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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年06月25日
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カテゴリ:神秘体験空間
もし自分がいまの自分でないとしたら、と考えると、自分の前世を解き明かす一歩となるかもしれない。シュタイナーは、「いかにして、前世を知り得るか」で、自分の前世を知る方法を提案している。以前、巷でも前世療法というのが流行った時期があったが、これは前世というよりも、天使たちとの交信法と言ったほうが良いかもしれない。前回紹介したスウェデンボルグの前世の、イグナチオロヨラが火星の天使たちと交信し、その前世をボルグに提供したような感じに近いようにみえる。というのも、シュタイナーの説く前世は、巷で語られている前世とは少々趣が異なるからである。

いかにして前世を認識するか - シュタイナー関連書籍出版 イザラ書房 (izara.co.jp)

前世療法 - Wikipedia


というのも、巷で語られている前世は、現世の自分とよく似ている、と考えられているが、例えば、現世で数学が得意な人は、前世でも数学が得意だったと考えがちだが、シュタイナーが説く前世は、正反対で、前世で数学が得意だった人は、現世では数学が全くできない、というのである。勿論、五次方程式の一般解が存在しないのを発見したアーベルのように、若い年齢で結核などで亡くなった場合は、その若い未発達な数学の能力を引き継いで、次の転生でも数学の才能をもって生まれてくる可能性もあるらしいが、ニュートンのように老齢まで生きた場合、次の転生では、数学も物理も全く苦手で生まれてくる、ようなことを述べている。

ニールス・アーベル - Wikipedia

アイザック・ニュートン - Wikipedia

例えば、次の2つの肖像をみて、似ているようにみえるのが、巷で語られている前世で、似ていないようにみえるのが、シュタイナーの語る前世である。ただし、シュタイナーも肉体の動かし方の、動作や仕草などは、前世から引き継ぐと述べている。というのも、肉体は全く異なるが、エーテル体は似たような部分を引き継ぐからである。ちなみに上がロヨラで、下がボルグである。




いか前(いかにして前世を知り得るか)などで、シュタイナーは、前世を理論的に解き明かしていて、前世と現世では、正反対のアストラル体を引き継いで転生するので、全く正反対の性格をもつ人物として生まれ変わる、と説いている。だから、前世が男性なら、現世は女性で、特別な事情がない限りは、性も正反対で転生すると述べている。

だから、現世で性同一性障害になるのは、恐らく、前世での体験が鮮明で、いまの肉体には入りたくない想いがあり、肉体を拒絶し、先祖返りしたい欲望が強いのかもしれない。例えば、前世で肉体に入りすぎ、酷い虐待を受けたために、肉体への嫌悪感を生み、現世では、肉体に恐怖を覚え、あまり入りたくないのが、女性への志向として現れているのかもしれない。

逆に、前世で肉体に無関心で、あまり入りこまなかったために、霊媒体質で、物質界に適応できずに暮らした想いが強すぎて、今度は肉体に深く入り込もうとはするが、思ったようには肉体を制御できないので、代わりに男性への志向として現れているのかもしれない。つまり、心と肉体のバランスが偏っている状態といえるかもしれない。女性志向は肉体への嫌悪感。男性志向は肉体への憧れという感じである。

シュタイナーは、霊的な知識を獲得するには、女性の肉体が適しているので、霊媒体質は女性が良く、逆に、物質的な知識などの自我性(エゴ)や、物質界の言語などを獲得するのは、男性の肉体が適しているようなことを述べているが、それらは、輪廻転生を見ていくと、男性が権力者になりやすいのでもわかる。また、シュタイナーは、ある人物の前世よりも、転生のほうが霊視しやすい、とも述べている。いずれにしろ、前世と現世では、真逆の性格になりやすく、輪廻転生においては、前世で自分がつくったものを、現世では、嫌悪し、破壊する側にまわると述べている。

そもそも輪廻転生とは、全く違う環境でも、自分を生かせる能力が問われているわけなんである。だから、ヘーゲルの弁証法の正反合のようなもので、現世の自分は、前世の自分の否定で、前世と現世の自分から、正反合の自分をつくりあげる、のが目的といえるかもしれない。

