそが、第6文化期に、人類の精神的な進化の目標に到達した人々の特徴となるはずである。この特徴は、次の文化期には必須となる。当然、次の第6文化期に、現代の段階にとどまっている人々には、欠けている資質でもある。

 次の第6文化の絶頂期で、地上に生きる人々が最高度に発達させるのは、ある道徳的な資質である。近代の人間には、この資質がほとんどみられず、欠けている。今日の人々は、自分よりも幸薄い境遇にいる他の人を見ても、魂に何の痛みも感じないばかりか、その不幸を蔑んだり、見下す傾向をもっている。宇宙の平和や世界の平和を求める、繊細な心の持ち主なら、かくも世界に広がっている、貧困や苦悩などに、心の痛みを感じるはずなのだが、現代では、特別感受性の強い、ごく少数の人々しかいない。

 第6文化期最高度の特徴を備えた人は、世界の貧困、苦悩、悲惨を見て、心のなかに痛みを感じるだけでなく、そのような霊的な共感力を発達させた人は、他の人間の苦悩を、自分の苦悩として経験する。空腹な人を見れば、共に、その空腹感を、物質的な欠乏として、実感する。

 実際に、物質性を超えて、精神を発達させ、霊的に繊細な超感覚を獲得するので、他者の飢えが、自分にも耐え難いものになる。いまここで指摘した道徳的な特徴が、第5文化期の現状には全く欠けていて、むしろ正反対ともいえるので、次の第6文化期では、個人の安寧は全体の安寧に一重にかかっているのがわかる。

 今日、人間の手足、つまり四肢の安寧が、人体全体の健康に依存するように、また人体全体が健康でないとき、四肢も、なんらかの(物質的な)運動に、耐えられないように、第6文化期には、この個々と全体との、共通の意識が、最高度に発達(進化)した人間にもたらされる。

 そして、人体全体の健康を、四肢が感じるより先に、遥かに高度に、個人は、人類全体の苦悩、もしくは欲求を、また貧困、もしくは富を感じるようになるだろう。この共感力が、第6文化期の高度に発達し、精神的に進化した人間を、特徴づける顕著な第一の道徳的な資質となるだろう。





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Last updated  2024年06月21日 08時19分41秒
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