だから、シュタイナーは、前世の自分と現世の自分はいわば真逆の人間なので、現世で自分を発揮しようとするほど、前世の自分の抵抗に遭うというわけで、つまり、現世の自分のなかには、自分とは正反対の自分を隠しもっているようなことを説いている。だからして、カルマとは、前世の自分による、現世の自分へのブーメランともいえるわけなんである。ということは、前世で、自分が他人に与えた行為が、現世で、他人から、自分に返ってくるわけで、現世で、自分が他人にされたことは、前世で、自分が他人にしてきたことになるわけなんである。

だから、もし、前世の自分と現世の自分のカルマの方程式を立てるなら、前世と現世の時間の変換と共に、自分と他者が変換するわけで、例えば、自分を、電子に置き換えれば、時間の変換に対して、マイナスの電子が、プラスの陽電子に変わる対称性が成り立つ。もし、それを生命エネルギーの保存で定式化したら、前世で生命エネルギーを奪う生き方をしていたら、現世では生命エネルギーを与える生き方をするような場のポテンシャルというか、機会に出くわすことになる。

だから、前世で悪霊の如く、他人の生命エネルギーを奪ってきたら、現世では、そのような他人の悪霊から生命エネルギーを奪われるような人生を送るようになるわけなんである。逆に、前世で生命エネルギーを与える生き方をしていたら、現世では、生命エネルギーを与えられる善霊の友人に恵まれるわけなんである。この事をお釈迦さんは、善因善果、悪因悪果と表現している。

例えば、日本文化には、贈り物などを与えられたら、お返しする風習があるが、これは、このカルマの法則に則った文化といえるかもしれない。他人から与えられたままでは、現世どころか、来世でも、借りを返せないわけで、そのようなままだと、いずれ悪霊がタカリにきて、気持ちが悪いわけである。西洋には輪廻転生の思想が、キリスト教により封印されてしまったので、贈り物への返礼の習慣が残っていない。

さて、前回のボルグの話でも、シュタイナーも第6文化期の特徴として述べているが、天国では、万人(霊)の幸福は、一人(霊)の幸福でもあり、一人(霊)の幸福は万人(霊)の幸福でもある、共通の幸福の認識を、天国の霊は、もっていたという。これは伝教大師の、万灯照隅、一灯照隅にも通じるが、一灯も万灯も同じで、共に照隅が必要で、西洋でも、最高の幸福とは、最大多数の幸福であると、ベンサムなどが述べているが、これは唯物論に染まり過ぎて曲解されているが、本来は、人類全体が一人の不幸も出さないような幸福に目覚めるべきという意味に解すべきである。

最大多数の最大幸福|グロービス経営大学院 創造と変革のMBA (globis.ac.jp)

それには人間一人一人が、人類全体の幸福をこの世に実現するために、天国をこの地に再現していかねばならない。ロヨラは、エーテル体のキリストを、物質界に再び転生させようと、イエズス会をつくり、霊界をボルグになって紹介したが、それよりも、人類のほうから、エーテルのキリストの姿をみるために、キリストの神意に歩み寄るために、人類の認識を高めるのが先決だと、シュタイナーは人智学を興したわけなんである。そのための、まず第一歩が、現在の自分とは真逆で、正反対の、前世の自分を霊視できることにある。

だから、自分の殻や自分の壁とは、前世の自分として、自分のなかに潜んでいる隠れたドッペルゲンガーなんである。自分を電子とすれば、ドッペルゲンガーは陽電子なんである。ディラックの海のなかの正孔である。

ドッペルゲンガー - Wikipedia

ディラックの海 - Wikipedia


実は現世の人間は、鏡像世界に過去の前世をもっている。現在の自分は、前世の自分と鏡像関係にあり、それがカルマの天秤となって、前世と現世の自分という錘をバランスしている。現世の自分が物欲に塗れ、重くなるほど、現世の自分に引きづられ、前世の自分が見えなくなってくる。

例えば、飲酒などのアルコールを飲むことや、肉食などは、現世の自分を重くするので、前世の自分をみえなくし、だからこそ、仏教修行者などは、戒律で禁止にされた。霊能力の初歩は、自分の前世を見る事なので、飲酒や肉食はそれを失わせた元凶だという。それはボルグも、霊界で遭遇した霊から知ったと語っていて、天国に不要なばかりか、地獄に堕ちる悪霊の原因となるとも説いている。というのも、飲酒も肉食も、人体に余分な生命エネルギーを蓄えることになるので、天国にそぐわない、不必要な財産を蓄えることになってしまうからである。

天国とは自らの生命エネルギーだけでなく、全体の生命エネルギーをつくりだす霊たちの楽園だからで、奪うことではなく、与える事で成り立つ世界だから、常に必要な生命エネルギーそのままで生きるのが相応しいからである。不必要なエネルギ-とは、他の誰かから奪ってきたもので、自分でつくりだしたものでないので、不必要で、余分なのである。必要なら自分でつくりだしているはずで、それは自分だけでなく、自分を通じて他者にも分け与えているはずで、キリストが、自分の血と肉を分け与えた最後の晩餐のようなものである。

天国への門 - Wikipedia

最後の晩餐 (レオナルド) - Wikipedia

必要なものは神意が既に与えているはずなので、わざわざ、他人を支配し、不必要に余分にとってきて貯める必要がないのである。だから、十戒では、略奪してはならない、と戒めている。略奪し、利潤をとってはならないので、キリストは神殿から商人を追放した。神殿から商人を追放せずに、贅を尽くしていると、前回紹介したように松果体が石化して、神々との対話を失い、地獄に堕ちて、悪霊に成り下がるわけなんである。

面白いことに、シュタイナーは、キリストの十二使徒の裏切りのユダの輪廻転生を語っている。キリストは最後の晩餐で、ユダに裏切りを認め、赦している。その理由は、このユダの輪廻転生で明らかになる。シュタイナーによると、ユダは、なんと、アウグスティヌスに転生したという。ユダはキリストを裏切って、ローマ帝国に売り渡したが、アウグスティヌスになって、今度はローマ帝国を裏切り、ローマ帝国をキリスト教に売り渡したという。ローマ帝国はキリスト教のために崩壊した。

アウグスティヌス - Wikipedia

ローマ帝国 (y-history.net)

キリスト教の公認 (y-history.net)


シュタイナーによれば、アカシャ(虚空)年代記から、このような輪廻転生を読み解くことで、物質界の出来事が明らかになるという。例えば、現代科学の源流を探ると、二人の人物が浮かび上がる。ヘッケルとフランシスベーコンである。ベーコンの、「知は力なり」は有名だが、私には、「血は力なり」に聞こえてくる。ベーコンは、イギリスに唯物論の集大成ともいえる科学文化をもたらしたが、ヘッケルは、ダーウインの進化論を広めたように、唯物論的な生物学を広めた人物といえるだろう。この二人は、科学の王とでもいえるかもしれないが、面白いのは、シュタイナーによれば、両者とも前世が宗教の王だったことにある。

エルンスト・ヘッケル - Wikipedia

フランシス・ベーコン (哲学者) - Wikipedia


シュタイナーによれば、ヘッケルの前世は、グレゴリウス7世で、キリスト教の王で、ベーコンの前世は、イスラム教の王のハールーンアッラシードだというのである。アッラシードについては、以前、アーリマンのササン朝の学院を紹介したが、イスラム教徒に征服されたために、その学院の歴史的史料は紛失しているらしく、不明な点が多いが、年号から類推して、666年のゴンディシャブールから、786年のバグダッドに場所を移して、約120年を経過した後で、幾分、アーリマンの唯物性も薄まって、その後の学院を引き継いで叡智の王となったように考えられる。イスラム教が興ったのも、この地でのアーリマンの学院に対抗するためだったらしく、実際に、イスラム教徒により、この666の唯物教の悪魔学院は崩壊した。

ハールーン・アッ=ラシード - Wikipedia

グレゴリウス7 (ローマ教皇) - Wikipedia

ジュンディーシャープール - Wikipedia


シュタイナーによると、786年から809年にかけてバグダッドに芸術と科学の頂点となる文明を築いたのが、詩人に讃えられたアッラシードだという。アッラシードを中心とした精神文化では、アリストテレス主義がアジアに広まった。東洋からみた古代ギリシアのアリストテレスの霊的な叡智が蘇った。これによって、イスラム教の攻撃性が緩和され、抑えられたという。このイスラム文化は、多くの詩人、自然科学者、医者を輩出し、特に数学と、地理学を発達させたという。

アッラシードをググってみると、アラビアンナイトで有名な人物なのがわかる。面白いのは、アラビアンナイト経由で、ドラえもんの話にも、登場しているところである。アラビアンナイトではないが、このアッラシードの右腕となっていた人物、シュタイナー曰く、アッラシードのイスラム文化のオーガナイザーが、後に転生したのが、ヨハネスアモスコメニウスであるという。イスラム文化に霊性を与え、攻撃性を抑制させ、新しい文化として花開かせたのが、この後にコメニウスとして転生した存在だという。実際に、コメニウスは、当時の教育学を改革し、「汎智学」を書いたという。

ドラえもん のび太のドラビアンナイト - Wikipedia

ヨハネス・アモス・コメニウス - Wikipedia


シュタイナーは、このコメニウスの前世の更に前の前世まで言及し、だから、アッラシードの右腕の存在の前世になるが、この人物は太古の秘儀参入者だったという。秘儀参入者は、現代のような、特に男性として生まれると、肉体の拘束力が大きいために、霊能力を生かせない代わりに、その時代に適した秘儀参入法をつくりだすために、教育者になりやすいという。つまり、コメニウスの教育学への改革志向は、太古の秘儀参入者であった前世に由来するという。

このアッラシードのイスラム文化と、グレゴリウス7世のキリスト文化が、それぞれベーコンやヘッケルとして転生し、後に融合して、唯物論的科学の源流となるのは、非常に興味深い。その代表的な人物として、進化論のダーウィンが挙げられるだろう。シュタイナーは、ダーウィンの前世は、ジブラルタル海峡の名の由来となったジャバルアッターリクだという。ターリクはアラビア文化によるスペイン侵略の代表的な人物だが、後の転生での、進化論でも、無神論の唯物生物教へと、当時の宗教を侵略し科学教への改宗に導いていったことになる。

チャールズ・ダーウィン - Wikipedia

ジブラルタル海峡 - Wikipedia

ターリク・イブン・ズィヤード - Wikipedia


このように前世で宗教王だった者が、後の転生で、その攻撃者となり、科学王に転身するのは、歴史は繰り返す、という格言からも、非常に興味深い。個人的にいえば、前世の自己否定が、現世の自分をつくっていることになる。このイスラム文化などの宗教文化からの転生による唯物的科学文化に関わる人物はまだまだ多数シュタイナーにより解き明かされているが、ラプラスとか、コペルニクスとか、きりがないので今回はここまでにしたい。

輪廻転生から人類の進化を解き明かすために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

           ★      ★       ★

 第6文化期の、第2の基本的な特徴は、今日の宗教などへの信仰全てが、今日の集団性のものよりも遥かに高度に、個人的な、自我の自由に帰するようになるところである。人智学的な認識により、個人的な信仰の自由へと導かれるが、第6文化期の全ての領域においては、完全な思考の自由へと、そして、個人的な憧れにより、それへと導かれるので、すなわち、どんな宗教を信仰するかは、全面的に個人的な自我のなかの精神性、もしくは前世に起因する霊性に委ねられるようになるだろう。

 今日の、様々な共同体に、かくも多くの形で存在する集団的な信仰、例えば新年への祝いなどは、第6文化期の最高度に進化した人間には、何の効力ももたないものとなる。宗教に関わる教義や信仰などからの、完全に自由な思考は、基本的人権として、誰もが感じるようになるだろう。

 第3の特徴は、第6文化期の人々が、霊性を認識したときのみ、事実と見なされるところである。霊性が、物質界に漲り、人間の魂が、その霊性との結合に至ったときのみ、ホンモノの知識をもったと見なされる。

 唯物主義的な傾向を伴った今日の科学として知られる知識は、ポスト・アトランティス時代の第6文化期には、今日、科学の名前で呼ばれる栄誉を浴せずに、古臭い迷信のように見なされるだろう。

 今日の科学的知識は、ポスト・アトランティス時代の廃れた第5文化期の段階にとどまった人々の間にしか通用しない。例えば、未開人が、「死人の手足を、身体から切り離してはいけない、完全な人間として霊界に入れなくなるから」と言えば、現代人は、迷信と見なすだろう。

 このような発言をする未開人の発想は、霊魂の不死の概念を、そのまま唯物論の肉体に結び付けている。つまり、死者の魂の物質的表現でしかない肉体が、そのまま霊界に移行する、という信仰になってしまっている。唯物主義的に思考しているのに、不死を信じる矛盾に陥っている。

 人間の死とは、霊魂(精神)が、肉体から分離し、そして霊魂だけが超感覚界=霊界に移行する、というのを、人智学から理解すれば、今日でも、不死に対する、そのような唯物主義的な信仰を、迷信と見なせる。

 これと同じように、第6文化期には、いまの科学も含む全ての唯物主義的な信仰は、古臭い迷信と見なされるようになる。当然、霊性への認識に基づく、人智学による霊的な知識のみを新しい科学として受け入れるようになる。

 人智学の目的は、この意味において、第6文化期への準備である。唯物主義を克服する為に、来るべき時代に相応しい、自由な思考によるホンモノの科学を準備する為に、いま人智学を育成している。教義的な信仰が全く無く、もしくは、誰かから教義を要請されず、どこからも教えを受け取る傾向が全くない人々が、自主的に共同体を築いていくもので、教祖などもいない。

 一つの例外もなく、教えに対して、魂たちが、自由に発する同意に基づいて築かれる、共同体を創設する。この共同体において、人智学が、思考の自由を準備する。人智学の育成を目的として、友愛の交流から集うことで、ポスト・アトランティス時代の第6文化期を準備する。

 しかし、我々人智学徒の交流とグループの本当の課題を十分に理解するなら、人間の進化行程を更に深く見つめる必要がある。ポスト・アトランティス時代の第1文化期でも、当時、秘儀に関わった共同体では、後に第2文化期に支配的となった霊性=精神性を育成した。第1文化期である古代インド文化期に特有の霊的な(天使たちとの)交流では、アストラル体の育成に関わったのは既に述べた。

 この育成は、第2文化期固有の外的な課題に対応するためだった。時代の外的な文化とは対照的に、第2の古代ペルシア文化期を準備するために、古代インド特有の、霊的な交流において何が育成させられたか、を述べるのは、今日では、話が飛躍しすぎて脱線しかねない。

 しかし、次のように表現できるかもしれない。第2文化期に必要な霊性=精神を準備するために、古代インド文化期の霊能者たちが集ったとき、次のように感じた。

 「我々の魂は、次の時代の受肉に要する肉体に見合う能力にまだ到達していない。また、自らの内にそれを十分に制御できる能力をもっていない。その能力はまだ、我々の上方で天使たちと共に羽ばたいている。」

 実際にそうだった。第1文化期では、次の第2文化期で、天から地へと降りるはずの能力が、当時の人々の魂の上で、まだ上空で霊として羽ばたいていた。秘儀に関わる霊能者たちの集まりにおいて、地上で成就した次の時代への準備は、霊能力で、高次のヒエラルキーの天使たちへと上昇し、第2の古代ペルシア文化に相応しい、アストラル体を、魂のなかに降ろし、天使たちと交信しながら、醸成し育成する性質のものだった。





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Last updated  2024年06月26日 11時00分31秒
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